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【26】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月01日 00時18分)


 今日、二十日ぶりに出勤した。いやぁ、久しぶりの出勤ってこんなにも緊張するもんなんだなぁ。

 どんな顔で、どんな感じで職場にいけばいいのか悩んだ。まぁ結局、その結論は出ないままだったが。

 いつもと変わらないみんなの対応に安心した。嬉しかった。またここでも「些細な幸せ」を感じた。

 当たり前の、ありふれた「有難み」なんて日常にいくらでもあるのだ。その一つ一つを見逃すことなく、しっかりと感じていきたい。

 でも、今週の出勤も今日一日だけ。明日からまた休まなければならない。迷惑かけっぱなし。私の不在間の「ツケ」は必ずどこかに生じている。本当に申し訳ない。完全復帰したら、ちゃんと利息を付けて返そう。

 で、今日お昼休みに高校野球を観ていた。日大山形と明徳義塾の試合。6回表に山形が同点に追いつき、また勝ち越されるも、8回にまた同点、更に勝ち越し。

 そのときの会社の人たちの盛り上がりようといったらすごかった。皆、心のどこかで東北勢を応援していたのだろうと思う。やはりこういう活躍はすごく士気が上がるだろうし、復興への貢献という意味でも大きいものがあると思う。でも、逆転された明徳のナインや応援席の人たちの表情を見て、それはどこにとっても同じなんだということを感じた。

 誰も皆、それぞれの立場や状況における「熱い思い」がある。その中には、地元の人やたくさんの人たちの思いも含まれるだろう。そう、みんな同じなのだ。

 だからこそ、あんなにも一生懸命になれるのだと思う。まことに「あっぱれ」である。

 明徳サイドの人たちは本当に悔しいだろう。今夜は悔しくて眠れないかもしれない。そして、その悔しさを当分引きずるのかもしれない。

 でもいつか、「こんなこともあった」と笑顔で振り返れる日が来ることを願う。その日が来れば、それは、その経験がしっかりと自分に「活きて」いる証だから。

 では最後は、いつものようにくだらないどうでもいい話で締めよう(笑)

 先日、妻の実家から帰る際、懐かしさのあまり、高速を使わずにずっと下道で帰った。

 久留米を通ったとき、ナビに映った「安武」という文字を見て、こんなことを思い出した。

 中学のとき、すごく噂になったというか話題になったことがある。

 それは、「オレたちの1つ学年上の人で、安武に住む安武ヤスタカという恐ろしい男がいる」という話。

 当時は本当に一時期、この話題で持ち切りになった。正直私は全く信じてなかったが、本当にいればおもしろいなとも思っていた。結局真相のほどはわからなかったが、何故か今は「いてほしかった」と思ったりもする。

 安武さん、本当に居たのかなぁ。
【25】

チュウエイ時代の書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月19日 02時21分)


 『アイツが言ってんだろ?どうせまた嘘に決まってる。信じるだけムダ。・・・でも、アイツは本当のことを言っていた・・・』

 『信じていた。信じ切っていた。アイツが嘘をつく筈がない。・・・でも、そんなアイツが嘘をついていた・・・』

 疑う、そして信じるという上記2つの正反対の事象。でも結果、自分が「傷つく」のは同じ。

 同じ傷つくのであっても、その背景や傷つく度合いがまるで違う。

 私はこういう2つの傷心を経験し、明らかな場合を除き、「もう人を疑うのはやめよう」と決心しました。

 同じ傷つくのなら、人を信じて傷ついたほうが何倍もいい。

 人を信じて傷ついたのであれば、自分を納得させることができる。そう強く思ったのでした。

 人が嘘をつくのには、必ず理由があると思うのです。

 「理由はどうあれ、嘘をつくのは絶対によくない」と言われる方もいますが、私はそうは思いません。

 子供はよく嘘をつきます。でもその大半は、「自分を守るため」に嘘をつくのだそうです。

 だからある意味、自分を守るために本能的に嘘をついている部分もあるのです。

 悪意のある意図的な嘘を除き、子供は嘘をつくと、自分自身を責めます。

 そう、嘘をついてしまった自分に、深く傷つくのです。

 そんなとき、頭ごなしに叱りつけると、子供は追い込まれ、居場所をなくしてしまいます。更に傷ついてしまいます。

 なので、そういうときの親の対応は非常に重要であり、また、非常に難しいのだと思います。

 くり返しますが、人が嘘をつくのには理由があると思います。

 大事であり、問題視すべきなのはその「理由」であり、嘘という行為そのものではないと最近では思うようになりました。

 「嘘をつくのは誰だって心が痛む。でも世の中には、本当に相手のことを思って、考えて、心を鬼にしてまでつく嘘もある」

 そう思っています。

 そういう思いから、最近では自然と、人を疑うということがほとんどなくなりました。そして、人を信じて傷つくことも。




 おさなごの 清き心に 満ち足りて 我が行く道の しるべ示さん
【24】

無題  評価

トリイソ (2017年08月19日 01時49分)


 皆さん、こんばんは。下の転載は、今からちょうど4年前の8月に書き込みされたものです。

 この書き込みを覚えている方はおられるでしょうか。

 この書き込みに至るまでの経緯を見ると、今更ながらに、たくさんの方がベンガルさんのトピを楽しみにしておられたというのを痛感します。

 そして今、またあの当時のことを思い出しています。

 あの当時の私の思い、その一端を私が初めてトピを立てた最初の書き込みに書いています。

 その思いは今も変わりません。その書き込み、転載します。




 私のピワ歴も、もうかれこれ10年くらいになりますが、今まではずっとロム専でした。

 私がここに求めるものは、店舗情報、機種情報の取得、そして暇でしょうがないときの暇つぶしでした。

 談話室も、「何かおもしろい書き込みあるかな」と思って覗く程度でした。

 でもベンガルさんの書き込みを知ってそれが徐々に変わっていきます。

 ベンガルさんの書き込みに心打たれ、勇気づけられ、そして時には思わず笑みがこぼれるような話も。

 ベンガルさんの書き込みが楽しみで仕方ありませんでした。

 書き込みを心待ちにし、毎日毎日談話室をチェックしました。

 そしてこれまでほとんど「人のため」と考えたことのなかった私も、その意識が少しずつ変わってきたような気がします。

 同じ年代の同じ父親として、感ずる部分が多分にありました。

 そして、私にも何かできることはないだろうかと考えるようになりました。

 私がここにトピを立てたこと、そしてこのトピタイにしたのには理由があります。

 少しでもベンガルさんに近づきたい。正直、大したことは書けないと思います。暇つぶしにもならないかもしれません。

 でも、できること、思いつくことから始めようと思いました。

 ベンガルさんも言われてたように、大事なのは変われたかどうかではなく、その意識を持つことができたかどうか、行動を起こすことができたかどうか。

 そして、奥さんが言われてた、ベンガルさんがここに拘った理由が知りたかったのです。

 トピを立てることで少しでもベンガルさんの思いや気持ちを感じることができるかもしれないと思ったのです。

 そして、ベンガルさんが戻って来られたときに、このトピタイならばベンガルさんの目に留まるかもしれない、そして覗いてくれるかもしれないと思ったのです。

 私はベンガルさんと対等に話をする自信がありませんでした。恐れ多くて書き込む勇気が持てませんでした。

 でも私はただ感謝の気持ちを伝えたかっただけ。

 そんな誰にでもできる勇気すら持てなかったことを今はすごく後悔しています。

 だからここで伝えたいのです。ありがとうございましたと。

 そして奥さんの書き込みにも心打たれました。不安に押しつぶされそうな日々を過ごしておられたと思います。

 でも決して諦めではなく、どんなことになろうともしっかりと現実を見つめていく覚悟。

 本当に素敵な家庭だと思いました。私も見習いたいと思います。

 私のように、ベンガルさんのファンだった方は数えきれないくらいおられることでしょう。

 でもそんな皆さんの同意や賛同を得たい訳ではありません。レスは一切要りません。

 私のこの最初の書き込みは、全てベンガルさんのためだけに書いたものです。

 そしてこれは私の新たな一歩です。
 
【23】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月19日 01時32分)


 皆さん、こんばんは。

 色々と気を遣って頂いたようで本当に申し訳ないです。

 妻から、「続けてほしいって書き込みがあったよ」と聞いて、すぐにでも書き込みしたかったのですが、諸事情で・・・

 妻がそれとなく書いていましたが、実はあの2日後、7月30日の夜に入院する羽目に・・・

 でもその日の夜のことは全く覚えていない。こんなことがあるのだろうか・・・

 木曜の午後に目が覚めたとき、なぜ病院のベッドで寝ているのかさっぱりわからなかった。見舞いに来てくれた会社の人たちに事情を聴いてようやく状況が把握できたが、それでも一切の記憶がない。どんなに思い出そうとしても思い出せない。

 ・・・ってか、別に思い出す必要もないのか。思い出すことに意味があるとも思えないし。ただ、自分自身がちょっと不思議な感じ。

 でも病院というものは暇で暇でしょうがない。娘が毎日来てくれて、トランプ、ウノ、オセロなどを一緒にやっていたが、そうそう長い時間できるものでもない。折角の夏休みなのに、約束してた阿蘇ファームランドにも連れていってあげれなかった。

 そして今日、無理矢理というか、無理を言って退院させてもらった。

 やっぱり家が一番いい。最高。そう、これこそが、ありふれた、当たり前の一番の幸せなのだ。

 ・・・しかし、妻があんな書き込みをしてるとは夢にも思わなかった。思わなかっただけに、「こんなこと書いてほしくなかった」という思いが先行し、私はつい「余計なことをするな」と怒鳴ってしまった・・・

 妻は何も言わなかった・・・妻にしてみれば、感謝はされど、文句を言われるとはそれこそ夢にも思っていなかっただろう・・・

 なんであんなことを言ってしまったんだ・・・最高に後悔してる。本当に申し訳ない。すまん・・・

 「姿」と書いていながら本当に恥ずかしい限り。こんなではしっかりと遺していくことはできない。

 明日ちゃんと謝ろう。そしてまた、思いを新たに。
 
【22】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月16日 01時42分)


 職を2〜3回、短いスパンで転々とすると、「辞め癖」がついてその後の職も長続きしない。

 昔の私はまさにそれだった。本当に全く長続きしないのだ。

 当時、一番長く続いたのでも木工所の工員で8ヶ月。最短はラーメン屋の半日だ(笑)

 今の職はよく長続きしてるなと自分でも感心する。

 当時の福岡県の最低賃金は435円。16〜17歳で車の免許もない(当たり前だが)となれば、ほぼ最低賃金の職しかなかった。

 その中でも植木職と木工所はかなり時給がよかった。それが少しだけ長続きした要因の一つだろう。

 レストランやスーパーなどのバイトはほぼ間違いなく最低賃金だった。

 スーパーでは当初、惣菜コーナーで働いていた。ここではなぜかパートのママさん達に非常に受けがよく、すごく可愛がられた。

 2ヵ月くらい経った頃、営業部長に呼び出され、鮮魚コーナーにまわってくれと言われ、渋々承諾した。でも鮮魚の雰囲気は私には合わず、それから5日後に辞めてしまった。

 これは後から聞いた話だが、このときパートのママさん達が部長に猛抗議をしたらしい。

 ママさん達ももう60近くなっているだろう。元気にしているだろうか・・・

 高校を中退して次の年から定時制(夜間)の高校に通った。別に高卒の資格がほしかった訳ではない。

 職安(当時の職業安定所)に行っても、16〜7で免許もないとなると、当時でもなかなか職にはありつけなかった。

 でも、定時制に席を置いていると、学校がある程度職の面倒を見てくれる。一人では無理でも、学校の後ろ盾があれば職にありつけることも多かった。

 結局3年近く席を置いていたが、一度も進級することはなかった。

 しかし、高校を2回中退しているヤツもそうそうおらんだろ(笑)
 
【21】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月15日 23時55分)

 
 あれは忘れもしない、平成11年12月30日の出来事。

 パチンコを終え帰宅すると、すぐに母が2階から降りてきてこう言った。

 「○○さん、亡くなったんだって」

 「いきなり何言ってんだよ」

 「お兄さんから電話があった」

 「!?」

 すぐさま折り返す。
 
 「今日の午後4時、心不全で亡くなった」

 心不全?どういうことだ?交通事故とかならわからなくもないが・・・

 実は○○はその年の10月に結婚したばかりだった。

 8月には婚前旅行で韓国に行き、二人でフルマラソンを走ってきたと言っていた。といってもアスリートのようにハードなトレーニングをしている訳ではなく、毎日軽くジョギングをしている程度。まだ28歳。体はどこも悪くない。というより健康そのものだ。

 なぜ心不全・・・

 その日の昼食後、奥さんに「ちょっと頭痛がするから横になっとく」と言ったあと、二度と起きることはなかったという。

 残念なことに、世界中の人々に「明日」という日が平等に訪れる訳ではない。いつかは自分の順番が来る。そしてそれは「いつ」かわからない。極論すれば、それは「今日」かもしれないのだ。

 だからこそ『今』というありふれた、当たり前の時間を精一杯、大事に生きていきたい。

 通夜のときの、終始泣き崩れていた奥さんの姿が今でも忘れられない。

 元日に届いた二人からの年賀状。

 そこには○○の字で「今年もよろしくお願いします」と書いてあった・・・
 
【20】

無題  評価

トリイソ (2017年08月15日 23時37分)


 最近よくベンガルさんのことを思い出します。

 ベンガルさんは私とは似ても似つかない人だと思うんですけど、なぜか境遇というか、私と似たような経験をされてたりして、すごく嬉しかったのを今でもはっきり覚えています。

 同性にこれほどまでに惹かれたのは初めてです。というより、これから先はもうないかもしれません。

 なぜ神さまは、ベンガルさんという人をこの世に送り出したのか、そして、なぜ私と巡り合わせたのか、そんなことをよく考えます。

 偶然ではない。そう思えてならないのです。

 だとすれば、私は何をすべきだろう・・・

 そんなことをよく自問自答します。

 人は色んな局面において、感謝の気持ちを覚えることがあります。

 そんなとき私は、なぜ今この瞬間があるのかということを考えたりします。

 そうすると、何気なく過ごしてたら絶対に気づかない『思い』があることに気づくことがあるんですよね。

 発見できたりするんですよね。

 そんなことをベンガルさんから学んだような気がします。教えられた気がします。

 ベンガルさん、あなたには感謝の気持ちでいっぱいです。またしばらく転載しますが、どうかお許しください。

  
【19】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 02時46分)


 2013年7月9日(火)午前11時、そのとき私は鹿児島空港に居た。

 初めて来たが、鹿児島空港は日本で6番目に利用客が多い空港だそうな。たしかに予想していたよりも人が多い。

 それから私はジャパンエアコミューターで沖永良部島に行く。36人乗り。こんなにちっこい飛行機はセスナ以来だな。

 沖永良部は人口14000弱。結構いるんだな。それから与論島、奄美大島、喜界島に行ってきた。

 3泊で4つの島。結構なハードスケジュール。飛行機に乗ったのは4日で5回。こんな短期間にこんなに乗ったのも初めてだ。

 海や自然が好きな人はどの島も魅力的なのだろうが、個人的に一番オススメなのは奄美大島。この中では一番大きく(日本では沖縄、佐渡島に次いで3番目)栄えていて、パチンコ店も10店舗以上あったのも魅力的。

 おっと、間違えた。違う、違う。見どころもたくさんあってお土産屋さんも多く種類も豊富。この中では唯一ハブが生息する島。んっ?与論にもいたっけな?

 まぁ、それはさておき、奄美の浜辺でウミガメを発見。急いで写メを妻に送る。でも「ようわからん」とな。やっぱりこの感動は実際に見た者でないとわからないか。

 あと、瀬戸内町の南部大島自動車学校の横にある旧陸軍弾薬庫跡に行ってきた。昭和7年に作られたものにしてはすごい立派。その精強さがうかがえる。

 そして、最終日には喜界島に行ってきた。ここに来た目的は、地下ダムの研修。日本で2例目になる地下ダム建設だが、いやはやすごい技術だ。

 プライベートか、もう少し余裕のあるスケジュールだったら存分に楽しめたと思うが、あっという間に終わったという感じだった。結局パチンコもできなかった(涙)

 で、ここからが本題。

 奄美のホテルでテレビを観ていたら、CMでスターダストレビューの『今夜だけきっと』が流れていた。

 『今夜だけきっと』はこれまで聴いてきた曲の中で、多分私のトップテンに入るであろう名曲。メンバーの母親は、この曲を聴いたとき感動して泣いてしまったという。

 でもスターダストレビューの曲がCMに使われるのは何年振りのことだろう。絶頂期には結構使われていたが、最近では活動しているのかさえもよくわからない。

 そういえば、渡辺満里奈(実はおニャン子の中で一番好きだった)にも楽曲を提供していたな。

 おニャン子と言えば、山本スーザン久美子がなぜメンバーに選ばれたのか未だに理解できない(笑)彼女が一番好きだったという人はいるのだろうか?

 おっと、また横道に逸れてしまった。

 今日帰宅途中、カーナビのHDDに記録している3000曲以上の中から『今夜だけきっと』を探し出し久しぶりにじっくり聴いてみたが、やっぱりすごくいい曲。

 こりゃ片手に入るな(笑)
 
【18】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 02時42分)


 「こちらが前菜のサラダとスープになります」「こちらがメインディッシュのサーロインステーキになります」

 いや、そんなの見りゃわかるって・・・っていうかその日本語おかしくね?

 「こちらが前菜のサラダとスープです」じゃねぇの?

 オタマジャクシを指差して「オタマジャクシになります」って言われたら、「えっ?カエルになるんじゃないの?」ってなっちゃいますよ。

 こういうことに限らず、現代には「新語」なるものがる。そして「死語」もある。まるで生き物だな。いやいや実におもしろい。


 『発足』

 我々の時代は「ほっそく」と言っていた。今は「はっそく」と言うらしい。

 あと、私が知らなかっただけかもしれないが、「代替」を「だいがえ」と読む人を、「もっと勉強しなさい」と思っていたが、どちらでもいいらしい。たしかにパソコンで変換すると普通に出てくる。勉強不足なのは私のほうだった。

 本当に日本語は難しい。英語を覚えるよりも何倍も難しい。日本語が話せる外国人を見ると、本当に感心するというかすごいと思う。

 英語はシンプルだし、「世界共通語」として適しているのだろう。

 でもやっぱり日本語独特の「味」は、方言も含め、非常におもしろい。

 そんなことを思った一日でした。
 
【17】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時53分)


 今回の出張では、買い物や食事に行くとよく「ジャパニーズ?」と聞かれた。

 「イエス」と答えるたび、みんな、日本の友人の話や思い出話を聞かせてくれた。

 買い物レジでは長話はしなかったが、飲食店では10分以上話し込むこともざらだった。

 私が「日本人」だからという訳ではなく、色んな人に気さくに声を掛けていた。まぁそれが「接客業」の本当の姿なのかもしれない。

 翻って、日本ではどうだろうか?タクシーや床屋(といっても20年くらい行ってないが・・・)ではよく話しかけられるイメージがあるが、飲食店ではあまりそのようなイメージがない。

 「接客業」と「サービス業」の切り分けというか、日本におけるサービスの重点はもっと違うところに向けられているのだろう。

 まぁもっとも、コンビニのレジとかで、会計の都度話しかけられても、それはそれですごく鬱陶しい気もするが(笑)

 つまりはその各々で、需要と供給がうまく釣り合っているということか。

 でもまぁその、あれだ。実は私もタクシーとかで話し掛けられるのはあまり好きではない。静かなほうが落ち着く。

 パチンコも然り。というより長年パチンコやってきた弊害だろうか?それとも私が「日本人」だからだろうか?

 おっと、今回書きたかったのはこんなことではない。

 たくさん「ジャパニーズ?」と聞かれた。全て「ジャパニーズ?」だ。

 そう、そのことがすごく嬉しかったのだ。
 
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