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【4606】 | ロン・要の関係♪ 魚群は不要 (2008年10月30日 20時57分) |
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スペースさん こんばんは(*^_^*)♪ >ロン・康の関係はお互いの息子に引き継がれなかったようですが。 ロン・要の関係(*゜・゜)ンッ? ロンニャンとは友達ですヨン♪(@⌒ο⌒@)b ウフッ お互いの息子って、も〜う〜(//∇//(//∇//(//∇//) テレテレ♪ >埋蔵金は徳川に限らず、いろいろな大名家にもあると思います。 >甲斐(山梨)武田家も甲州金が有名ですし、 >越後(新潟)の佐渡金山もありましたからね。 山梨や新潟も伝説?なのですかね。 架空の話では無いと思うのですがd(ーー*) >家康は「自分は三河の田舎者だから宝物はありません。 >しかし、自分のために命を掛ける騎馬500騎程あり、これが私の宝です」 いい話ですね。 それ程の信頼はどのようにして得たのでしょうかね。 当時の勢力がどの程度だったのかは今一想像できませんが、凄い武将だったのでしょうね。 |
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【4626】 |
S・Pエス (2008年10月31日 10時39分) |
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これは 【4606】 に対する返信です。 | |||
要さん、おはようございます。 ロン要の関係って何か良いですね。穏やかなようであり、ドタバタのようでもあり、侍魂さんが入れば完全にドタバタトリオなんですけどね。 >山梨や新潟も伝説?なのですかね。 >架空の話では無いと思うのですがd(ーー*) 武田信玄公の時代に金山開発が盛んで、甲州金は質も高く合戦に功績があった武将に、甲州金(ボタン状に鋳造したお金)を3すくい授けたそうです。 この金山開発に携わった集団を金堀衆と言い、合戦の城攻めでは、地下から城中の水の手を切る百足衆として恐れられたそうです。 新潟は佐渡金山が有名ですね。上杉謙信公の後継者、景勝の時代に開発されたそうです。謙信公の時代は当時生地の主流だった麻の原料供給地や港を抑え、莫大な資金を貯えていたと推測されています。越後守護職、関東管領職として、連年に及ぶ出陣にかかった莫大な費用は、これらの収入から捻出されていたと見る研究者もいます。 >それ程の信頼はどのようにして得たのでしょうかね。 戦国期に「尾張の弱兵、三河の強兵」と言われたそうですが、現在の愛知県の西側と東側なのに不思議ですね。しかし、当時の尾張は50〜60万石で、三河は凡そ30万石、米の生産だけでも国力の差は歴然ですね。特に信長は今で言う傭兵制を取っていましたから、家臣の代々からの忠義心は他家より弱かったと思います。 逆に三河は尾張程富んだ国ではなかったですから、米作にも力を入れ、徳川(松平)家代々の主従関係も強かったと思います。江戸幕府を開いてからも、譜代には三河譜代などの意識があったようですから、忠義心は強かったのでしょうね。 豊臣政権当時の家康は、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃のほぼ5ヶ国を領有していました。 合戦で出陣する際の供回り、前衛などの兵は万の単位になったかもしれませんね。その中の500騎ですから、かなり限定されますが、三河譜代で松平郷時代からの家柄の重鎮を指していたのでしょう。 そうそう、プロ野球の東西デビジョン制は、メジャーの2リーグ、東・中・西地区制の単なるパクリですが、長いペナントレースを戦った結果の敗者復活戦のような現CSは何か気の毒なように感じます。 |
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