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【1108】 | RE:神と悪魔の非武装地帯 いてえよ〜 (2016年09月11日 23時40分) |
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>(2)古書店主は、法律上、落ち度は全くないのに、世間の人から、加害者(殺人者)扱いされた。 >(4)古書店主に対するバッシングは「加害者バッシング」である。 店主は、被害者なのに叩かれた。加害者扱いされて叩かれた。 世間は、加害者だと思って叩いた。だから加害者パッシングだ。 カンパチーボンさんは、世間が加害者だと思って叩いたから「加害者バッシング」だと言うのですね。 でも、結果的に見たら被害者が叩かれているのだから「被害者バッシング」ではないですか? そして、叩いた世間は古書店店主が万引きされた被害者だと言うことを知らなかったと思いますか? そんなことないですよね? でも、「万引きぐらいで死ぬことはなかった」、「死なすぐらいなら見逃せばよかったんだ」と言う思いでパッシングしたんだと思いますよ。 だから、被害者と知りつつその歪んだ正義でパッシングしたんだからこれは『被害者パッシング」だったんだと思います。 |
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【1121】 |
Piro3 (2016年09月12日 13時45分) |
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これは 【1108】 に対する返信です。 | |||
>でも、「万引きぐらいで死ぬことはなかった」、「死なすぐらいなら見逃せばよかったんだ」と言う思いでパッシングしたんだと思いますよ。 >だから、被害者と知りつつその歪んだ正義でパッシングしたんだからこれは『被害者パッシング」だったんだと思います。 僕も本屋主人の件はその道理で正しいと思います。 少年がsiんだのは主人が追いかけたから→追いかけたのは少年が万引きしたから。 確かに万引きとsiでは罪の重さはあまりに異なりますが 誰もがその違いを持っている事実が追いかける主人に少年殺害の意思は無かった事を示唆しているので それを責めるのはやはり被害者バッシングと言うべきでしょうえっもういいですってッΣ(゜Д゜;) |
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この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【1109】 |
カンパチーボン (2016年09月12日 00時09分) |
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これは 【1108】 に対する返信です。 | |||
まず、「加害者バッシング」「被害者バッシング」をどう定義するか、という所から出発しなければならないと思います。 しかし、その前に、私は、バッシングそのものが病的だ、と考えています。 法的に終結すべきことに、世間が口出しをし、バッシングするというのは、筋違いです。 なぜ、そんなことが起きるのか。 日本国内のことばかり取り上げてると逡巡してしまうので、日本とは対照的な国のことをお話しします。 アメリカです。 アメリカは犯罪大国であり、凶悪犯罪だけでも約140万件であり、日本の約7万件とは比になりません。 では、アメリカでは、凶悪犯罪が起こった場合、加害者の家族に対してどういう反応が起きるのか。 日本人には想像もつかない、驚くべき反応です。 1998年にアメリカのある高校で銃乱射事件が発生しました。 その犯人の母親に、電話・手紙が殺到しました。 その内容は、 「村中であなたたち家族のために祈っています」 「今あなたの息子さんは一番大切な時なのだから、頻繁に会ってあげてね」 など、激励の言葉であふれていました。 バッシングは起きないのです。 バッシングどころか、励ましや慰めの感情が起きるのです。 この違いは何なのでしょうか。 古書店主は加害者ではありません。 しかし、日本の「世間」は加害者を「見つけ出し」て、バッシングするのです。 日本の「世間」がいかに恐ろしいものなのか、よく分かると思います。 まずは、この違いがなぜ生じるのかを考えてみてはいかがでしょうか。 |
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