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【2939】 | 侍魂さん S・Pエス (2008年11月07日 09時36分) |
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侍魂さん、おはようございます。 >この元禄から文化・文政の化政時代にかけて, >庶民的なお江戸文化が大きく開花しました。(=^0^=)v 江戸時代と言っても270年程ありますからね、時期によって随分違いがあったんでしょうね。 忠臣蔵は今でも人気が高いでしょうから、特に武士の忠義の典型のように捉えられているように感じます。赤穂浪士の忠義も朱子学の影響を受けているのでしょうね。 >信長とすれば,今川との全面対決はもっと後に行いたかったのでしょうね。 桶狭間合戦以後の戦での信長は、勝利を確信できる軍備が整うまで決戦を避けた程慎重でしたね。 特に長篠合戦では、圧倒的な勝利を収めても追撃戦での武田側の反撃を恐れ、必要以上の深追いを禁じました。尤もこの頃でも、関東の北条氏、中国地方の毛利氏など巨大勢力もあり、油断出来ない状況だったのでしょうけどね。 それにしても、同時代に今川義元、北条氏康、武田信玄、上杉謙信、朝倉氏、毛利氏などなど強力な武家が揃っていたことも戦国期の魅力かもしれませんね。 |
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【2942】 |
侍魂 (2008年11月07日 15時28分) |
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これは 【2939】 に対する返信です。 | |||
スペエースさん☆ 魂ちゃ〜お。(o^∇^o)ノ > 江戸時代と言っても270年程ありますからね、 時期によって随分違いがあったんでしょうね。< 応仁の乱以降,長く続いた戦乱を終え, 天下泰平と言われる時代ですよね。(’-’*) それまでの文化は支配層が中心の文化でしたが, 江戸時代から民衆中心に移り変わりました。(o^-^o) > 特に長篠合戦では、 圧倒的な勝利を収めても追撃戦での武田側の反撃を恐れ、 必要以上の深追いを禁じました。< 信長が恐れた武将は武田信玄と上杉謙信ですよね。 あの信長が媚を売るぐらいですからね。 凄い恐怖だったのでしょうね。(=^^=) ニョホホホ 信玄が亡くなり勝頼が当主になっても, 信玄が育んだ騎馬軍団と戦法は,信長にとって脅威だったでしょうね。 > 尤もこの頃でも、関東の北条氏、中国地方の毛利氏など巨大勢力もあり、 油断出来ない状況だったのでしょうけどね。< ご賢察の通りだと思います。(*^^*) 対武田戦が長期化すると,背後から狙われます。 尤も織田軍は急成長しましたので,一枚岩では在りませんでしたし, 家臣の謀反も或る程度の想定内だったでしょうね。(~ ~;) > 同時代に今川義元、北条氏康、武田信玄、上杉謙信、朝倉氏、 毛利氏などなど強力な武家が揃っていたことも 戦国期の魅力かもしれませんね。< 四国には長宗我部氏,九州には島津氏・大友氏・竜造寺氏, 東北奥州には新興勢力の伊達氏が頭角を現しています。 魅力たっぷりの凄い時代ですね。ヾ(*^。^*)ノ |
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