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【6157】 | RE:パンティ会場はここだZ!!! パクチー(☆∀☆) (2014年08月14日 08時31分) |
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>高校野球の試合… > > >市和歌山のセカンドの送球を > >取り上げるニュースを見ると > >その原稿を書いた記者が馬鹿に見えるな ほんまっすね。。 局に於いては 1日使い回しするから ニュースの度に写し出されるしね… 今はネットやYouTubeが盛んだから 使い回しされちゃうし、書かれるし… 明徳のvs 松井なんてのも あの投手が何年も苦しんだの先日もやってたね。 あれは、報道だけとは違う問題もあるけど。。 ほとんどのチームは ミスなんてのは 後から仲間内では 攻めないけどね。。。 ほとんどは……… 俺が PKを外して負けた試合、 地方ニュースで使われまくられたよw でも 仲間内では そんな事は… 未だに 集まる度に 言われちゃうwww 笑い話としてだけどねw 真面目に 傷にならない報道をしてもらいたいもんだね。 |
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【6158】 |
環八 (2014年08月14日 09時53分) |
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これは 【6157】 に対する返信です。 | |||
>高校野球の試合… >市和歌山のセカンドの送球を >取り上げるニュースを見ると >その原稿を書いた記者が馬鹿に見えるな それは、高校野球の宿命かもしれません。 特に甲子園は、スポーツ精神の枠を大きくはみ出して、「郷土愛=ナショナリズム」体現の場になっちゃってますから。 選手は、郷土の名誉をかけて戦わされるわけです。野球というスポーツそのものを純粋に楽しむ、ということが許されない。 一言でいえば、代理戦争です。 ワールドカップやオリンピックもそうですけど、選手は、いわば兵士で、「国民=観客」の期待を一身に背負って、殺し合いの代わりに点の取り合いをさせられてる。 草野球や練習試合であれば、 『あ〜あ、やっちゃった』 『気にすんなよ』 で終わっちゃうところが、代理戦争ということになると、そうはいかなくなります。 ナショナリズムは集団ナルシズムの一種ですが、「ナルシズム=自己愛」である以上、独りよがりだし、自分が満足しなきゃ気が済まない。当然ですが、「集団ナルシズム=郷土愛」に毒されているのは、選手たちではなくて、応援する連中です。 すると、選手は、自分たち自身のために、つまり、自分たちがスポーツを楽しむために試合をするのではなく、応援する連中を満足させるために試合をしなければならなくなります。スポーツの主役が、選手から観客(あるいは、県民、さらには、国民)にすり替わっているのです。 観客は、自分がプレーしてるわけじゃないのに、選手の失敗に罵声を浴びせたり、失望したり、がっかりしたり。点が入れば、大歓声。 市和歌山の二塁手は、おそらく、相当期間、心の傷に苦しむことになるでしょう。それは、甲子園という「集団ナルシズム=ナショナリズム」の場にいたからです。代理戦争をさせられたからです。 ホントの戦争でもそうです。戦争に負けて帰ってきた兵士は、国民から、袋叩きにされます。太平洋戦争敗戦の時は、状況がちょっと特殊だったので、帰還兵が責められるということはなかったようですが、日清戦争のときは、けがをしてやむなく帰還した兵士は、周辺の住民から石を投げられたそうですよ。『ケガしたくらいで帰ってくるとは何事だ。死んで来い』と。その兵士は、相当苦しんだと思います。 集団ナルシズムに毒され、敵対心をむき出しにした『観客=県民=国民』というのは、残酷なものです。彼らには、スポーツマンシップ(ノーサイド)というのは、関係ないのです。勝つか負けるか、それだけです。 選手=兵士は、勝てば英雄、負ければ恥とされる。「集団ナルシズム=ナショナリズム=郷土愛」に翻弄される犠牲者です。言い過ぎかもしれませんが、観客のおもちゃにされてる。 テレビや新聞のニュースは、選手のために書かれるのではなく、郷土愛に毒された県民のために書かれるのです。だから、あんなニュースになっちゃうのです。マスコミの連中も、僕が今書いたようなことに気付いてる人は少ないかもしれません。 ナショナリズムをあおるような対外試合というものは、やめちゃえばいいんです。そうすれば、あの二塁手のような犠牲者は出なくなります。誰かが教えてあげればいいんです。『キミが悪いんじゃない。観客が悪い』と けど、人間の一つの本性として、やめられないんだろうな。皆で熱狂するのって、快楽ですから。 『日本勝て』ってやりたいもんね。 選手も勝ちさえすれば、応援され、英雄扱いされるのは、気分いいだろうから。 結論の出しようがないな。 |
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