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【6】

RE:不遇なご先祖様(歴史系)

2ndインパクト (2012年08月30日 06時14分)
パチ屋の狼さん、はじめまして。

2ndインパクトと申します。

佐々成政を御先祖様に持つと言う事で、逆に羨ましいですよ。
少なくとも正史に名を残す人物をご先祖に持ってるっていう人は、そんなに居ないと思う訳です。

佐々成政が世間で軽く扱われているという、憤りは分かるんですけどね。
ただ、前田慶次だって今でこそ漫画の「花の慶次」や
その原作である隆慶一郎の「一夢庵風流記」で文武両道に優れた人物として描かれて居ますが
歴史書に描かれる事は少なく、描かれていても只の乱暴者として描かれる事もあるようです。

隆慶一郎は大変好きな作家でほぼ全作品を読んでいますが、思うに贔屓の引き倒しみたい所があって
好きな人物は超人的な人物として描くし、嫌いな人物はどの作品でも極悪な人物として描く事が多いです。

例えば、柳生宗矩などは世間一般では徳川将軍家指南から大名へと上り詰めた偉人として知られますが
隆慶一郎の作品では「影武者徳川家康」等で一貫として秀忠の下で卑怯で悪辣な策を弄する人物として描かれています。

知恵伊豆とも称された松平信綱も「死ぬことと見つけたり」で、同様の扱いを受けています。

だから、佐々成政の扱いも決して悪い方ではなくて、見所もある方だと思うのですよ。

ま、ピワの中に居ると、パチの演出などで不満が溜るかもしれませんが。

談話でも、こういう歴史の話が出来る所は少ないので、しゃしゃり出てしまいました(^^;)

失礼しました。また。


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【7】

もっと出番を。  評価

パチ屋の狼 (2012年09月01日 03時29分)

>>2ndインパクトさん。
物語で、敵として登場するか味方として登場するかで、その人物像も変化しますね。

例えば、ガンダムに敵として登場するシャアは、強くてかっこ良いし、ザビ家への復讐心を除けば、戦争の中であっても割と人格者として描かれています。

この様に、敵ながらあっぱれな登場人物がなぜ必要かと言うと、

「強敵が居るからこそ、味方が引き立つ。」

からです。
ヘボいザコばかり相手にしていては、味方が引き立ちません。
仮面ライダーで、ザコ戦闘員の後に怪人が出るのと同じ理屈です。

また、登場する敵の悪役ぶりが強い程、正義の味方もそれだけ目立つという訳です。

もちろん、それらの描写だけでなく、毎回のストーリーも優れていなければなりませんが。

もっとも、歴史においては、当然ですがそんなストーリーは無く、全てが偶然によるものです。

史実を曲げて物語が作られると、早い話が、

「ハリウッドで製作される、アメリカ万歳、アメリカ正義、アメリカ最高。」

みたいな映画になっちゃう訳ですw(苦笑

徳川家康は、三方ヶ原の戦いで武田に大敗した時に、わざと自分の惨めな姿を絵師に描かせて戒めにした、と言われていますが、秀吉を始めとして勝者になった人物は、都合が悪い事は記録から抹消したり、改ざんなどしています。

結局、物語の書き手によって、同じ人物でも全く違う姿で描かれる事があるという事ですね。

佐々成政が、あまり歴史の表舞台に出て来ないのは、歴史上の大事な局面で、その場に居合わせる事が少なかったのも、大きな原因だと思われます。

有名な桶狭間の合戦当時、すでに成政は織田家の武将でしたが、同じく同僚の利家の逸話は残っていても、成政に関する話は全く出て来ません。

また、長篠の合戦において、同じく利家らと共に鉄砲隊を率いて手柄を挙げているにも関わらず、武田の騎馬軍団を壊滅させた話があるだけで、個々の武将の話は全くありません。

成政は、当時すでに黒母衣衆筆頭になっていましたが、そこまでの身分になっても、この長篠の合戦の記録には、参加したという以外には全く名前が出て来ません。
長篠の合戦に名前が出て来る武将は、ほとんどが討ち死にした敗軍の武田の武将ばかりです。

勝った織田・徳川連合軍の武将に関しては、誰がどういった働きをして、どういう手柄を挙げたという事は、ほとんど触れられていません。

その後の、本能寺の変〜天王山の戦いでは、実質的に織田家の武将は、秀吉一人に手柄を独り占めされた状態でおいてけぼりになり、上司の勝家が動かなかった為に、成政も動く事はありませんでした。

同じく、その後の静ヶ岳の戦いでも、上司の勝家を裏切り間接的に秀吉を助けた利家、は記録に残りましたが、直接参加していない成政は、当然ですが記録には残っていません。

負け戦になった末森城の戦いでも、単に敗軍の将として名が残ったのみで、そのほとんどは、やはり勝った利家の逸話ばかりが有名になっています。

また、猪突猛進の猛将とされる成政ですが、実際にその戦いぶりが残された記録はほとんどありません。
そして、鉄砲隊の運用には評判があったと言うものの、成政自身が鉄砲の名手だったという話もありません。

記録に残る様な大事な局面に居なかったり、居てもその他大勢で済まされてしまったり、織田家への忠誠心が強すぎて、秀吉と敵対して損な役回りが多かった成政は、歴史の波に乗り損ねた運の悪い人物だったのかも知れません。

再び長文失礼しました。
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