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RE:【スピンアウト】CR戦国乱舞

しなそば。 (2011年07月02日 00時07分)
胤栄さん

>まったくしなそば。さんと同一の台を打ち続けた人間がいました。
>結果としてしなそば。さんはプラスですが、一方の人間がマイナスでした。

>これは何故でしょうか?
「打ち続けて」その結果だという設問ですので、打ち出しの技量に相当程度の差があったという理由が最も合理的でしょうね。結果として、スタート入賞回数、電サポ時の玉の増減、大当たり時の玉増えの量が私のほうが多かったのでしょう。運の善し悪しの差は「打ち続ける」ことによって無視できるほど小さくなります。

>また、この方が『勝つ』ためには何が必要でしょうか?
打ち出しの技量を向上させることでしょう。

ただ別の側面から言わせていただくと、この方の行動は不自然です。なぜ「マイナスなのに打ち続ける」のでしょう。打ち続けてマイナスであったという設問の条件から、この方の打ち出しの技量では期待収支がマイナスであることが導出できますね。通常の判断力のある方なら、期待収支がマイナスの状態では打つのをやめるはずではないでしょうか?

>その勝つために必要なものは全員が同一に保持している何か?でしょうか?
打ち出しの技量は当然ながら各人毎に異なりますよね。

さて。
いったいどんな結論に誘導したいのですか?
ソクラテス式教授法は問いかけが巧妙でないと効率的でないことが知られているのですが・・・

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RE:【スピンアウト】CR戦国乱舞  評価

胤栄 (2011年07月02日 00時28分)

しなそば。さん

ご自信で記載された内容そのものと思いますよ。

>「打ち続ける」ことによって無視できるほど小さくなります。
なので試行回数によって、その差が無視できるとおっしゃってると思っております。
これは私もそう思っております。
ただ、「打ち続ける」ということに対して疑問を投げかけただけです。

もっと簡単に言ってしまえば、2人の人間が同一回数コインを投げた場合に、得られる表と裏の数が異なりますがこれが何故同一にならないかを論理的に説明はできるのでしょうか?
試行回数が有限の場合においては「運」以外の何ものでもないですよね?

ボダ論は「期待値」という個々人のにより異なる条件下における「ボーダー」を「個々人の条件における試行回数」分だけ打って得られる「理論値」でしかありません。
なので、それを俯瞰的に表現するなら誰にも当てはまらない個々人の理論=オカルトと同一という表現に私はしております。
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