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【9274】 | 侍魂さん S・Pエス (2007年12月17日 11時50分) |
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侍魂さん、こんにちは。 一気の書き込みお疲れ様です。漸く侍魂さんらしいご投稿を見ることが出来安心いたしましたよ。 そして私へのご配慮ありがとうございます。やっぱり優しく強い侍魂さんですね。嬉しいです。 >それと歴史では厳禁とされている,「もしも…」 研究する立場からはそうかもしれませんが、歴史ファンの多くはその「もしも」を当然考えると思いますよ。司馬遼太郎さんの本の中で、「人の性格は一筋や二筋の縄で編まれた単純なものではないらしい」という言葉を思い出します。 本能寺の変にしても日向守光秀が何時決意したのか、その理由は何だったのかは本人以外真意は不明だと思います。そこを論理的に類推するのも歴史の一つと思っています。 今回の関ヶ原については、私自身もしもを考えたことはないんですが、侍魂さんのご提案のもしもがあったとしても結果は変わらなかったと思います。 関ヶ原当時、秀頼は河内、摂津の60万石の大名としての位置付けが確定しつつあったこと。 九州最強の島津義弘が石田方に参戦していたこと。 豊臣政権における家康の影響力。 だいたいこの3つの要因を思うと多少のぶれはあっても徳川政権の樹立への道はほぼ必然だったように感じます。 簡単ながらここまでにしておきますね。では、またです。 |
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【9303】 |
侍魂 (2007年12月18日 11時32分) |
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これは 【9274】 に対する返信です。 | |||
早速の返レス,ありがとうございます。(*^。^*) 成る程!ご見解を戴き感謝します。 私は日本史の中で, 秀吉の晩年から関ヶ原を経て,大阪の陣が一番関心が高い時代です。 だから色々と文献を漁り読んでいました。 歴史には必然ばかりではなく,偶然も多く存在していますから, 色んな捉え方が出来,またそこから導かれて考えるのも楽しいものですね。 また今後も日本史の会話を宜しくお願いします。ヘ(*^0^*)v |
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