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【24】 | 社長 19 ゑびす5 (2006年07月01日 17時41分) |
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『社長 vol.19』 社長のパパはDQNだった。 北海道のO市生まれで,社長の母さんに惚れて,東京まで追っかけて行き,娶ったのはいいが,その後,小チンピラとなりシャブにも手を出した前歴がある。 その頃は,羽振りも良く,その頃では高級車であるセドリックに乗っていた。 「セドリックに乗っているとホテルに食事に行っても恥ずかしくないんですよ。いっひっひっひ」と社長は俺たちによく語っていた。 社長パパは,社長の母親の死後,社長たちを母親方の祖父母に預け,ふらりと姿をくらました。 そして,社長が某有名大学の付属高校に入学した頃,姿を現した。 その第一声目が,「『親は無くとも子は育つ』とはよく言ったもんだ。はっはっは」と高笑い交じりだったという。 さすがは社長パパである。 気風がいい,ではなく,ずぼらである。 そして,新しい母親を社長たちに紹介した。 そう,行方不明になっている間に,新しい女を作っていたのである。 社長パパは結構いい男なのである。 そこは社長と違っていた。 女にも,そこそこもてたらしい。 そこも社長と違っている。 なんてたって素人とは,縁の無い社長である。 ある日,社長パパが大学を訪れた。 自分の息子がどのような暮らしをしているのか,知りたくなったらしい。 大学の正門の中に車を乗り入れ,車を止めた。 運の悪いことに,学生がその近くでキャッチボールをしていた。 更に運の悪いことに,受け損なったボールが社長パパの車のボディにぶつかった。 社長パパは見た目がいかつい。 当たり前である。 つい最近まで小チンピラだったのだから。 社長パパは,車から降りてこう言った。 「おいそこの学生!!! ちょっと来い!!!」 「す,す,すいません・・・」 「電話はどこにある?」 学生を呼んだのは,ただ電話を掛けたかっただけであった。 社長パパは,見た目がいかつくても悪い人ではなかった。 |
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【25】 |
ゑびす5 (2006年07月01日 17時42分) |
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これは 【24】 に対する返信です。 | |||
『社長 vol.20』 社長がR町に赴任してからというもの,H海道のガソリンの消費が激しくなった。 それは,社長がR町からS幌市に通っていたからである。 R町からS幌市までは距離にして,500kmはあった。 時速50kmで10時間である。 まあ,H海道では,平均時速は60kmくらい簡単に出せるけれども,それでも8時間以上である。 ここまで来ると,常軌を逸している。 何せ,毎週なのであるから。 しかもこの頃の学校は週休2日制ではなかった。 土曜日は半ドンだったのである。 さすがは社長。 執念である,FZKに対しての。 ここまで来ると我々は社長を崇拝してしまっていた。 午後一番に出発しても,S市に到着するのは,9時頃である。 そして,社長は運転の疲れも見せず,FZK店に直行するのである。 皮切りは,社長のホームグランドである『プ○シーキャット』。 ここで,まず1週間のスペ○マを『69』によって放出するのである。 社長が言うところの「まずは一服」である。 そして次に安いソ○プランドに行く。 お気に入りは「女○院」であった。 「軽く一杯」である。 更に,ちょっとお高めのソープに行く。 「最後の締め」である。 こうして,社長は毎週,オイルメジャーと怪しげなFZK関係者と日本の景気のために血税を貢いでいた。 しかし,ホテル産業には貢いでいなかった。 S市に住む,大学の友人であるNのところに泊まっていたのである。 社長なりの節約術である。 Nにとってはいい迷惑である。 それはそうだ。 毎週,せっかくの土曜の夜を社長と過ごさなければならないのだから。 Nは,最初は我慢していたが,ある時, 「来週の土曜は俺・・・いないから」 と宣言した。 しかし,社長は次の土曜もNのところに泊まった。 そう,社長はNが家にいることを第六感で感じ取っていたのである。 社長はエスパーでもあった。 |
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