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【4626】 | 要さん S・Pエス (2008年10月31日 10時39分) |
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要さん、おはようございます。 ロン要の関係って何か良いですね。穏やかなようであり、ドタバタのようでもあり、侍魂さんが入れば完全にドタバタトリオなんですけどね。 >山梨や新潟も伝説?なのですかね。 >架空の話では無いと思うのですがd(ーー*) 武田信玄公の時代に金山開発が盛んで、甲州金は質も高く合戦に功績があった武将に、甲州金(ボタン状に鋳造したお金)を3すくい授けたそうです。 この金山開発に携わった集団を金堀衆と言い、合戦の城攻めでは、地下から城中の水の手を切る百足衆として恐れられたそうです。 新潟は佐渡金山が有名ですね。上杉謙信公の後継者、景勝の時代に開発されたそうです。謙信公の時代は当時生地の主流だった麻の原料供給地や港を抑え、莫大な資金を貯えていたと推測されています。越後守護職、関東管領職として、連年に及ぶ出陣にかかった莫大な費用は、これらの収入から捻出されていたと見る研究者もいます。 >それ程の信頼はどのようにして得たのでしょうかね。 戦国期に「尾張の弱兵、三河の強兵」と言われたそうですが、現在の愛知県の西側と東側なのに不思議ですね。しかし、当時の尾張は50〜60万石で、三河は凡そ30万石、米の生産だけでも国力の差は歴然ですね。特に信長は今で言う傭兵制を取っていましたから、家臣の代々からの忠義心は他家より弱かったと思います。 逆に三河は尾張程富んだ国ではなかったですから、米作にも力を入れ、徳川(松平)家代々の主従関係も強かったと思います。江戸幕府を開いてからも、譜代には三河譜代などの意識があったようですから、忠義心は強かったのでしょうね。 豊臣政権当時の家康は、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃のほぼ5ヶ国を領有していました。 合戦で出陣する際の供回り、前衛などの兵は万の単位になったかもしれませんね。その中の500騎ですから、かなり限定されますが、三河譜代で松平郷時代からの家柄の重鎮を指していたのでしょう。 そうそう、プロ野球の東西デビジョン制は、メジャーの2リーグ、東・中・西地区制の単なるパクリですが、長いペナントレースを戦った結果の敗者復活戦のような現CSは何か気の毒なように感じます。 |
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【4632】 |
魚群は不要 (2008年10月31日 14時19分) |
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これは 【4626】 に対する返信です。 | |||
スペースさん こんにちは(*^_^*)♪ >ロン要の関係って何か良いですね。 >穏やかなようであり、ドタバタのようでもあり、 >侍魂さんが入れば完全にドタバタトリオなんですけどね。 ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆ ドタバタって受けました。 サムタマさんが入るとミニスカ巨乳トリオですv(=∩_∩=) ブイブイ!! そんでもって、 スペースさんが入るとエロエロミニスカ巨乳カルテットで〜す♪(*´○`)o¶~~♪ 黄金伝説と家康の解説ありがとう御座います(^人^)♪ プロ野球も明日から日本シリーズです。 盛り上がると良いのですが♪o(^o^o)(o^o^)o♪ |
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