返信元の記事 | |||
【3388】 | 9・11 KIN・KIN (2006年09月11日 23時01分) |
||
今日は9月11日 5年前のこの日、多くの人命が一瞬のうちに失われました。 私の知人も、あの事故が起きる前年まで、あの貿易センタービルの中で働いていました。 ○○銀行のニューヨーク支店のオフィスです。 事故のあとに、当時の直属の上司が亡くなったことを知ったらしく、ひどく落ち込んでいたことを思い出した。 最近、本当に命を軽んずる事件が多い。 そういった事件の報道を目にすると、悲しくなると同時に、 「もしも自分の身や家族にこんな事件が降りかかってきたら・・・」 と恐ろしくもなります。 昨年の春、母をガンで亡くしました。 自分の病気を知っていながら、2年間戦い続けました。 母がガンにかかった・・ この頃から私も「命」というものを今まで以上に真剣に考えるようになりました。 TVを賑わす凶悪な犯罪。 ちょっとしたことで「死ぬかと思った」という人たち。 そんな軽々しく使っていい言葉なのだろうか? 今日の夕方、飲酒運転をする人に取材したことが報道されていたけど、回答はこんなだった。 「どうして飲酒運転するんですか??」 「関係ねぇだろ、俺の人生だ!」 そりゃーあんたの人生はいいけどさ、人身事故起こしたら被害者の人生はどうすんだよ! って、本気で頭にきた。 「人の命は地球より重い」って言う人はたくさん居る。 でも、「命が続く限り、それをどのように使っていくのか」を語る人って少ない。そんな気がする。 「人それぞれだから・・」と言われればそれで終わりだけど、命を軽んずる凶悪な犯罪は、そこのところを考える「環境」を整えない限り、無くなることはないんじゃないかと。 ごめんなさい。 すごく重い雰囲気にしてしまった。 今日は夕方から、ずっと頭痛がしていて、もう限界です。 これからこの板で繰り広げられるだろう楽しいおしゃべり・・・ 明朝の楽しみに取っておきます。 では、おやすみなさい m(__)m |
■ 4,801件の投稿があります。 |
【3459】 |
しおりん2 (2006年09月12日 23時30分) |
||
これは 【3388】 に対する返信です。 | |||
KINちゃん、 すぐ書きたくて書きたくてたまらなかったんだけど、書いててなんか自分で自分の文に収拾つけれなくなっちゃって、& あっちでおっさん(上司)叫んでるし、、、って訳で、、、只今 やっとfrom 自宅です。 じつは私、某カルト教団が起こした卑劣極まりないあの大事件テロ、ひょっとするとひょっとしてたかも、、だったんですよね。 上と大喧嘩してタンカきってあの時あの会社を辞めてなかったら、丁度あの時間帯、あの路線に乗ってたんですよ。だからかなり動揺した。 同僚の何人かは、大事には至らなかったものの、その後しばらく通院を余儀なくされたと聞いてます。 人の運命はどこでどうなるか分らない。を実感した。 その時多分はじめて、人の生き死にを他人事でなく考えた時だったと思う。 何か特別な事が実際自分の身の周りに起こらない限りは、どうしても安全平和な日本様にドップリつかってるのが当たり前で、生きるの死ぬの、なんてリアルに考えられないんでしょうね。 報道のあり方も色々言われてますけど、でも、実体験の無い人たちにアピールできるマスメディアの力は多大と思います。 酔っ払い運転してる人たち、運転手にお酒を提供し、「でもそれで営業停止処分なんてたまんない。店側だって被害者だ!」といってる飲み屋の人たち、お願い、1日1回、「もしかすると」と考えてみてほしい。 また収拾つかなくなってきたので。しめ。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (2件) |
【3420】 |
REG命 (2006年09月12日 14時52分) |
||
これは 【3388】 に対する返信です。 | |||
キんちゃんのこういう投稿。。 俺、好きだねぇ。。 オヤビンの意見も書かせてね( ̄ー ̄) >「人の命は地球より重い」って言う人はたくさん居る。 うん この 『人』 て部分。。 ここって微妙に意見が別れるところのような気がしてならないのね。 個体数の繁殖力から考えれば 『知』を活かさなければ人が頂点への君臨するに難しい生き物と考える。 そもそも力は強い生き物ではないからねぇ>人 食物連鎖・・・ 自然界の摂理とも言えるものだけど “人間以外” の生き物は、これによって個体数のバランス保たれていることは明白だね。 でも 時代を遡れば、人間も捕食される側であった時がある。 まぁ 紀元前の遥か昔の話だけどねぇ でもそれは、明らかに現代の人の祖であることに間違いはないね。 そして食物連鎖の“枠内” 漏れずに居たこと。 しかし食物連鎖の枠から抜けた人間は、人間同士の殺し合いにより個体数のバランスとってきた!と言うのは、これは果たして極論だろうか。。 興味深い点として、人が人として、人の命の尊厳なんて語り出し始めるに至り、これはまだ100年も経っていないこと。 更に深く考えると・・・ 同じ現代を生きる人間として、民族紛争やら独立紛争、中東問題を抜粋した場合、愛や命の尊厳をを唱える者と比較した場合、彼らは『野蛮?下等?』に位置するのだろうか・・・ もし日本が海に囲まれた島国ではなく、北朝鮮あたりと国境を境に隣接していたら?? 他国に蹂躙される危険性を持っていたら?? 果たして今の日本になったのだろうか・・・ なんて思うのです。 日本がもっともっと貧しい国であったのなら、命の尊厳や愛を唱える前に、まずは生きる為の食料の確保が最大優先せれた筈なのです。 と オヤビンの素朴な疑問でした( ̄ー ̄)ノ |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【3404】 |
魅鬼 (2006年09月12日 01時55分) |
||
これは 【3388】 に対する返信です。 | |||
KINちゃん 私も10年前に父をガンで亡くしました。 父も自分の病気を知っていて、2度の大きな手術に耐え、戦っていました。 3度目の入院の時、余命3ヶ月の宣告。 どんなに取り除いても、ガンは転移を繰り返し肋骨を溶かしていたのです。 背骨の一部も砕け、激痛に苦しむよりは、と緩和治療に切り替えてもらい、 最後の1ヶ月は眠ったままでした。 最後の入院期間中は、会社が退けてから 父と、付き添ってる母の分の着替えを持って 毎日 車で約1時間かけて病院に通ってました。 だから、病室に入る時は「ただいまー」でしたね。 死期が近い患者は個室なので、全館消灯した後でも居る事ができました。 週末は母と交代し、病院に2泊してましたねぇ・・・。 病室では普通にしてても、洗濯物を持って帰路につくと、自然と涙が溢れてきて、運転するのが大変でした。 がんセンターには 幼い子供達も沢山いました。 治療はとても辛いはずなのに こっちが励まされるような笑顔を見せてくれてましたよ。 父亡き後、骨髄バンクにドナー登録しました。 同じような辛い思いをしてる人の力になりたかった。 ガンが憎かった。。。 思いが叶い、7年前には骨髄提供できました。 生きたくても生きられない人がどれだけいることか。。。 どんな人にも家族や大切な人がいて、その人(達)を失いたくない気持ちがある。 それなら、他の人の事も思い遣って欲しい。 自分だけ良ければいいなんて、思わないでほしい。 そして、与えられた命を精一杯生きてほしい。 平凡な毎日の繰り返しがどんなに幸福な事であるか。。日々感謝して過ごしたいと思います。 私事を長々とすみませんでした。 暗〜くしちゃいましたね。 ホントにごめんなさい! |
|||
【3390】 |
鬼BIG (2006年09月11日 23時20分) |
||
これは 【3388】 に対する返信です。 | |||
おやすみ、KINちゃん。 9・11事件は記憶から消し去る事は出来無いでしょう。 最初に見た時は本当に信じられなかった。夜勤中で会社のテレビで見入ってしまったもの・・・ 飲酒運転・・・今日会社の昼礼で絶対するなとお達しがあった。見つかった日には最悪クビもありうる言い方だった! |
|||
© P-WORLD