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【6353】 | RE:カンパチさんへ カンパチ (2013年08月25日 10時17分) |
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笑夏’さん >私が感じたのは、カースト制度の中で、それぞれが自分の階級の役割を演じるのに必死だと言う事。 まず、スクールカーストがなぜできるのか、何が前提となっているのか、を知るといいと思います。 先のレスで紹介した本に書いてあることを、少し、抜粋してみます。それだけでも、『ア〜、そういうことか』と思えると思います。 ≪人間が出会うと、そこには必ず『値踏み』というものが発動する。同性だろうと異性だろうと一緒。人は相手が自分より「高い」のか「低い」のか見極めようと(というか「分類してしまおう」と)するのである。 そんなことはない、私はそういうのと関係ない、と否定したい人もいることだろうが、中学や高校で、この「値踏み」を前提にグループが形成されることまでは否定できないと思う。 「高い」子は「高い」子で集まる。その様子を見つつ「中間層」が決まり、そこにもれた子=ほぼ「低い」子が何となく集まる。そうして新学期は始まるのだ≫ ≪歴史的に振り返っても、日本の学級集団は、「同一年齢や同一能力に均質化され、教室という同一空間の中で、同一知識内容が同一時間に一斉に、同一教師によって教えられる」という、管理する側にとっての効率をもっとも重視したシステムであるため、児童生徒側の人間関係の都合はあまり考えられていなかった≫ ≪学級集団は、クラス替えのときが来るまで逃げられない檻(おり)のようなシステムである。そこで耐えられない人間関係が生まれたとしても、個人の力で変えることは不可能である≫ いかがですか?。 カーストというのは階級制度といっても言い訳ですが、階級ができてしまうと、支配者と被支配者という人間関係ができてしまいます。もう少し、抜粋しますね。 ≪学校はいじめをするには格好の舞台になる。なぜならば、学校は集団の和を非常に重んじる場で、和を乱した者には罰が科せられて当然だからだ。 みんなで文化祭の準備をしているとき、一人だけ用事があって帰ってしまった生徒がいたとする。その生徒は正当な理由(例えば、両親が共働きで、代わりに弟を保育園に迎えに行かなければならなかった、など)があったとしても、クラスメイトからものすごい批判を受けるかもしれない。 無論、社会の中では、職場やその他の場でも、理不尽な批判を浴びることは多々あるが、そうしたことが他の社会よりも許容されやすい状況にあるのが、学校である≫ ≪弱い者を支配することにより得られる「全能感」。もともと均質だとされる学級集団の中で、周りよりも優位に立つことは全能感を与えてくれる出来事となりうるのかもしれない≫ こう読んでくると、僕が先のレスに書いたように、スクールカーストは、教育問題であると同時に、日本社会で多く見られる社会的病理現象の縮図だ、ということが分ってきますでしょ。 あのドラマは、そういった本質的な病理現象に取り組んでいなかったので、特に印象もなく終わってしまったのだと思います。 |
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【6354】 |
カンパチ (2013年08月25日 11時35分) |
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これは 【6353】 に対する返信です。 | |||
下のレスに、チョびっと、補足しときます。 >>日本社会で多く見られる社会的病理現象の縮図だ、ということが分ってきますでしょ。 「日本社会で多く見られる社会的病理現象」の例を少し、羅列します。 パワハラ、セクハラ、モラハラ、孤独死、企業や官庁による組織的不祥事、リストラ、離婚の急増、育児困難などです。 |
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