返信元の記事 | |||
【44】 | RE:パスカルの賭け もりーゆο (2013年04月27日 23時23分) |
||
【パチンコの神の存在を信じることで至福が得られる】 【パチンコの神の存在を信じることで失うものは何もない】 そこが真でない限り 「パスカルの賭け」の様に 「神が存在する方に賭けるという判断が賢い」 とは言えない ここで述べられる「パチンコの神」は、パルカスの賭けで言うところの「神」と同種のものとは限らない。 パルカルの賭けで述べられる「神」のように、 信仰に忠実なものを救済する存在なのか? 信仰に忠実であることで失うものは本当に無いのか? (「パチンコによって失うもの」では無い) パチンコの神を信じようが信じまいが、パチンコに費やす時間や金額、ストレス等に何ら差が無いならば それは「信仰によって失うものは無い」と言える 「パチンコの神」を、「ボーダー論」や「オカルト」と置き換えても良いだろう。 失うものが同じであり、それを信じることで「より楽しめる」ならば それを信じることが正解である。 結局それを真とするには 【パチンコの神の存在を信じることで至福が得られる】 【パチンコの神の存在を信じることで失うものは何もない】 これが真であることが必要である。 |
■ 49件の投稿があります。 |
5 4 3 2 1 |
【45】 |
Piro (2013年04月28日 18時43分) |
||
これは 【44】 に対する返信です。 | |||
な…なるほど。。 素晴らしい。。 ん〜。。 そこで疑問が出てきたんですが。 パスカルの宗教の福音では 信じる者には失うモノはないとされているんでしょうか? そしてそれが真であるという事が証明されているのでしょうか? そうでないなら >失うものが同じであり、それを信じることで「より楽しめる」ならば それを信じることが正解である。 ↑から同義で考えてもよいのではないかと思うので もしそうなら、問題は真でなはく定義に成るのでは。。という考えはどうでしょうか? |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
© P-WORLD