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【324】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 23時12分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
********************************************************************************* 当初私は宿題をしない日も有ったが、先生に褒められたい一心で勉強を 頑張った。数学は当初から勉強しなくても問題を解けたが、 全く苦手で出来なかったのは英語だった。 当時私学で成績は中の上だった私は2年に上がる頃には学内で一桁台の 成績を維持するようになっていた。 中学2年の夏、K先生が一緒に海にドライブに行かないか?と誘ってくれた。 テストの成績も良かったので、俺へのご褒美だと。 「何で咲が頑張ったのに、先生へのご褒美なのっ♪」 そう照れ隠しに、しかし紅潮した頬で私は必死に応えた。 K先生は大きなバイクに跨って、私にヘルメットを渡した。 二人で神戸の海岸をドライブした。 ▽ 私はそれまで、真実の恋がどんなものであるか分かっていなかった。 多分、あれほど本気で切ない恋を経験することは もう二度とないだろう。 ▽ 水着を持っていなかった私は、スニーカーを脱ぎ、ショーパン&裸足で 海にどんどん入っていった。 いつも勉強嫌いでテストの出来が悪く、お稽古ごとを次々やらされてはサボり続けていた私は この海で遊んだ、走った記憶がとても楽しく、鮮明に記憶されていた。 K先生は、それを笑って、そして黙って見つめていたかと思うと、 少しずつ海へ近づいてきた。 ▽ ▽ 私はその気配に直ぐに気付き、ふざけてK先生に海水をピシャっとかけた。 ―――――――先生はニコリとも笑わずに私を突然抱きしめた。 ………いつになく、真剣な表情だった。 それからは、何がなんだか覚えていない。 ………いえ、正直言うと全部鮮明に覚えているけど。 K先生は「私のことを大好きだから、一生絶対に離さないから」と言って突然kissをした。 甘酸っぱい、胸が締め付けられるような、優しい、そして苦しい“檸檬のKISS”だった。 今までしたKissは何だったのだろう...と思うほど、気が遠くなるKissだった。 ** K先生との想い出はまだまだ沢山ある。...が。 これよりサキは「檸檬のKISS」本編で語られている内容なのでここでは割愛する。 ********************************************************************************* |
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【323】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 23時06分) |
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********************************************************************************* その1年半後。阪神淡路大震災が起こる。 私は、その、命より大切にさえ想っていた初恋の人を失った。 心はまだ未熟な時に。 それだけではなく、咲をとても可愛がってくださっていた叔母も、 そして幼馴染の一番の大親友も。 私の中で何かが壊れ、私はもう生きて行けないと思った。 私は、誰かをもう二度と愛さない、と決めた。 ▽ ▽ それから6年後、私は気付けばケニアの小さな病院にいた。 ** その後、抜け殻となった私は、 心は完全に折れたまま、何かにしがみつくように生きた。 看護師、そして保健師両方の国家試験受験資格を取得できる大学の医療系学部に進み、 大学時代の4年間はとにかく働いて...働き続けた。 母の友人が新地にクラブを経営しているからと、私に是非来ないか?と スカウトしてくださった。 どうせ一度は無くなりかけた命。 私は何でもやってみようと想うようになった。 ** 勤めだしてまず驚いたのは、客層・客筋のグレードの高さだった。 市会議員・官僚は勿論、芸能人も多く通うお店で、マナーや接客の教育は それはそれは厳しきものであった。 BOX席、当時おひとり50,000円を下らなかった。 とにかく座るだけで50,000円。勿論、ここにボトルキープ代・ミネラルに フルーツ代などが乗るので、平均客単価は80,000〜100,000円程度だった。 私の時給はここでは伏せるが、恐らく月に20日稼働すると、今の大手企業の 常務クラスの月給に相当したであろう。 ▽ ******************************************************************************* |
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【322】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 23時00分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
****************************************************************************** しかし、出て行く金額も相当なものだった。 「真のものを身につけなさい』というオーナーの教えどおり、 身につけるものにはこだわった。 ドレス代、セット代は勿論、アクセサリーや時計、靴、バッグ、 お客様へのプレゼントは全て自腹だった。 お給料の『約半分』は軽く消えていった。 接客マナーについては専任のマナーコーチがいた。 毎日読む新聞、株価を始め、経済のこと、教養のこと、毎日のニュース、 言葉遣い、話し方、お手紙の書き方、贈り物の仕方など 全てを厳しく叩き込まれた。 ▽ 学業との両立で、毎日がいっぱいいっぱいだった。 しかしそんな繁忙な毎日で、辛かった過去の日の気持ちを少しずつ、また少しずつ 紛らせるようになっていた。 そうして私は、気付けば。 「誰からも愛されること」を念頭に、生きていた。 自分の意思なんてどうでもいい。 愛されればそれで満たされるとさえ。 私を愛してくださる人に寄り添うこと。 それが幸せだと思い込み、信じ込むようにした。 もう、どうでも良かった。 人のことなんて、二度と愛せないと思っていた。 ▽ ▽ ********************************************************************************* |
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【321】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時59分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
********************************************************************************* 彼を追いかけ、一緒に旅立とうと何度想ったか。 そうして私はいつしか この魂を誰かの為に費やしたいと考えるようになった。 私は医療の路を目指すと決めた。 私はそんな繁忙は大学生活を終えて国家試験に合格した初年度、 就職した病院の国際ボランティアのインターンシップ制度を利用し、 半年間という短い期間ではあるが海外に単身で渡航した。 当時は無我夢中だったが本当に良い経験をさせてもらった。 それがご縁で、今でも数年に一度、海外でお仕事をさせてもらうこともある。 医療は治療方針は違えど、全世界共通である。 薬についても成分さえ分かっていれば、薬名が分からなくても添付文書を 見れば大体網羅できた。 大変だったのは、「マインド」の違いだった。 海外旅行でしか国外に出たことが無かった私にとって、 まさにカルチャーショックだった。 「文化の違い」「言語の壁」...いや、それよりも、日本人独特の「曖昧力」が 業務を遂行する上で大きな軋轢となった。 ▽ ▽ 海外で仕事をして初めて気づいたのであるが、「YES」「NO」の境目が ハッキリしていた。 現地で一番指摘をされたのが、 「understand/理解したのか?」「doing/行動」の二つだった。 厳しい研修を受けて来たはずなのに、最初の頃、何故その指摘を受けるのかを まったく理解できなかった。 それほど、日本では「ファジー」で「曖昧」な意識でも通用してきたことが 多かったのだ。外に出るまで一度も意識したことがないことだった。 海外ではモロッコ、ケニアにそれぞれ3ヶ月ずつ派遣された。 言語の壁はあったが、それより上記のマインドの違い、慣習の違いで 精神的にハードな時を過ごした。 考え方が180度変わったのは、この国際ボランティアに参加してからが 最も大きなきっかけだった。 ********************************************************************************* |
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【320】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時59分) |
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********************************************************************************* 「八方美人」が大嫌いな理由。 ―――――――それは、かつて若かりし頃、 私自身が八方美人だったからだった。 誰からも愛されることが良いことであると思っていた。 ぽっかり穴が開いた、その心を埋めるものは、 誰からも「愛されること」だった。 クラブで勤めていても。 また、病院で働き始めたときも。 まず「敵を作らないこと」を念頭においていた。 相手の気持ちに沿うことを優先した。 その結果、何かとてつもなく“大切なもの”を失った気がする 今日この頃なのである。 ▽ ▽ 最近、これらのことを意識しないまま過ごしていたが、 寒気がするほど「八方美人」に反応するようになったきっかけは 直近の恋愛だったのだと後から知った。 去年の夏まで約2年間、付き合っていた彼は、 まさにこのタイプだった。 はっきり意思を示さない。 私に嫌われることはしない。 行きたいところ、食べたいもの、全て私に合わせてくれた。 ▽ ********************************************************************************* |
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【319】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時55分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
********************************************************************************* 何度も交際を断りながらも付き合った彼は、いつでも優しかった。 しかし、2年経って気付いたが、彼にはいつも “誠実さ”が欠けていた。 大切な人に平気で嘘をつく。 約束は守らない。 曖昧。 仕事に対しての情熱を感じない。 いつも周りに気を使い、嫌われない努力をする。 ** 私はいつしか、その恋愛に疲れ、こちらから別れを切り出した。 筋を通さない人は大嫌いだった。 それまでも何度も別れを切り出したが、私はもう我慢の限界だった。 とうとう私は、最後のカードを出した。 「別れて欲しいの」 彼は黙って頷いた。 「咲は俺のどこが好きだったの?」 私は、「そんなの、分からない。」と応えた。 今となっては、本当に彼のことが好きだったかどうかも、もう 分からなかった。 当たり前のように一緒に毎日を過ごし、そばにいてくれた。 恐らく、私はこの人と一緒になるのだろうと、思っていた。 彼も、近々結婚する意志は固かった。 彼は一晩泣いていたようだった。 ▽ ▽ ********************************************************************************* |
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【318】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時58分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
********************************************************************************* が、その涙は、私の労わりへの涙ではなく、 「俺は何も分かっていなかった」と。 自分の思惑違い、私がその時まで“幸せだと感じている”と 思い込んでいたことが間違いだった、という自責の念に囚われた涙だった、 と彼は言った。 私は最後に、この人とお別れをして本当に良かったと思った。 これほど冷たく、冷酷で、見かけは優しく見えても、心の中では。 自分のことしか考えられない彼氏は初めてだった。 私はその夏頃から、「八方美人」に対して、 極端なほど、そして悲しいほどの嫌悪感を抱くようになった。 「事なかれ主義」についても同じように。 その彼を彷彿させることもあって、極端な嫌悪感を抱くようになった。 時には胸が締め付けられるほどの激しい怒りと共に。 毎日を平和に、幸せに、波風立てず生きるのもいい。 それはそれはとても素晴らしいことなのである。 一緒にいる時は、それを当たり前のことに想うと共に だが、強い(こわい)ほど“ごくふつうの幸せ”だと感じていた。 しかし、それは ひとたび状況が変われば。 そのサキ何か大きなトラブルや『波風』が立ったとき。 事なかれ主義を貫いていると、 その『波風』に立ち向かうことや乗り越える術を 知らないまま、波に飲み込まれることになるのである。 ********************************************************************************* |
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【317】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時53分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
********************************************************************************* このまま彼といることは、出来なかった。 あまりにも考え方の相違があった。 そしてそんな不誠実な考えと要素を持ち続け、一向に変わらない彼。 ―――――――私は一緒にいる自分さえもを軽蔑し、許せなかった。 私の中には未だ、「八方美人」を、「事なかれ主義」を “許せない自分” “肯定する自分” ...の両方が棲んでいる。 嘗て私自身が「八方美人」だったように。 「事なかれ主義」を幸せだそのものだと思い込んでいた日のように。 しかし、その彼と別れることによって、 それらは全て、私の中で完全に「否定的な生き物」と姿を変えた。 私は、明日、もし この「命」失ったとしても。 ―――――――後悔無きよう、今を生きたい、と想う。 「八方美人」と「事なかれ主義」−内部に潜む可能性− FIN ********************************************************************************* |
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【316】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時39分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆レモキスニュース速報☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆ ぴんぽんぱんぽ〜ん♪ レモキスニュースのお時間です♪ レモキス部屋 「咲」 の初恋物語?? ついに脱いだ?? あのヌード集が?? 今から長編がUPされる模様... 真実やいかに?? レモキスニュースを終わります♪ 檸檬のKISS 第三広報部 ☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆レモキスニュース速報☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆☆★◇◆ |
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【315】 |
咲(サキ)SAKI (2015年04月28日 22時32分) |
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これは 【301】 に対する返信です。 | |||
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