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【6】

ベンガルさん書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年07月24日 00時07分)

 妻と付き合っていた頃の話。

 ある日、彼女から「今度の土曜日、パチンコ終わってから会いたい」と連絡があった。

 ・・・「んっ?」

 何か違和感を感じた。

 そうだ、付き合ってから今まで、彼女から「会う約束」をしたことはなかった。

 付き合い始めた当初、私は彼女に、「オレには借金があるから、多分ほとんど会えないと思う」と言った。

 だから彼女は自分から誘うことはせず、いつもずっと「待っていた」のだ。

 何かある・・・

 鈍感な私でもさすがにそれだけはわかった。

 でも一体何だろう。心当たりを片っ端から当たってみるが、全く見当が付かない。

 やましいことは何もない。誕生日でもない。付き合った日は覚えていないが、こんなに肌寒い季節ではなかった。

 「じゃあ一体何だ?」

 結局予想もつかないまま当日を迎え、パチンコも終わった。

 彼女を迎えに行き、ファミレスに行った。いつになく緊張しているのがわかる。

 私は今日のパチンコの話を、彼女は最近のことについて話した。

 ・・・痺れを切らしたのだろうか、彼女は言った。

 「何か言うことないの?」

 全く見当が付かない私は、ちょっとキレ気味にこう言った。

 「オレはやましいことなんか何一つない」

 しばらくの沈黙のあと、彼女は言った。

 「そんなことわかってる。鈍感、バカ」

 聞けばなんてことはない。髪を切ったというのだ。まぁよくある話。

 一気に緊張がほぐれた私は、

 「なんだ、そんなことか、んなもんわかる訳ないだろ、ちょっと切ったぐらいで」

 と笑いながら言った。

 本当に恥ずかしい。女心を全くわかっていなかった。彼女の気持ちなんて考えたこともなかった。頭の中はパチンコでいっぱいだった。


 ・・・と、そんなことを最近思い出した。そして、なぜ「あの時」だったのか気になった。

 色々考え、今やっと、私なりの結論を出すことができた。

 彼女はずっと待っていた。先が全く見えないのに、何年間もずっと「待っていた」のだ。

 不安でいっぱいだったと思う。不安に押しつぶされそうなときが幾度となくあったに違いない。

 だから、自分の『些細な変化』に私が気づくことで、「心は離れていない、ちゃんと気に掛けてくれてる」と実感したかったのだろう。安心したかったのだろう。

 そんな彼女の気持ちを、ひとつも理解してあげられなかった・・・

 実は、あの日の帰りのことや、その後のことは全く覚えていない。

 多分、帰ったあと泣いていたんじゃないかと思う。「もう別れよう」と思ったと思う。

 でも彼女は、そんなことを口に出したことは一度もない。私が気づいてないだけかも知れないが、そんな素振りを見せたこともない。

 私はそれまでに、何人もの女性に愛想を尽かされ続けてきた。

 私の過去の「行い」を振り返れば、それは当然だし、賢明な選択だと思う。

 でも彼女は違った。

 最終的には、親の反対を押し切ってまで私に付いてきてくれた。感謝の言葉もない。

 多分、一生かかっても私にはその理由がわからないのだと思う。

 私が言うのもおこがましいが、

 「皆さん、どうでしょうか?奥さんや彼女の『些細な変化』に、ちゃんと気づいてあげれてますか?」
  
【5】

無題  評価

トリイソ (2017年07月12日 23時51分)


 皆さん、こんばんは。

 九州北部豪雨から一週間が経ちました。今もなお、被災者をはじめ、各自治体、警察、消防、自衛隊、そしてボランティアの人たちの懸命な活動が続いています。

 私も先日、現地において活動してきました。一日も早い復興のために何ができるのか、何をすべきか、しっかりと考えて行動に移していきたいと思います。

 今回は、東日本震災の際に、まさごさんが書かれたスレッドを紹介したいと思います。

 許可は得ております。

 私が初めてその書き込みを見てから、もう5年近く経ちます。なんか信じられません。

 尊敬する親友の自衛官に惹かれ、触れ合うことで感じたたくさんの思いが凝縮された書き込みのように思います。

 当時、まさごさんとその親友の自衛官は、まだ二十代前半の女性。そういうことに思いを致すとまた、様々な思いがこみ上げてきます。

 私が感じたように、皆さんにも何かしら感じることがあればと思います。

 
【4】

まさごさん書き込みの転載(その1)  評価

トリイソ (2017年07月13日 00時00分)


 まさごの独り言

 柄でもないことを書きます。
 
 これから下記文を書くにあたり、東日本大震災で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

 私には15年来の付き合いがある大親友が居ます。彼女は女性自衛官です。

 彼女は純粋、真っ直ぐ、情熱的で周りからの信頼も厚く、みんなから慕われています。私とは正反対の性格で、そんな私もどんどん彼女に惹かれていきました。

 彼女が自衛隊に入隊すると聞いたとき、それは必然の選択と妙に納得してしまいした。

 震災後、お茶会での話題は今でも自衛隊のことが主流です。自衛隊のこと、いっぱい聞きました。そのたびに涙が出ました。

 彼女は言います。「自衛隊って本当にすごいところよ」と。彼女は軽々しく物事を口にしません。そんな彼女が言うのだから、自衛隊って本当に素晴らしい組織なんだなって思います。

 自衛隊員も被災者です。家族を亡くした人、家を失った人も当然います。それでも災害派遣を最優先とするのです。任務なので当たり前のことかもしれません。でも、つらい気持ちは被災者と同じです。家族を捜索したかったでしょう。でも任務に私事は厳禁です。
 また、何ヶ月も家を留守にするご主人に対して、不安を抱かせないように賢明に振る舞う奥さん、子供さんの心中お察しすると胸が痛くなりました。

 自衛隊は炊き出しや入浴支援まで行います。でも、被災者のために作った温かい食事には自衛隊員は絶対に手をつけません。彼らは冷たい缶詰を、人目に付かないようにトラックの荷台等を利用して食べていました。
 用意したお風呂も当然自らが入ることはありません。彼らは冷たい水で顔を洗ったり、濡れタオルで体を拭くだけです。お風呂は一週間に一回、部隊で10分間だけ許されていました。

 震災後間もなくして、自衛隊員全員に対して、司令官からの「先憂後楽」のお達しがありました。
 自衛隊はこのように、人の目に付かないところで、創隊以来ずっと真摯に努力を積み重ねてきたのです。

 
【3】

まさごさん書き込みの転載(その2)  評価

トリイソ (2017年07月13日 00時01分)


 まさごの独り言(その2)

 いくつかエピソードを紹介します。

○全く睡眠が取れていないだろうご主人に「大丈夫?無理しないで」と奥さんがメールしたら、「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ」との返信

○少し歩く度に死体ばかり。一人づつ生存確認をしていく。サイレンが鳴り響く中、上官から言われたのは「一斉に被災者がすがりついてきても絶対に笑顔を絶やすな。絶対に泣くな」
 泥だらけの救助者達が力の入らない手で俺の手を握り、「ありがとう」と言われる度に涙を堪えるので本当に精一杯

○子供の遺体を収容した。幼稚園児くらい。兄弟だろうか、抱き合ったまま亡くなっていた。子持ちの仲間は肩を震わせていた。でも俺たちは泣くことはできない。この町が復興するまで、俺たちの涙なんて意味がないから。

 自衛隊はこれまで、メディアや世間一般から非難され続けてきました。それでも自衛隊は一切の反論をせず、ただ黙々と、ただ地道に、一般人には到底想像もつかないくらいの厳しい訓練を日夜行ってきました。
 最悪の状態(外部からの武力攻撃から国を守ること)を想定して訓練してきたからこそ、今回の震災での活動があるのです。災害に対処する訓練ばかり行っていたなら、今回の震災には到底対応できなかったでしょう。
 それが、自衛隊にとっては「想定外」ではなかったと言われる所以です。

 私が生まれて間もない頃、長崎の雲仙普賢岳が噴火しました。その際も自衛隊は長期にわたり災害派遣活動に従事しました。
 長期間の活動を終え、自衛隊が撤収する際のセレモニーにおいて、当時の長崎県知事は「人の命は地球より重い。でもそれよりも重い使命感というものがあることを知りました」と述べました。
 自衛隊の活動を目の当たりにし、心底感じたものが言葉として出たんだと思います。

 実は「まさご」というのは、陸上自衛隊のとある駐屯地にある、とある喫茶店の名前なのです。

 最後に、昭和32年2月、防衛大学校の第一回卒業式において、当時の吉田茂元首相が卒業生に対して送った言葉を紹介したい思います。

「君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終えるかもしれない。きっと、非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し、国家が混乱に直面しているときだけなのだ。
 言葉を換えれば、君たちが『日陰者』であるときのほうが国民や日本は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい」

 自衛隊はこれまでずっと、この言葉を胸に真摯に努力を積み重ねてきました。そしてそれはこれからもずっと・・・

 
【2】

確率の妙  評価

トリイソ (2017年07月03日 01時04分)


 昨日は久しぶりに終日ラブ嬢と戯れてきました。

 この日は前々からラブ嬢を打つと決めてました。

 他に優秀台があるにも関わらず、それよりも極端に期待値の低いラブ嬢を打ったのには当然理由があるのですが、まぁ大した理由でもないのでそれは触れずにおきます。

 前にも書きましたけど、この機種の私の一番の推しポイントは、ラブラブモード中と16Rのスペシャルラブボーナス時に聴けるシャイニングスマイル。

 正直シャイニングスマイルは普段からよく聴いているんですけど、この機種で聴くシャイニングスマイルはまた格別ですね。

 まぁ聴いてる最中は至福の時間の真っ只中なので当然っちゃ当然なんですけど。

 でも音量を最大にしても周りの音がうるさすぎて聴こえづらいのが難点ですが。

 結果のほうはというと、10800玉のマイナス。52回当たったんですけど、延長権ゲットが極端に少なかった。

 セグ見ないんではっきりとは言えないんですが、潜伏と思われるような早い当たりも数回しかなかったし。

 スペシャルラブボーナスも5回だけ。電サポ中の25%がスペシャルラブボーナスなんでもう少しほしかったなぁ。

 まぁとは言いつつも、実は午後7時の時点ではそこまで負けてなくて、十分プラスにもっていけるラインだったんですよ。

 でも結局それから閉店まで当たりなし。この機種での1000回オーバーハマリは2回目。

 まぁそれでも9倍をちょっと超えたくらいなんで仕方ないっちゃ仕方ないんですけど。

 でもまだ当たってないんで通算での10倍ハマリも避けられないかな。まぁこれも仕方ない。

 でもまぁあれですね。今回はそこまで醜くもなかったんですけど、確率の妙って言いますか、確率って時にとんでもないことをしてくれることありますよね。

 大連チャンとかってそうそうないですけど、とことんっていうかこれでもかってくらい酷いことありますよね。

 何をやっても全てダメっていうかね。

 そう言えばこの前、フィーバークイーンIIを終日打って86回当たったんですけど、途中、47回連続で5Rってことがありました。

 この機種の16Rの割合は12%なので、88%の継続率の台で48連してもおかしくないってことですよね。

 まぁたしかに不思議ではないレベルなんでしょうけど、私には到底ムリかな。

 このときみたいにウラだったら取れる自信ありますけど(笑)

 私はね、パチンコに限って言えばね、『堅実派』だと思っています。

 でもね、やっぱりいつも夢みてますよ、期待してますよ。大連チャンをね。

 いつかみた、某店でのラブ嬢37連。それをいつも夢見てますよ。

 だって、人間だもの。



 大連チャン 夢見るどころか 現実は あまりに遠く はかなく揺れて

 
【1】

私の一番  評価

トリイソ (2017年07月01日 01時49分)


 皆さん、こんばんは。

 時間的に少し余裕が出てきたのでまた細々と書き綴っていきたいと思います。

 まずはやはりパチの近況からいきましょうか。

 たしか年の始めのころでしたか、前トピで年内には貯玉100万発いけるかもって書きましたけど、実は上半期の終了を待たずしてすでに100万発達成してしまいました。
 
 稼働時間からみてもこれはちょっと出来過ぎですね。

 でもまぁ、これまで蓄積してきた仕事量の見返り分のマイナス、いわゆる不ヅキ分はこれでも全然足りてないので、たまにはこういうことがあっても罰は当たらないでしょう。

 でもまぁ何ですかね、昔と今とではパチンコに対する考え方というか姿勢というか、自分にとってのパチンコの存在意義というものが大きく変わったような気がします。

 昔はパチンコが全てでした。四六時中パチンコのことばかり考えていました。

 冠婚葬祭も含めて可能な限りパチンコを優先させていました。デートも何度すっぽかしたかわかりません。

 たくさんの人に声をかけてもらいました。いっぱい誘ってもらいました。

 でもそれでも、申し訳ないとは思っていても、それらの全てを断ってでもパチンコに行ってました。

 当時の私がやらなければならないこと、それはただ一つ。借金を完済すること。ただそれだけ。

 それだけが目標でした。だから他の全てを犠牲にしても、それだけに一生懸命でした。

 20代前半の男にとって、750万という借金はあまりにも大きすぎました。

 毎月の最低入金額すら払うことができず、催促の電話に怯える日々が続きました。

 誰にも知られたくない、知られてはいけない。それまで一度たりとも人前で弱みなんて見せたことはない。

 そう、私にとって借金の存在を知られることは、それはもう死に匹敵するくらいの思いがありました。

 薄々感じてた人はいたのかもしれない。でも、誰にも言えなかった。相談できなかった。家族にも、親しい友人にも。

 孤独でした。周囲は違ったとしても、私の中では全てが孤独でした。

 全てに見放されたような気がして、絶望感しかなくて、どうしていいかわからず、思い悩む日々が続きました。

 そこに射し込んできた一筋の光。パチンコが、パチンコという存在が、私に、『もしかしたら』と思わさせてくれました。

 だからいっぱい勉強しました。何度も何度も自問自答しました。これでいいのか、間違ってないのかって。

 自分でも感心するくらい、本当に頑張ったと思います。

 でも、全然苦にはなりませんでした。好きだからというのもあります。でも、目に見えて蓄積される結果が、また頑張ろうという気持ちにさせてくれました。

 そう、当時の私にとってパチンコは、色んな意味で、そして全てにおいて、『一番』でした。

 
 でも今は違います。普通に考えれば、いつかはそうなるのが必然なのかもしれません。

 でも、私にとってのパチンコの存在はあまりにも大きく、違和感というか、すごく不思議な感覚があります。

 昔は暇さえあれば、ほぼ100%と断言していいくらい、パチンコに行ってました。

 でも今は、基本的に他の用事を優先させます。休日とかで時間があったとしても、「今日は家でゆっくりしよう」と思うこともあります。

 こういう感覚は今までありませんでした。なんか不思議です。

 私はずっとパチンコをして生きていく人種だと思ってました。定年後も毎日パチンコ店に通い、そして最期もパチンコで、パチンコ店で幕を引くのだろうと。

 そう思ってました。

 でもどうやら違ったようです。そしてそれは、理由不明のままに終わる。

 でも、もしかしたらこれが、色んな意味で、そして本当の意味での、『成長』というものなのかもしれませんね。




 最高と 最強とでは 似て非なり 高みと強さ その差大きく

 
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