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【3013】 | スペエースさん☆ 侍魂 (2008年11月14日 14時25分) |
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スペエースさん☆ 魂ちゃ〜お。(o^∇^o)ノ > 赤、白、黄色〜、そうですね。< > 歌にも出てきませんね。< バラもそうですが,青紫色までは出せるそうですが, 今のところ原色の青が出ないそうですよ。(*^ー^*) > 遺伝子組み換えが出来ても全てが人工で出来る訳じゃないんでしょうね。 > 自然に癒される所以はそこらへんにもありそうですね。< 自然美は感動の心の鐘を打ち鳴らします。 自然美は感動ならば,人工美は感嘆でしょうかね。(V^−°) > 時代劇に描かれる程、 士農工商の身分差はなかったのかもしれませんね。< > 以前、ご説明頂いた切り捨て御免も踏まえますと、 > 武士の生活の方が窮屈だったかもしれないですね。< 武士は常に武士(又は武家)としてのプライドとステータスを, 守らなければならなかったので窮屈だったでしょうね。(~ヘ~;) 武家の生活には必ず・・ 慣例と仕来りと世間体が重圧の如くのし掛かっていた様ですよ。 嫡男は常にお家大事を念頭に置かなければなりませんし, 次男以下は結構自由奔放に出来ましたが,お家にとっては居候です。 しかし独立したお家(≠建物)がないため結婚出来ず・・ 結婚したければ,婿養子が殆どでした。( ̄~ ̄;A 「武士は食わねど高楊枝」とは浪人侍を指していると思われがちですが, 実情は大半の侍も程度の違いが有れ,似た様なものです。 だから,副業に勤しむ家も多かったらしいですよ。( ^0^;) ここの辺りは,山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』に描かれていました。 初めて観た時は,当時の生活風習を上手く捉えていると関心しました。(^▽^)V > 堺屋太一氏には豊臣秀長の存在を世に大きく知らしめた書がありますが、 優秀な補佐役の存在は大きいですね。< 以前もお話ししておられたと存じますが, 大和大納言秀長をお好きなのですね。(o^^o) 私も豊臣政権の影の様な存在且つ, 自分の技量と器量を弁えて奢る事がない偉人で,秀長は好きですね。(*^0^*)b > ホトトギスの俳句は丹波地方で明智光秀にもあるそうで、 「鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス」と 言い伝えられているそうです。< > 本能寺の変から山崎の合戦に至るまでの謎が残る行動、 故・司馬遼太郎氏の著書で家康に 「日向守は誰かに天下を取らせるために信長を討った」と 思わしめたことを考えると、 何となく性格の一遍が垣間見える気がします。< 成る程,そんな俳句が在ったのですね。 千利休なら差詰め・・ 「鳴かぬなら 殺されましょう ホトトギス」ですね。(* ̄∇ ̄*) エヘヘ 光秀の行動には疑問や謎が点在していますよね。 現代社会なら精神異常者だと判断されてしまうかも?ですね。(ー.ー") |
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【3015】 |
S・Pエス (2008年11月14日 15時16分) |
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これは 【3013】 に対する返信です。 | |||
侍魂さん、こんにちは。 >バラもそうですが,青紫色までは出せるそうですが, >今のところ原色の青が出ないそうですよ。(*^ー^*) 流石物知りですね。そう言えば、色の三原色は赤、青、黄色ですが、光の三原色は赤、緑、黄色でしたよね。もしかして自然界で青って稀少なのかもしれませんね。昔は緑を碧(あお)色とも言っていたと思いますが、自然ってやはり凄い感じを受けますね。 >自然美は感動ならば,人工美は感嘆でしょうかね。(V^−°) 上手い。納得です。 >ここの辺りは,山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』に描かれていました。 >初めて観た時は,当時の生活風習を上手く捉えていると関心しました。(^▽^)V TV番組のスタッフ紹介テロップに「時代考証」とありますが、侍魂さんも同じ様な視点でご覧になっていらっしゃる様ですね。 私は役者さんの演技に見とれてしまいますよ。 >光秀の行動には疑問や謎が点在していますよね。 >現代社会なら精神異常者だと判断されてしまうかも?ですね。(ー.ー") 実は私は少し違う視点で見ています。 少し前の民放番組で、朝廷を尊重し秩序を重んじる光秀が公家達に懇願され、朝廷を超える絶対君主制を目指す(もちろん、仮説ですが)信長を討った、と言うストーリーはあながち的外れではないような感じがします。 本能寺の変当時、信長は家督を嫡子・信忠に譲っており、朝廷からの官位・役職も辞退していました。 朝廷側の三職推奨は、信忠に征夷大将軍を任命するよう強制的だった信長に対する誘いだったかもしれない。征夷大将軍は源氏と言う慣例で逃げてい朝廷も、正親町天皇の譲位(狙いは時期天皇と自分の娘との間に子を設けさせ、天皇とすること、院政への布石)と共に迫る信長をかわしきれない危機感が、公家達と光秀を本能寺に走らせたとも感じられます。 尤も、これらは推測の話ですから、まともに取り合わないで下さいね。歴史ってこんな解釈も出来るのかな?と言う私の偏見でした。 |
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