返信元の記事 | |||
【200】 | RE:嵌張大好き(カンチャンだいす... reochan (2014年04月24日 22時34分) |
||
お風呂揚がってPW開けたら、一番上に・・ 呼ばれてもいないのに、 呼ばれた気になるのはなぜ? こんばんわー 確かに小さい頃受けた傷は、残ると思う(小さい時) 愛情過多 無関心(無視) 虐待 とか。 どれも子どもには悪影響を及ぼすかな。 でも分別つくお年頃になれば、もう本人の責任でしょ。 環八さんは、もし、父親になったら、 子どもの気持ちを分かってやれる素敵な父親になると思う。全力で応援してそう^^ どうしてか?って。 そのことで苦労してきたから。←ここ大事。 逆にたっぷり愛情そそぎそう・・うっとうしいくらいに^^ |
■ 311件の投稿があります。 |
32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 |
【207】 |
環八 (2014年04月25日 09時59分) |
||
これは 【200】 に対する返信です。 | |||
reochanさん、こんにちは。 >でも分別つくお年頃になれば、もう本人の責任でしょ。 それが、そう簡単にはいかないものなのです。 しつこいようで申し訳ないのですけど、『母という病』から、引っ張り出しますね。長くなりますけど、読み物としても、興味深いと思います。 【p−1】 二度のアカデミー主演女優賞に輝いた女優のジェーン・フォンダは、摂食障害やうつに苦しみ、それを50歳までかかって克服した人でもあった。 彼女を苦しめたのは、自分を愛してくれないまま亡くなってしまった母親への傷ついた思いだった。 母親は彼女が12歳の時に自殺したのだ。だが、死の知らせを聞いた時も、どうしても涙が出なかったという。 何が起きていたのか、まだ子供だったジェーンにはわからないことも多かった。ただ、幼いジェーンにも分かったのは、母親ではなく、もっぱら祖母に面倒を見てもらったということだ。 四つの時に弟が生まれると、ジェーンの寂しさは決定的になった。二か月ぶりに母親は、弟を連れて戻ってきたが、ジェーンは、自分が母親の眼中に無いことをはっきり感じるようになった。 待ちわびたはずの母親にジェーンは甘えることができず、逆に母親から体に触れられることさえかたくなに拒否し続けた。それは、母親を求める裏返しのサインだったのだが。 まだこの時期であれば、母親がもっと本腰を入れてかかわることで、その後の苦しみは大きく違っていたかもしれない。 しかし、母親の関心はますます娘から離れていった。見捨てられたジェーンは、『良い子』を演じ、周囲に認めてもらうことで、バランスを取ろうとした。誰にでも気に入られるように振る舞う術を磨いた。本心を抑え、傷ついても何も感じない子供になった。 だが、母親の無関心の背景には、不幸な結婚生活と、産後に始まったうつがかかわっていた。有名俳優の父親(ヘンリー・フォンダ)は留守がちで、浮気も始終だった。 隙間風が吹き始めたところに、病気が追い打ちをかけた。産後、不調が続いていたうえに、腎下垂の手術を受け、美しかった体には、見るも無残な手術婚が残ってしまったのだ。 父親が母親に離婚を切り出したのはそんな最悪の時だった。母親は抗う気力もないように、その申し出を受け入れた。 |
|||
【204】 |
環八 (2014年04月25日 09時55分) |
||
これは 【200】 に対する返信です。 | |||
【p−4】 母親の傷ついた肉体。豊胸手術に失敗し、変形した胸。それを嘆いた母親。そうしたものが母親にとって、どれほどつらいことであったか、40代になっていたジェーンは、同じ体験を共有したことのある一人の女性として、その悲しみを理解、受け止めることができたのだ。 ジェーン自身、子供を産んだのち、産後うつを経験し、母親が陥っていた無関心な状態も、その一部は、産後うつによるものだと理解することができた。 母親が男の子を望んでいて、女の子の自分が生まれてしまい、3度も帝王切開するというリスクを冒してまで、弟を産んだことも知った。母親の関心が、弟の方に向かった事情さえも、彼女はありのままの事実として、受け入れようとした。 そして、おそらくは、母親は性的なトラウマを受けたことで、女性というジェンダーに悲劇的な宿命のようなものを感じていたのかもしれない。母親という人間を理解し、受け入れ、その悲しみを実感として共有したとき、初めて母の死に対して、ジェーンは涙することができたのだ。 そこまで何もかも知り、事実と向き合うことで、彼女は母親を許すことができたのだ。その事実は、決して、彼女にとって都合のよいことばかりではなかった。それでも、母親という人間を客観的に理解することによって、自分が受けた傷の意味を知り、それを乗り越えることができたのだ。 だが、何よりも、彼女が母親を許すことができたのは、彼女がそうすることを望んでいたからだろう。 子供は、親を恨みたくなどないのだ。本当は、母親を許したいのだ。その手掛かりがほしいのだ。 その後、ジェーン・フォンダは、その後半生を少年少女を守る活動にささげることで、自分の体験を意味あるものにしようとしている。 |
|||
© P-WORLD