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【255】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時46分)

《P-7》


母親の苦労が分かっているから、母親の大変さが分かっているから、そこは我慢しなければならないと思ってしまう。母親の苦労話や泣き言にすっかりマインドコントロールされてしまっている。母親の言葉や行動に矛盾を感じていても、反発して母親を傷つけるくらいなら、自分の中の思いを握りつぶした方がましだと思う。

何も問題のない、自慢の子供でいたいから、問題があっても、問題のないふりをしていようと思う。母親が聞きたいのは、自分がうまくやっているという話だと分かっているから、自分が本当は困っていることなど、話そうとは思わない。困っていることを打ち明けたりすれば、母親が不安定になって過剰反応したり、不機嫌になって、こちらを傷つけてくることが目に見えているから、黙っていようと思う。


母という病を抱えた人は、大きく二つに分かれる。小さいころから何かと問題を起こして親を困らせていたか、逆に、手のかからない良い子で、『反抗期がなかった』というくらい、見かけ上、母親との関係が良かったか。

早くから問題が出るケースは、それだけ問題が深刻なことが多いが、必ずしも、結果が悪いわけではない。問題を噴出させることで、否応なしに親がかかわるようになり、状況が改善し、大人になったころには、だいぶ落ち着いているというケースも少なくない。

良い子を続けてきたケースの場合は、一見問題はそれほど深刻でないかのように思える。しかし、長年我慢し、問題の噴出を遅らせた分だけ、ダメージが広がり、取り戻すのが容易でない面もある。

もう、大人になっている場合には、いまさら甘えると言っても、抱っこしてもらうわけにもいかない。親も年が行き、子供の求めに応えるだけのエネルギーや若さが、もう残っていないという場合もある。ただ、それでも、親が子供に向き合い、何年か踏ん張ることで、安定を取り戻すという場合もある。
【254】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時46分)

《P-8》


どちらのケースにも言えることは、親が問題を理解し、子供への接し方や考え方を変えることで、回復が促されるということだ。まだ子供の場合には、親が変わると、子供は劇的に変わる。もう大人になっている場合には、もう少し時間がかかり、傷の深さによっても違ってくるが、親が本気で考えや行動を変えた場合には、大きな変化が現れる。

だが、親が自分の非を顧みず、子供のせいだけにして、変わろうとしない場合には、回復の過程はより難しいものとなる。残念ながら、こうしたケースの方が多いのが実情だろう。しかし、その場合でさえも、子供は何とか回復していこうとするし、実際、時間は長くかかるが回復を遂げていく。その場合には、親代わりとなってくれる存在、安全基地となってくれる存在が不可欠な役割を果たす。

そうした存在との関係の中で、自分に不足したものを補い、自分を苦しめている自分の歪みを修正していく。本来は、親との間でなされるべきことを、親代わりの存在との間で成し遂げ、失われた時間を取り戻すのだ。


反抗期や親を批判する時期が、子供が大人になるのに必要なように、母という病を抱えた人が回復するためには、母親を批判し、反抗する時期が必要だ。親に対して批判的になるだけでなく、自分が抱えている問題の一端が、母親にあると言い出し、母親を責めるということも起きる。

親の方は、それまで、親の言うことをよく聞き、優しい良い子だと思っていたのに、急に親に対して攻撃的になり、親を責めるようになるので、慌てることが多い。その時、それをどう受け止め、前向きに乗り越えられるかが、回復を左右する。

ありがちな対応は、親の方が守りに入ってしまい、子供の言い分に耳を貸すよりも、自己弁護に汲々とし、それどころか、自分のことを棚に上げて、「親を責めるとは何事だ」と逆ギレしてしまうということだ。それでは、何とか子供が勇気を奮って、自分の問題に向き合い、回復しようとするせっかくのチャンスをフイにしてしまう。
【253】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時45分)

《P-9》


子供は、親を傷つけまいと、ずっと言いたい気持ちを我慢して、子供なりに合わせてやってきたのだ。それが限界まで来て、身動きが取れなくなってしまい、自分を縛ったものを断ち切ろうと、決死の叫び声をあげているのだ。

それを正面から受け止めて、子供の気持ちを汲み、それに応えてやることができれば、子供は親の一言で、気持ちにケリがつけられるかもしれないのだ。たった一言でも親らしい言葉が返ってきたら、子供はもう許していいとさえ思っているのだ。

子供も過去の嫌なことを解決したい。それを引きずって、親を責め続けたくはないのだ。だから、許すきっかけがほしいのだ。許せるような真摯な対応を見せてほしいのだ。


子供の方がずっと親のことを思い、子供の方が親よりも、大人になろうとしている。親が子を思うよりも、子の方が親のことを思っている。母という病を抱えた人では、親と子の関係が、大抵逆転している。それでも、子供は親のことを憎みたくない。できれば、親のことを許したい。そんな子供の気持ちを少し汲むだけで、子供は心を動かし、過去の傷を脱して、前に進もうとする。


子供が反抗的になり、親を責めるようなことを言い出したときは、これまでのゆがみを正し、関係を修正しようとしているのだ。それは、親とのかかわりの区切りをつけて、自立へ向かおうとしているということだ。

その言葉に耳を傾け、子供がどこで傷つき、何に矛盾や痛みを感じてきたかを、心から受け止めるだけでいいのだ。その思いに、まっすぐな気持ちで向き合うことだ。自分を弁護せず、その苦しみを共有し、一緒に泣くことだ。

本当にその子の痛みを感じるならば、一緒に泣くだろう。その場で泣かずとも、その心を思って、陰で泣くだろう。そうして受け止めるしかないのだ。傷をいやすには、怒りや苦しみを吐き出し、涙で傷口を洗うしかない。それが一番の近道なのだ。
【252】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時45分)

《P-10》


だが、あまりにも傷が深い時、最初は涙など出ない。カラカラの砂漠のように、心も乾いている。何の感情もわかず、言葉すら出ない。親のことなど、もう考えもしないし、どうでもいいことのように語る。しかし、それは、表面的な言葉に過ぎない。

ポツリポツリと言葉を紡ぎだすうちに、表面の固い殻が破れ、少しずつ気持ちが言葉になり始める。その段階で出てくるのは、親からされた否定的な体験だ。こんなひどいことをされた、あんなひどいことを言われた、と傷つけられた出来事が吐き出されていく。母という病を克服するためには、この作業がとても大事だ。親の否定的な側面を徹底的に言い立て、怒りをぶつけ、嘆きや恨みを語ることが大事なのだ。

それは、遅くやってきた反抗期だ。今まで心にしまい込んできた恨みつらみを、親に対してずっと我慢してきた思いをぶちまけるのだ。

親が向き合ってくれるのならば、親に語り、受け止めてもらうことが、もちろん、最も迅速な癒しと回復をもたらす。しかし、これまでの経緯や縛りの中で、なかなか最初から子供に向き合ってくれる親はいない。もし、そんな風に向き合えていれば、そもそも母という病で苦しむこともなかっただろう。親が子供の気持ちにどこか鈍感で、自分の気持ちにばかり注意が向いてしまうから、子供は苦しんできたのだ。

自分の非を絶対認めようとせず、自分こそが子供から迷惑を受けてきたと固く信じているケースの方が多い。子供のことを、あの子はねエと、眉をひそめながら否定的に見て、それが子供の正当な評価だと思っている。自分の否定的な評価こそが、子供の可能性を捻じ曲げ、壊してきたということに気づかないのだ。

親に分かってもらおうとすればするほど、壁や隔たりを感じ、傷つくということも起きる。ましてや、本音をぶつけたりすれば、親から強い怒りと拒否が返ってきて、親から見捨てられるという思いに打ちひしがれてしまうかもしれない。
【251】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時44分)

《P-11》


その状況が目に見えるようだから、結局親に面と向かい合うと、何も言えず、親の機嫌を取ってしまう。ただ、不機嫌な顔をし、親に苦しさを分かってもらおうと、自分を傷つけ、自分をダメにするようなことをして、ますます親から呆れられるという悪循環が繰り返される。

表面の行動の背後にある思いに目を注ぐことができれば、事態はいくらでも変わるのに。子供にも意地があるが、親の意地の方がもっと強いということが多い。子供は、本当は変わりたい。だが、親は変わる気がない。親が少し動いてくれるだけで、子供はその何倍も動こうとしているのに。


そもそも青年期から成人期の初めに、様々な問題が噴出し、症状となって表れるのも、ある意味、子供時代に溜め込んだねじれを解き放ち、大人になる前に、本来の状態を取り戻したいという本能的な願望を持つからだろう。

母という病は、愛着という絆の病でもある。母という病を抱えた人は、不安定な愛着に苦しんでいる。それは、大抵子育てに手を抜いてしまったか、手をかけたつもりでも、子供へのぬくもりのある愛情よりも、親としての支配や満足が優先してしまった結果だ。一言でいえば、本当の意味での愛情が不足したのだ。

では、安定した愛着を築き直すには何が必要なのか。

愛着は、手をかけ、暇をかけ、関わる中でしか築かれない。要領よくなどという方法はないのだ。ごまかしがきかない。かかわった分がそのまま表れる。もう一度、赤ん坊が生まれた気になって、手をかけ、暇をかけ、関わるしかないのだ。母性的な献身をやり直すしかない。

母という病を抱えた人が、しばしば不安定になったり問題を起こしたりするのは、母という病が生きづらさを生み、安定した生活を妨げるからでもあるが、それは、一面の意味に過ぎない。もう一つの重要な意味は、病気や問題を生じることによって、母という病を克服するきっかけを得ようとする自己修復の試みだということだ。
【250】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 03時17分)

《P-12》


母という病が、関わり育て直すことでしか克服されないとしたら、一番の近道は赤ん坊のような状態に逆戻りして、一から世話をされ、甘え、愛情をもらうことかもしれない。実際、母という病が深刻なケースでは、赤ちゃん返りした状態がしばしば見られる。それを受け入れ、とことんその状態に付き合うことが、安定を回復するきっかけとなる。

問題が起きるのを、「また困らせて」とネガティブに捉えるのではなく、回復しようとして、関わりを本能的に求めているのだ、と考えれば、目の前で繰り広げられていることも、全く違った意味を持ってくるだろう。


《冬美の場合、再び》

ずっと優等生で、手のかからない子だったのに、急に不安定になって、過食や自殺企図を繰り返すようになった冬美の場合も、赤ちゃんに戻ったような時期がみられた。

不安定になってからの冬美は、それまでの自立した冬美とはまるで別人のように、母親に甘え、無理難題を言い、思い通りにならないと悪態を吐き、しかし、また不安になると、頼ってくるという状態になった。横に布団を敷いて眠り、最後には抱いて一緒に寝てくれと言い出した。そして、自分は我慢ばかりしてきたと、母親に対する恨みつらみを語るのだった。

母親としては、あの頃は、何も言わなかったのに、今さらという思いだったが、本人の気持ちを受け止め続けた。本人が一緒に寝たいと言えば、一緒に寝た。体を撫でてほしいと言えば、撫でてやった。まるで赤ん坊にするように甘えを許しのだ。

そうして甘えると、冬美の表情は和らぎ、安心したように眠った。幼いころに、甘えそこなった分を取り戻すことで、傷ついた心を休めているようだった。
【249】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時43分)

《P-13》


いつまでこの状態が続くのか、母親や周囲は危ぶんだ。しかし、何年もは続かなかった。半年ばかりをそうした状態で過ごした後、冬美は納得したように、自分のベッドで寝るようになり、自分でアルバイト口を探して、そこに通うようになった。そのうち正規職員の採用試験を受けたが、母親が不思議がったぐらい、外ではきちんとやりこなすらしく、面接も一発で合格した。合格してから、本当に大丈夫か、本人の方も少し不安になったが、最初の数日を乗り切ると、定着することができた。

それでも、何か問題が起きるたびに大騒ぎをして、母親は相談に乗らねばならなかったが、赤ん坊のように抱いて寝ていた時のことを思えば、さして苦にもならなかった。とことん付き合う中で、冬美は安心感を手に入れ直し、自分でも、小さな自信を少しずつ積み重ねていった。

10歳ばかり年上の、半分保護者的な男性と知り合い、付き合い始めたときには、また悪夢がぶり返すかと気をもんだが、今度の男性は、冬美のことを負担に思うどころか、自分を頼ってくれることがむしろ嬉しいようだった。結婚が決まったころから、冬美は一段と安定し、母親に相談を持ち込んでくることも減っていった。

母親は、そんな娘の姿を見ながら、冬美との格闘の日々が、本当の子育てだったような気がした。ある意味、自分が若くて仕事で忙しかったときには、子育てをおばあちゃんに任せっきりにして、半ばスルーしていたことに気づいたのだ。

自立して、嫁いでいく前に、娘はもう一度、し忘れていたことをし直す機会を与えてくれたのかもしれないと思った。それは、ある意味、本当の親子になるということだったのかもしれない。

母親は、娘が何で騒ごうと、ドンと受け止められるようになっていた。あれだけのことを乗り越えてきたのだから大丈夫だと安心させ、ポジティブな眼差しで、アドバイスをすることが自然にできるようになっていた。
【248】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時43分)

《P-14》


それと同時に、かつての自分が、いかにネガティブなことばかり言い、冷笑的な言い方をして、知らず知らず娘を傷つけてきたかということにも気が付いた。それを当たり前に思っていたので、自覚することもなかったが、人一倍繊細な娘の気持ちを、知らず知らず損なっていたのかもしれない。

娘が様々な問題を起こしてくれたおかげで、母親自身、自分の偏りや鈍感だった点に気づけて、成長できたと受け止めている。


(ふ〜っ、とりあえず、ここまで。長いようですけど、これでも、原著の10分の1もないのです)
【247】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月26日 22時44分)

>アッポw
>>洒落でもないし
>>とんちでもない
>>屁理屈にもならん(沙*・ω・)


ごめん、ごめん。

【236】が、上から目線になってるね。


【204】の

>なんで冷たい烏龍茶は有料で
>熱いお茶無料やねん?

を読んで、オレも『確かに、変だな』と思ったんよ。

で、まともに考えて、まともに疑問を解いて、自分に言い聞かせるような感じで書いちゃった。

これじゃ、会話のキャッチボールにならんわな。

反省。
【246】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月26日 22時05分)

のほさんのレス読んで、健さんがスモーカーかどうかという問題は解決しちゃったから、

その問題を飛び越して、ギャグに走ったのさ。

そのくらい、分かれ。

ねえ、のほさん。

ダメ?。
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