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【1431】 | RE:【隔離病棟本館】 隔離病棟監視官 (2021年06月01日 21時51分) |
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では、大好評につき、連載再掲。 ≪ベトナム戦争の一真実≫ 『ソンミ村虐殺事件』 ≪ページ1≫ 1968年3月16日、 バーカー任務部隊(機動部隊)の一小隊が 南ベトナム、クアンガイ省(現キアビン省)ソンミ村の ミライ地区と呼ばれていた一群の集落に進撃した。 小隊の任務は、典型的な『策敵掃討』、 つまり、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)兵士を見つけ出し、 これを殲滅することだった。 このバーカー任務部隊は、 ベトナムで行動していた他の部隊に比べて とぢらかと言えば急ごしらえの寄せ集めの隊で、 それまで何の軍功も上げていなかった。 敵と交戦することもなく、 地雷や仕掛け爆弾で 隊内にかなりの数の死傷者を出していた。 クアンガイ省はベトコンの拠点と考えられており、 一般住民も、ほぼ共産ゲリラの支配下又は影響下にあるとされていた。 住民はゲリラを支援幇助し、 そのため、戦闘員と非戦闘員の区別が付けにくいと一般に考えられていた。 したがって、アメリカ兵たちは、 この地区のベトナム人に憎しみを抱き、 住民を信用していなかった。 陸軍情報部によると、 ベトコンはミライ地区の住民にかくまわれているとの事で、 そのため、地区内に潜んでいるベトコン戦闘員を見つけ出すのがこの部隊の任務とされていた。 作戦の前夜には予感のようなものがあり、 ようやくにして部隊が敵と交戦し、 進撃の目的を果たすことができる、 とのムードが隊員たちを支配していた。 その夜、下士官や下級将校に与えられた上層部からの指令は、 戦闘員と非戦闘員の区別については、 せいぜい、あいまいなものでしかなかった。 全隊員がジュネーブ協定を十分に心得ていることにはなっていた。 |
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【1441】 |
情報屋a (2021年06月02日 00時05分) |
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これは 【1431】 に対する返信です。 | |||
【ゴキ○リ○ソ魚○郎が惨めで哀れで愚かで臭い百の理由】 隔離病棟に物申す者は自分の味方だと思っている。 ・・・実際には一人もいない。 |
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