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【11】 | 不遇なご先祖様(歴史系) パチ屋の狼 (2012年08月25日 01時13分) |
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初めまして。スレ立てさせて頂きます。 私のご先祖様は、「佐々成政」と申します。私の家系は、佐々(木)源氏といい、この佐々成政が起源と言われております。 佐々成政自身については、Wikiなどで検索すれば解りますので、ここでは割愛いたします。 この佐々成政ですが、後の黒母衣衆筆頭という要職にありながら、大河ドラマを始め、いかなる歴史系の作品に、ほぼ出て来ません。顔はもとより、名前すらロクに出させてもらえぬ有様です。 私が知っている中で、唯一それなりの顔出しと見せ場があるのは、ご存知「花の慶次〜雲のかなたに〜」(作画・原 哲夫)だけです。 花の慶次のパチンコを打たれた事がある方ならば、誰もが一度は見たであろう復活当たり「だが、それがいい。」は、ここから来ております。 佐々成政「意地を通すのも、不便なものよのう。」 前田慶次「だが、それがいい。」 (第1巻 終盤の末森城攻防戦後、敗れた成政と慶次の会話) この、「意地を通すのも〜」は、存在自体が空気でして、慶次の確定演出である「だが、それがいい」とは天地の差があります。 成政自身も、パチンコにおいてセリフこそあるものの、ほんのチョイ役で、大当たりにもさっぱり絡みません。 せいぜい「意地を通すのも〜」から「佐々成政、これより修羅に入る!」でリーチ確定するくらいです。 たま〜に、喧嘩や呑み比べに発展しますが、ほとんど失敗。 時短中にも一応出番がありますが、私はそれで当たった事がありません。 なお、漫画では末森城の戦いでほとんど慶次一人にやられた事になっていますが、実際はもちろんそうではありません(てか、あの漫画の慶次の強さはもちろんフィクションですw)。 戦力も、1万5000ではなく、実際には10000vs2500(前田軍)という事になっています。 まあ、負けた事には変わりは無いのですが・・・。 結局の所、何が言いたいのかと言うと、 「それなりに歴史上の重要人物であるにも関わらず、あまりにも出番の無いご先祖様が不遇でならないので、せめてここで愚痴らせて下さいw」 (ついでに、その他の歴史もののパチ・スロ台でも全く出て来ない。) っと言う事ですw ちなみに、慶次の叔父の利家とは友人関係にありまして、詳しくはやはりWikiなどに譲りますが、利家とはあまりにも歴史上の待遇が違う事も、残念なところです(あちらは大河の主役やその他の歴史ものにも出まくりですがw)。 さらに、柴田勝家配下という事で反秀吉色が強く、実際に秀吉が嫌いだったそうですが(某オンラインゲームでも、勝家を尊敬して秀吉の事を嫌っている様なセリフを言います)、秀吉の方はそんなに成政の事は嫌いでも無かったと言う話もあります。 そんなこんなで、歴史ものでは不遇なご先祖様ですが、いつか光が当たる事を夢見て。 長文失礼いたしました。あと、間違いがあれば、すいません。 |
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【8】 |
パチ屋の狼 (2012年09月03日 01時36分) |
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本日、初めて甘焔を打ったのですが、成政の出番が増えていて、うれしかったです。 ただ、信頼度はどれも相変わらず空気でしたけど・・・w あと、「意地を通すのも〜」のセリフが無くなっているみたいで、それが少し残念でした。あれは残しておいて欲しかった。 何せ原作での一番の見せ場だったと思うのでw MAXに手が出せないので、これからは甘焔で勝負です。 「佐々成政(の子孫)、これより修羅に入る!!」 だって、釘が渋いんだもん・・・w |
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【6】 |
2ndインパクト (2012年08月30日 06時14分) |
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パチ屋の狼さん、はじめまして。 2ndインパクトと申します。 佐々成政を御先祖様に持つと言う事で、逆に羨ましいですよ。 少なくとも正史に名を残す人物をご先祖に持ってるっていう人は、そんなに居ないと思う訳です。 佐々成政が世間で軽く扱われているという、憤りは分かるんですけどね。 ただ、前田慶次だって今でこそ漫画の「花の慶次」や その原作である隆慶一郎の「一夢庵風流記」で文武両道に優れた人物として描かれて居ますが 歴史書に描かれる事は少なく、描かれていても只の乱暴者として描かれる事もあるようです。 隆慶一郎は大変好きな作家でほぼ全作品を読んでいますが、思うに贔屓の引き倒しみたい所があって 好きな人物は超人的な人物として描くし、嫌いな人物はどの作品でも極悪な人物として描く事が多いです。 例えば、柳生宗矩などは世間一般では徳川将軍家指南から大名へと上り詰めた偉人として知られますが 隆慶一郎の作品では「影武者徳川家康」等で一貫として秀忠の下で卑怯で悪辣な策を弄する人物として描かれています。 知恵伊豆とも称された松平信綱も「死ぬことと見つけたり」で、同様の扱いを受けています。 だから、佐々成政の扱いも決して悪い方ではなくて、見所もある方だと思うのですよ。 ま、ピワの中に居ると、パチの演出などで不満が溜るかもしれませんが。 談話でも、こういう歴史の話が出来る所は少ないので、しゃしゃり出てしまいました(^^;) 失礼しました。また。 . |
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【4】 |
S・Pエス (2012年08月27日 08時28分) |
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パチ屋の狼さん、はじめまして。 佐々成政公が不遇かどうかは分かりませんが、織田信長公の黒母衣衆(伝令将校)筆頭から、肥後一国の大名に出世された能力は凄いと思います。 伝承や逸話も多いようですが、柴田勝家公に従って北陸越中(富山県)での治水事業など、領民に慕われる政治手腕にも長けた方だったようですね。 明智光秀公のように裏切り者のレッテルを張られ、実際の人物より悪く伝わっているであろう武将も多いかと思いますが、他の要因としては信憑性の高い資料が少ないことも事実と思います。 明智光秀公の裏切りは史実です、丹波や丹後の治世においては今でも名君の伝承があるようです。 佐々成政公に関する資料も少ないようですが、後年新たな資料が発見され、成政公の偉業などが分かるかもしれません。 そういう希望を持つのも良いように思いますので、ご先祖様と思われる方の研究が進むと良いですね。 稚拙な文章で失礼いたしました。 |
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【1】 |
奈V月 (2012年08月25日 01時41分) |
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何の話する板なの!? ってか主が佐々成政の子孫ってホント?ガチ? ガチなら震えまくるんだけど・・・ |
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