返信元の記事 | |||
【5926】 | 武将。 パチ屋の狼 (2013年06月23日 19時27分) |
||
こんばんは。 私が好きな武将(大名)を、そりゃもう色々とご紹介したいと思います。 (1)佐々成政 理由は説明不要!w 信長の馬廻りから出世して、1567年に黒母衣衆筆頭になる。信長の家臣としては最古参で、各地の戦に従軍する。 前田利家とは旧知の間柄で、共に多くの合戦を戦い抜いた戦友でもあった。 信長没後は秀吉と敵対するが後に降伏し、九州平定戦の功績で肥後(熊本)一国を与えられ城持ち大名になるも、1588年に一揆の責任を取らされ切腹する。 (2)上杉謙信 大義名分を重んじ、義理人情に厚く、救援を求めて来た者を決して拒まず、どこまでも助けようとした義の人物。 領土欲を持たず、他人からの要請でのみ出兵したという。 軍神とも越後の龍とも呼ばれた戦人(いくさびと)で、あの信長さえも恐れて、一時は同盟を結んでいた事もある。 (3)織田信長 それまでの常識を、良い事も悪い事も散々に覆(くつがえ)した歴史の風雲児。信長が居なかったら、戦国時代はもっと長引いたかも知れず、秀吉や家康も、あそこまでの人物になれたか疑問。 前例を見ない天才的で柔軟な発想や、人を惹き付ける魅力(カリスマ)があったが、無能と見るや、平気で人を使い捨てる冷酷な部分があったので、この順位。 (4)武田信玄 風林火山の旗印を掲げ、戦国最強と謳(うた)われる騎馬軍団を率いた、甲斐の虎とも評される戦国大名。 信長が、上杉謙信と共に最も恐れた人物。 「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵なり。」として、領民と家臣思いの人でもあったが、自国の発展の為とは言え、信濃を始め各地に侵攻したのでこの位置。 (5)秀吉と家康 今更説明不要かと。同率なのは、共に天下統一と天下泰平を成し遂げた偉人として。 同時に、手段を選ばない謀略ぶりと、「人たらし」として、裏で結構エグい事をしたのでこの順位。 (6)本多忠勝 徳川四天王。秀吉に「花実兼備の勇士」と言わしめた武将。 生涯57度の合戦に参加し、一度も怪我を負わなかったと言われる。 「家康に過ぎたるものの二つあり。唐の兜(ヤクの毛皮で覆われた兜)に本多平八(忠勝)。」 と謳われた、名将にして猛将。 なお、「真田 信之」に嫁いだ「稲姫」は、実の娘である。 (7)真田幸村 武田家軍師、真田幸隆の孫。徳川家康が最も恐れたと言われる武将。「日本一の兵(もののふ、またはつわもの)」と謳われた。 本当はもっと居るんですけど、とりあえずこれだけw ちなみに、「前田慶次」は正確に言うと軍を率いる武将ではないので、ここでは挙げませんでした。 (訂正1回) |
■ 8,730件の投稿があります。 |
【5927】 |
笑夏’ (2013年06月23日 19時47分) |
||
これは 【5926】 に対する返信です。 | |||
パチ屋の狼さん、こんばんは^ ^ さすがに詳しいですね〜語るなぁ・・ 私はほんと歴史のこと、ほとんど分かんなくて・・ やっと最近漫画の影響で少し・・^ ^; そういえば、前にも上杉謙信の事書かれてましたよね。 やはり・・今度は織田信長を読まねばって感じですね。 私も例の漫画、読んでみますね。 |
|||
© P-WORLD