■ 311件の投稿があります。 |
< 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 【18】 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 > |
【171】 |
PIro3 (2014年04月23日 23時17分) |
||
これは 【149】 に対する返信です。 | |||
>それ言うと・・・・・ ピロー怒るんじゃ・・・・・ >もう一人は・・・・・ 狼・・・・・(パチ屋の) いや別に…… 何を怒る事があろうか。。。 ん〜〜〜〜〜。 考えてたら …だんだん腹が立ってきたのはナンでだろう〜〜。。 >ピローと言う人物は誰が何を言っても > 悪くなる事はないであろう。 そうなん? それじゃぁ そろそろキャラ変えて方向転換しないとマズイな。。。 >前に冗談で言っていた弁護士がどうのって・・・・ >まさか・・・本当じゃないよね?ね?ね? 冗談って言ってね。ハート。 じゃぁ冗談って言っておくよ。 もうじき和解金払って終わるけどね。 |
|||
【170】 |
PIro3 (2014年04月23日 23時08分) |
||
これは 【164】 に対する返信です。 | |||
ん〜〜。 岡本太郎の話も、この母についてのレスも とても面白かったよ〜〜。。 他の方とのカラミも以前とは全然変わってきたねぇ〜〜。 >トリイソ(どこかじゃ)。 ↑これ笑ったわ。ww |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【169】 |
reochan (2014年04月23日 23時07分) |
||
これは 【167】 に対する返信です。 | |||
バーチャルな世界の男性と子育てや母性愛について語り合うなんて、夢にも思わなんだwww 女子ってさ、同級生とか友達とかで、恋愛とか結婚とか子育てとかを、話するでしょ。所謂女子会。 でもさ、あたしは、あんましなかったん。たまたまね。 なのに。PWで・・それも環・・シーッ! >僕には、子供がいないから,確信的なことは言えないけど、 いえいえ、子どもが居ないから話しする権利ないとか、そんな了簡の狭いあたしじゃござんせんことよ。^^; 環さんのおっしゃること、いちいち同感なんだよねーくやしいけどおー。 戦友?同士の絶対的関係・・ これは、全く同感するなー ほんま、ここ勉強なるわー(感心 >おまえを絶対に、見捨てない、という、絶対的信頼関係。 > >母性愛も同じではないでしょうか。 なるほろ。。 >命をつなぐのです。そうやって、地球上の、すべての生命体は、命をつないできたのです ぃぃ言葉やな−。 これなしに、仕事も成功せんし。学校も成立せんし。 家庭もやし。 家庭 → 学校 → 社会 やもんねー。 みんなが、この話分かってたら、辛く悲しい事件起こらんのにね−。 なんで、こんな深イイ話、こんな時間にせんとあかんのん? 環さん、堪忍して〜 勘弁して〜 でも、今日一日の締めくくりとして、サイコ―でしたし。♪♪ いい話聞けてヨカタ〜♪ ★ おやすみんこ ★ |
|||
【168】 |
環八 (2014年04月23日 23時06分) |
||
これは 【166】 に対する返信です。 | |||
もう、一発。 > 見つめ合ってるトキ、心の底から愛おしい!! > > 母って、そんなモンです。 ええ 理屈じゃなく。 それを忘れないでほしい。 忘れてしまって、子供に、異常な期待をかけたり、逆に、失望する親の、なんと多いことか。 超難関大学、有名進学校、有名進学塾、とかに、子供を通わせる、バカ親ども。 子供は、親の気持ちを察し、こたえようとする。それはそれは、涙ぐましい、必死の努力。 ところが、親は、子供の気持ちをくみ取ることができない。 『親の心、子知らず』というのは、ウソ。 『子の心、親知らず』なのだ。 |
|||
【167】 |
環八 (2014年04月23日 22時35分) |
||
これは 【166】 に対する返信です。 | |||
>だから、同じ人間として対等の気持ちで接しさせていただこうって。 僕には、子供がいないから,確信的なことは言えないけど、 『対等関係』というのは、地球上の全生命体が、生存できる、原動力なのかもしれません。 どんな生物も、生きるという点で、他者より上とか下とか、という感覚などないのですから。 で、ここで、僕が思うのは、母性愛と、友情は、もしかしたら、同じかもしれない、ということです。 何カ月か前、『ホンマでっかTV』で、脳科学者の澤口先生が言ってました。 『母性愛と友情は、脳領域では、同じです』と。 これ、どういうことなのかな、と考えてみました。 『母性愛』と『友情』には、実は、共通点があるのではないだろうか、と。 『友情』が、極限で実現される場面って、なんだか、分かりますか。 『戦場』です。 戦友同士の間には、母子間と、同じ感情が、生じるのではないでしょうか。 おまえを絶対に、見捨てない、という、絶対的信頼関係。 母性愛も同じではないでしょうか。 この絶対的信頼関係が、命をつなぐのです。そうやって、地球上の、すべての生命体は、命をつないできたのです。 では、その信頼関係が途切れた時、何が起きるのか。 まず、子供の心理に異変が起きます。 リストカット、万引き、暴走行為、薬物依存、ETC. そして、最も重大な問題が、少子化です。 子供を作ることが不安。 多分、これが、少子化の最大の原因ではないか、と思います。 この不安は、これから、子供を産み、育てようとする若い世代が抱える不安です。 それは、子供を作ろうとしない今の若者に原因があるのではなく、その親世代、そして、そのまた親世代に問題があるのではないか、という気がします。 今の若者の親世代が、不安を作り出してきたということです。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【166】 |
reochan (2014年04月23日 21時22分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
うたた寝してたら、アイシャドーが下瞼につき、 クマさんみたいな顔でおなじみのれおちーです。 またしてもヨコレス、ごめんなさい。 マイオカルトだから。ヤーな人はスルーしてね。 母になった瞬間のリアルな体験です。 環ちゃんの難しいなんちゃら・・は分かんない・・ んで、あたしの場合 赤ちゃんを抱いて授乳するトキって、例えば、 左のおっぱいを飲ませるときにね(結構リアルなんですけどぉおお) 赤ちゃんは一生懸命におっぱいを吸ってるけど。 目は、ちゃんとあたしを見てる・・ そのとき! あたしは、直感的に次のように感じたん。 「 僕ね、小さいけど、何でも分かるよ。 全て分かってるからね!」 って、おっぱいゴクゴク飲みながら、そう力いっぱい その目は言ってた気がした。( 勿論言ってないんだけどねwww ) これ聞いた男性、んなあほなー でしょ。 なんかね、透き通るような目というか・・ こちらの内面を見透かされているといおうか・・・ そのトキ、あたし、瞬時に思ったわけ。 そうだ、この人とは、対等に生きていこうって。 あたしのほうが、ちょっと先に生まれただけで、 本来持ち合わせた人間としてのいろんな能力の器が、 あたしより小さいなんて、誰にも分からない。 身体は赤ちゃんでも、限りなく大きな能力を秘めた赤ちゃん(人間)なんだ、 だから、同じ人間として対等の気持ちで接しさせていただこうって。 なんか、オカルトっぽいから、あほっぽいかな? だから、あたし、自分の子に、赤ちゃん語や、幼稚語?、一切使わなかったんだ。 あれ? 何に対してのコトなんか、忘れちゃった! あ、そだ! 母性本能ってヤーツネ。 難しいことは、分かんないですけど。 見つめ合ってるトキ、心の底から愛おしい!! 母って、そんなモンです。 ええ 理屈じゃなく。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (2件) |
【165】 |
環八 (2014年04月23日 20時57分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
『ページ(1)』 ずっと、気になってることがあって。 ピロさんからの問いかけ、 《死という概念を持たないとされる動物に 愛は生まれないのか?》 数日前から、読んでた『母という病』を読んで、何となく分かったこと。 抜粋します。 『夜を日に継いで、世話をし、乳を与えるという献身的な行為が子育てだ。 自分の睡眠や食べ物を削って、惜しみなくわが子のために与えるという自己犠牲の上に、それは成り立っている。 なぜ、そんなことができるのだろうか。 女性といえども、まだ子を産む前は、子供に無関心な人も多い。子供は泣くので嫌いという人も少なくないのだろう。しかし、一度親になると、子供がかわいくてたまらなくなる。 なぜ、そんなことが起きるのだろうか。 そこには、命をつなぐ営みに欠かすことのできない生物学的な仕組みがかかわっている。 その仕組みが、愛着システムだ。 母性を育み、また母子の愛着を生み出す源は、陣痛を引き起こし、授乳のときに活発に分泌するホルモンと同じなのだ。そのホルモンをオキシトシンという。 おなかを痛めて産んだ子だから可愛いという言い回しには、深い真実がある。陣痛の最中、大量に分泌されるオキシトシンが、母子の絆を一気に高め、授乳を通して、その絆は、さらに持続的なものとなっていく。 抱っこや、愛撫と言ったスキンシップが重要なのは、このオキシトシンの分泌が、スキンシップによって促されるからだ。 愛着やスキンシップが心地よく、子供を世話することが、苦痛よりも歓びになるのも、オキシトシンの働きによる。 オキシトシンには、不安を鎮め、心地よさをもたらす働きがある。 オキシトシンの分泌が悪かったり、オキシトシンと結びつくはずの受容体の数が少ないと、この仕組みがうまく働かない。 不安を感じやすく、神経質で潔癖症になるだけでなく、人との接触や子供の世話をすることにも歓びを感じにくい。 実は、オキシトシンの分泌やオキシトシンと結びつく受容体の数を左右するのは、幼いころにどれくらい愛情深く世話をされたか、なのだ。 大切に育てられた人では、オキシトシンの働きが良いので、自分自身にストレスを感じにくいだけでなく、子供を育てたり、人を愛することも容易になる。 しかし、虐げられたり、かまわれずに育った人は、それとは正反対な体質を身に着けてしまう』 |
|||
【164】 |
環八 (2014年04月23日 21時17分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
『ページ(2)』 僕なりに考えたこと。 (1)人間にとって、痛みというのは不快なものである。例えば、腹痛。 腹痛が起きると、誰もが、その腹痛の原因を取り除くことを目指す。腹痛の原因を知ったら、その原因(雲個、ゲリ)など、顧みない。 ところが、陣痛という痛みを起こしている原因(胎児)を知ったからと言って、その原因(胎児)を排除はしない。それどころか、かわいがる。 これは、不思議なことだと思う。そこが、オキシトシンというホルモンのものすごいところではないか、と思う。 (2)同じことは、ほかの動物でも起きている。 (3)愛の基本、あるいは、根源は、母性愛だ。これがあるから、生命体は、世代を継いでいける。 母性愛とは、文字通り、母から子への愛情。これは、相手を無条件に受け入れ、守る感情。 そして、母性愛は、世代を超えて、受け継がれる。少なくとも、そうなるべきである。人間以外の動物では、そうなっている。 しかし、人間の場合、そうなっていない場合が多々ある。 自己愛(ナルシズム)が母性愛を邪魔している。文明化、核家族化が進んだ現代においては、なおさら、そうなっている。 端的に言おう。母に愛された人は、未来に対する不安を持たない。そして、人を信じることができる。 人を信じるということは、人に裏切られても失望しない、ということだ。それは、母に愛されたからこそ持てる確信なのだ。母は、どんな場合でも、自分を援護してくれるという確信なのだ。 現代人は、その確信を持てずにいる、ということができるかもしれない。母が、十分に子を愛していない。 それは、母が、その母に愛された実感を持てないからだ。愛されていない、という連鎖が起きているのが現代社会ではないか、とこの本の著者は言っている。 トリイソ(どこかじゃ)。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【163】 |
環八 (2014年04月23日 08時18分) |
||
これは 【160】 に対する返信です。 | |||
ゆっき☆☆ 殿 >環八とやら くるしゅーないぞよ オレは、くるしー。 >ちこうよれ ヤだ。 ジョーダンだって、ジョーダン。 パフパフが分かんな〜い。 |
|||
【162】 |
環八 (2014年04月23日 08時13分) |
||
これは 【159】 に対する返信です。 | |||
ゆっき☆ さん、ご挨拶いただき、ありがとうございます。 僕は、おそらくご存知の通り、幾多の爆発を引きお越しておりますゆえ、ピワドの岡本太郎と呼ばれております(うそです)。 なので、僕とかかわりたくない、と思ってる人は多いと思うので、僕の方から、声をかけることはしないようにしてます。 その代わり、お声掛けいただいた方とは、ケンカします、あ、いや、仲良くします。 ところで、岡本太郎について、最近読んだ本に、こんなことが書いてありました。 『芸術は爆発だ』が合言葉だった岡本太郎に対する一般のイメージというと、自分の自己愛を追求し、それを爆発させたアーテイストいうところかもしれないが、 その実、太郎にはひどく律義で面倒見がよく、自己犠牲的な一面があった。 太郎の母かの子は、いくつになっても、子供のように傷つきやすく、純粋な魂を持ち続けた人だったが、それは言い方を変えれば、自分しか見えない、自己愛的な人だった。 かの子は、まるで子育てには向かない女性だった。太郎の下にも二人子供ができたが、かの子は、子供のことにはまったく上の空で、赤ん坊によく、けつまずいた、という。 下の二人は、2歳になるかならないうちに、どちらも亡くなっているが、厳しい見方をすれば、母親のネグレクトが命を縮める一因となったのかもしれない。 残された太郎は、子供のような母親に振り回されることとなった。 太郎はこう回想している『母は、私が中学生になったころには逆に私の妹のように、甘え、頼り、手放しになってしまったのはいささか閉口した』と。 かの子が病死した後、父一平は、糸の切れた凧のようになり、もう老境に近づいていたが、かの子とは正反対の平凡すぎる女性と再婚し、次々と4人の子供を設けた。 まだ乳飲み子を残して、父親があっけなく他界すると、その一家の生活の面倒を見たのが、太郎だった。 太郎は、自らは結婚もせずに、義母や父の残した異母兄弟の生活費を稼ぐことに明け暮れたのだ。 母親に尽くすことで身についた体質(おそらく、献身と隷従)は、そこからの解放を求めて創造行為へと彼を駆り立てたが、一方私生活においては、その負の支配が生涯消えることがなかったといえるだろう』 岡本太郎は、自由奔放に生きた人なのかと思ってたら、違いました。 |
|||
© P-WORLD