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【10】 | RE:さぁ、明日は出陣! ぱち交差点 (2011年06月05日 00時26分) |
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皆さま こんばんは。 「打ち止め」につきまして。 私はそれなりに古い人間でございまして・・・。 特に羽根物や一発台に設定されていた記憶がございます。 我が地方のその当時には500球木箱とかありました。(古いですね・・・。) その箱に入る球の量をパンチ店員さんが確認し各個に「はい、終わり」と告げるというシステムでしたです。 私含めた学生は、店員さんの目の届きにくい下皿にいかにたくさんの球を貯めるかに神経を集中しておりました。 言うこと聞かない時は、有無を言わさず電源offです。 言葉にいたしますと、「ぶちっと電気を切る」です。 8,000球までという一発台もありました。 役物に球を入れ、さらに抽選穴に入ると3桁デジタルの両端が変動開始。 3もしくは7で揃うと右打ち。 右打ちになるとスルー通過で3桁デジタルの真ん中が変動。 3か7で3桁揃うとある量の球が出る。 後はただひたすらそれを繰り返します。 4,000球のドル箱2つで打ち止めとなります。 結構な時間も掛かります。 この台でも上記のように下皿貯め打法(?)を駆使しますが、店員さんが2箱満タンと判断すると、電源off! 今思うと精密機械相手に乱暴な時代でした。 |
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【12】 |
ドッカーン太郎 (2011年06月05日 02時33分) |
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これは 【10】 に対する返信です。 | |||
新参ものが突然ですいません。 「打ち止め」という言葉から昔のことを思い出し、我慢できず投稿してしまいました。 現在のデジタル機の元となるフィーバー機初期の台は、アタッカーの開放は個数ではな く、時間(確か30秒)で制限されていました。 更にアタッカーの中に『当り?』の箇所が設けられており、そこに玉が入ると、再度アタ ッカーが30秒開放する仕組みになっていました。『当り?』の箇所に入れば永久に大当たりし続けるのです。 したがって当然店舗ごとの規定数量で打ち止めが実施されました。 打ち止めの方法は簡単です。 店員が来て「打ち止めです。ハンドルから手を離してくだい。」と言って打つのを止め させ、強制的にパンクさせるだけのことでした。 確か5000個ぐらいが打ち止めの平均値だったような記憶があります。 ※機種によっては『当り?』の箇所に入らずパンクしてしまうことがあり、悲惨な目に 会うこともありました。 フィーバー機の登場までは、1日かけて2000〜4000発出すのがパチンコでしたの で、パチンコ界にとっては衝撃的なことでした。 これまでの玉を入れる箱は、600〜700個程度入る小さなものでしたが、現在のよう なドル箱が登場し、ドル箱に合わせ箱を置くパチンコ台下の台も広く改装されました。 当初改装されるまでは、箱だけ大きくなり台からはみ出ていたので、膝でドル箱を支えて いたのも懐かしい思い出です。 年寄りが大当たりして心臓麻痺で死亡する事件も起き、出玉が一挙に増量したことから 、ギャンブル性が高くなり、当局による規制が実施されるようになりました。 アタッカーの入賞個数、アタッカーの開放継続回数の上限が規定され(たしか10個、 16R)今のデジパチの原形が登場しました。 今はありませんが、この頃は形式的にアタッカーの中に『当り?』のゾーンがあり(ほ ぼ100%入る)ました。 開放時間30秒は今も受け継がれています。 この規制に対し、大量出玉に味をしめた各パチンコメーカーは、連チャン機を生み出し 、アタッカーの無いスーパーコンビを代表とするいわゆる一発台を世に送り出し、バブ ル期と合間って急成長を遂げたのです。 フィーバー機の登場により大衆娯楽は大衆賭博となってしまいました。 チューリップだけの時代の方が楽しかったと思うのは私だけでしょうか。 |
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