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【9】

答えとやさしさ  評価

トリイソ (2016年10月18日 01時26分)

 私が小さい頃、ある理由により、近くに同級生の女の子が引っ越してきた。名は恵美子。

 恵美子は生まれつき病弱で、ずっと入退院を繰り返していた。

 近所だったこともあり、私は恵美子とすぐに仲良くなった。

 おばちゃんは「友達になってくれてありがとうね」と言ってくれた。

 入院で休むことが多かったけど、恵美子と一緒に学校に行ける日が楽しくて仕方なかった。

 そんなある日、何と恵美子は授業中におもらしをしてしまった。

 私は恵美子がどんな病気だったのかは知らなかったけど、多分病気が原因でおもらしをしてしまったんじゃないかと思った。

 でも周りのみんなは面白がって恵美子をからかった。

 そして次の日から、恵美子はまた学校に来なくなってしまった。

 私は恵美子の家に行き何度も学校に誘ったが、おばちゃんは「うん」とは言ってくれなかった。

 恵美子は入院で学校に来れないことが多かったため、専属の家庭教師がいた。

 だから学校に来なくても勉強は一番できた。だから無理して学校に行く必要はなかったのかもしれない。

 病気を理由にされると学校側は何も言えないし、おばちゃんに頼んでも「ごめんね」としか言ってくれない。

 ただでさえ、たまにしか学校に来ない恵美子。今は入院してないのに学校に来ない恵美子。

 寂しかった。悔しかった。

 恵美子がいない学校なんて何一つ面白くなかった。私にとって、恵美子のいない学校には何の意味もなかった。

 どうしたら恵美子は学校に来てくれるのか、それだけを一生懸命考えた。

 そして一つの行動に出た。

 私も恵美子と同じように授業中におもらしをしたのだ。

 あのときと同じように、みんなが私をからかった。恵美子の気持ちがやっとわかった気がした。

 私は帰宅してそのことを母に話した。母に話せば、おばちゃんの耳にも入ると思ったからだ。

 次の日の朝、恵美子がおばちゃんと一緒に家に来て「一緒に学校行こ」って言ってくれた。

 本当に嬉しかった。心の底から嬉しかった。

 でもその二日後、恵美子は大きな手術のため、また入院してしまった。

 そして二度と、恵美子が学校に来ることはなかった。



 あのとき恵美子が学校に来なくなったのは、おもらしが原因ではなかったのだろう。

 恵美子はそんなに弱い子じゃないし、私の何倍も強い子だった。そんなこともわからなかった。

 あのときおばちゃんが言った「ごめんね」の本当の意味を、その言葉に託されたたくさんの思いを、たくさんの愛を、私は感じ取ることができなかった。



 恵美子、ごめんね。オレがやらなくちゃいけなかったことは他にたくさんあったのに、オレにはそれができなかった。

 でも恵美子オレね、一生懸命だったよ。無い頭絞って、本当に何度も何度も一生懸命考えたよ。

 でもやっぱり、ごめんね・・・



 恵美子、恵美子は一切、病気のことはオレには言わなかったよね。絶対、その話だけはしなかったよね。

 恵美子は病気のこと、どれだけわかっていたのかな。どれだけ理解していたのかな。

 そんなことを考えてしまうことがあります。

 でももうそれを知る由もないし、また、知る必要もないのだと思う。

 恵美子のとった行動の全てが恵美子のやさしさであり、答えなんだと思うから。

 あの日、「一緒に学校行こ」って言ってくれたときの恵美子の笑顔、ずっと忘れられません。

 あの日の幼心に、どれほどの思いを込めてあの笑顔を作ったのかと考えると、涙が溢れて止まりません。

 本当に、止まらないよ・・・



 恵美子、たくさんのやさしさ、本当にありがとう。感謝しています。

 そして最後に、照れくさくてずっと言えなかった言葉、ここに書いてペンを置くね。




   『恵美子、友達になってくれてありがとうね』


 
【8】

出禁物語  評価

トリイソ (2016年10月17日 20時30分)

 私はこれまでに2回、出禁を言い渡されたことがある。

 正直それまでは、攻略集団とか、台を壊したりとか店内で暴れたりとか、不正や直接的な被害があった場合にのみ言い渡されるものであって、一般人が普通に遊戯している中にあっては無縁のものだと思っていた。

 特に自分には全く縁のないものだと思っていた。

 最初に出禁を食らったのは今から17年前、連日のように現金機のポンポコリンえもんで抜き倒していたときだった。

 常に1Kで30回ほどあったので、勝率は8割を超えていた。

 いつものように時短を止め打ちで消化していると、いきなり店員がやってきて、「ウチは止め打ち禁止です」と言ってきた。

 (はぁ?いつもやってるだろ?なんでいきなりそんなこと言うんだ?)

 「・・・いつもやってますけど」

 「・・・いえ、決まりですから」

 私は不機嫌そうに頷き、打ちっ放しにした。

 でもそのあとも店員の見てないところでちょこちょこ止め打ちをしていたら、店員が走ってやってきて、「止め打ち禁止です」と。

 なんでわかるんだ?

 見てなくてもバレると悟った私は、それからは打ちっ放しで時短を消化したが、玉減りに耐え切れず、ついついまた止め打ちをしてしまった。

 そしたらその直後、「お帰りください」の最終宣告が。

 換金が面倒でそれまで貯玉していた分の約50万(2.38円交換)を全て換金し、店を後にした。

 その店は今でも存在するが、あれ以来、一度も行っていない。

 2度目の出禁は今から9年前、現金機のマハラジャを打っているときだった。

 最初の出禁の教訓から、努めて連日の通いは避け、ローテを組んで目立たないよう配慮してきた。

 でもどんなにローテを組んでも、2週に1度くらいは足を運ぶことになる。半年も通えば、やはり覚えられてしまうのだろう。

 その日はいつになく好調だった。夕方の時点で、すでに足元には15箱くらい積んでいた。

 当たるであろう予告が来て保留も満タンになったので、ハンドルから手を放して見守っているとき、コトは起きた。

 お偉い風の店員が背後にやってきて、こう言い放った。

 「ウチは止め打ち禁止です」

 「はい?止め打ちしてませんよ」

 「今打たれてませんよね?」

 「はい?リーチ中で保留も満タンですよ」

 「それでも止め打ち禁止です」

 「はぁ?この状態で打ちっ放しにするバカはいないでしょ」

 「禁止です」

 「・・・お前、それオレに帰れって言ってんの?」

 「はい」

 「・・・わかった。この当たり終わったら帰るから、下の玉全部交換しとけ。お前の顔と名前、はっきり覚えたからな。1人のときは気をつけろよ」

 翌日、かなり問題のある発言をしてしまったと猛省した。

 でも抑えられなかった。気をつけていただけに、まさかあんな強引な理由付けでくるとは思っていなかっただけに、怒りが収まらなかった。

 まぁでも今にして思えば、仕方のないことだったと理解できる。

 その店では、2年半で200万以上は稼がせてもらった。いくらスパンを空けたとしても、マークされない訳がない。

 パチンコ店にはよく、「全てはお客様のために」みたいな張り紙があったりしますが、パチンコ店にとってのお客様は、「負けてくれる人」なんですよね。

 勝ち続ける人はお客様ではなく、排除すべき人。

 パチンコにおいては、店のルールが全て。そしてそれは、自由自在に、店の都合のいいように、その場しのぎでいかようにも変えられる。

 極論すれば、「あの人はやってもいいけど、あなたはダメです」

 これがまかり通る空間。そう痛感させられた。

 まぁでも僅かですが、確かに良心的なパチンコ店も存在するので、全てがそうとは言いませんけど。

 そしてこの現状ではもう、そういう心配は皆無なんですけどね。

 
【7】

RE:トリイソ、またたび  評価

トリイソ (2016年10月17日 19時36分)

 ジャグSENさん、こんばんは。

 そうでしたね、当時はパソコン調子悪かったんですよね、今思い出しました。
 
 この半年間、数えるくらいしかパソコン開いてなかったし、機種板に何度か書き込みしただけだったので完全に忘れてました。

 そう言えば、今は特に問題ないですね。普通に変換できてます。機械には疎いのでよくわからないのですが、機械も休ませると調子よくなったりするんですかね。

 あっ、そうそう、綱取ではもう一つ強烈な思い出があります。

 いつものように閉店間際に店回りをし、その日は珍しく5台、綱取が閉店直前に大当たりしてました。

 とりあえず記録し、もし明日、その内の1台でも確保できたらラッキーだけどなと思いながら帰宅しました。

 これは私の中での暗黙のルールなんですが、閉店間際に打っていた台は、翌日もその人が打つ権利がある。だから、その人が開店前から並んでたらその台には手を出さないというね。

 まぁはっきり言ってそんな権利なんてないし、早いモン勝ちの世界だっていうのはわかってますけど、個人的にはそんな失礼なことはできない。

 だから必ず、打っていた人の顔をしっかり覚える様にしてました。

 翌日、開店前に並んでいる人たちを確認すると、昨日打ってた人があまりいない。

 昨日打ってた内の2人はよく見かける人なのではっきりわかるんですが、あとの3人は見た記憶がない人だった。

 並んでいる面子も大抵常連なのでほとんどわかるんですが、10人ほど馴染みのない人がいる。

 でも、この中には昨日打ってた人はいないような・・・

 いざ開店。2人は当然、昨日自分が打ってた台を確保。残りの3台の内、2台は常連が押さえた。

 「あっ、やっぱり昨日打ってた人たちは来てないんだ・・・」

 残りの1台。他の人が押さえる雰囲気がないのを確認して、台を確保。

 ラッキー、まさか押さえることができるとは思わなかった。

 遊戯開始。他の4台は10分も経たない内に当たりをゲット。よし、次はオレの番だと意気込んだものの、当たりは一向に来ない。

 明らかに1000回転を超えたと確信できるほどに回しても当たりは来ない。

 でも、ただ普通モードでハマってるだけだという思いと、地獄モードであったとしてももう当たってもおかしくないという思い。

 いずれにしても引けなくなっちゃったんですよね。

 そして午後5時過ぎ、手持ちのお金を全てつぎ込んでも当たりは来ませんでした。

 私は当時のパチ日記を今でも保管していて、それを見るとその日は日曜日。

 当時のATM事情はよく覚えてないんですけど、いずれにしても、お金を下ろす術がなかったのだけははっきりと覚えています。

 悔しいけど当然、帰るしかないですよね。でも私はどうしても諦められなくて、どうしたと思います?

 当時は携帯電話もなかったので、公衆電話から実家に電話して、親に頼み込んでお金をパチンコ屋まで持ってきてもらったのです。

 頼むほうも頼むほうですが、持ってくるほうも持ってくるほうですよね。

 傍から見れば異常だと思います。でも今でも私の自慢の母親です。

 話が逸れましたが、大体こういうときってお決まりのパターンじゃないですか。傷口が広がるっていうかね。

 でもこのときは違って、数千円で当たりを引いてそこからずっと数珠連。そしてなんと、わずかではありますが、プラスになったんですよね。

 大体負けてるときって、全てが悪いほうにいくじゃないですか。普段だったらまず間違いなく当たるって展開も、ハマってるときはなぜかハズれて、「おいおい、マジか・・・」ってなっちゃいますよね。

 大負けしてて、そこから大逆転ってパターンはそうそうないですよね。だから今でも強く印象に残っています。

 このときは本当に嬉しかったなぁ。

 
【6】

>祝。初書き込み。  評価

ジャグSEN (2016年10月16日 00時26分)

トリイソさん,再びこんばんは。

 …自分,PWをのぞくようになってから5年以上が経っています。
 最近はトピ数の減少に歯止めがかからず,ちょっと寂しい気持ちになっているところです。

  だからというわけではありませんが,新たなトピが立つと,1度はクリックしていると思います(汗)。
  …で,“半年ほど前”を頼りに探してみました。 「キセルを・・・」でしたね。その時見させていただいた記憶があります。

 PC環境は改善されたのでしょうか(汗)?

       …今回は 綱取 から入っていただいたので強烈なインパクトがありました(爆)。

 本トピがが末永く続きますことをお祈りすると同時に,様々な経験談を楽しみにしております。
【5】

RE:トリイソ、またたび  評価

ジャグSEN (2016年10月15日 22時43分)

トリイソさん,こんばんは。


>私はこれまで通算、6000日以上はパチンコ店に通ってます

 コレ↑を見て考えました。
 「自分は初めてパチった日から通算して,いったい何日パチ屋に行ったのだろうか」と。
 記録が残っているのは過去5年分のみのため,正確なところは分かりませんが  5000日以上は堅い …という結論でした。

 で,パチ屋で停電に遭遇したのが2〜3回。 しかも,そのうちの1回は綱取の遊戯中でしたw

 具体の記録は残っていませんが,
 もちろん 十金小 からスタートして当たりを引き,5〜6回数珠った後,
 100回転近くまで回していた(【3】の通り,間もなく次の処女台へって時)時でした。
 近くへの落雷とともに店内全台の電源が落ち,数分後に復旧。 …当然綱取のシマは全台 十金小w
 その後大連チャンしたという記憶はないので,大勝したというわけではないのですが・・・


>「停電による補償はありません」みたいな内容の張り紙をしている店

 ありましたね〜

>9万発超え(2.5円交換)を記録

 www

>終日(約13時間)打って、一度も大当たりしなかったことが2回

 wwwww

  …どちらもスゴイの一言では片付かないレベルですねw


>近い内に出禁の話でも書こうかと

  お待ちしておりますよ〜
【4】

RE:トリイソ、またたび  評価

トリイソ (2016年10月15日 02時12分)


 古代さん、ジャグSENさん、こんばんは。

 まさかこんな拙い部屋にお客さんが来られるとは思ってもみませんでした。ありがとうございます。

 このトピタイ通り、私はトピを立てるのは2回目でして、1回目は半年ほど前、期限切れで落としてしまいました。

 当時からそうなんですが、最近は面倒臭くてパソコンもあまり開くことがなくなったので、このトピも長くは続かないと思います。

 予告もなく期限切れで落ちてしまった際は、そういうことなんだとご理解ください。

 でもあれですよね、「こんな偶然あるんか」ってこと、やっぱりありますよね。

 私はこれまで通算、6000日以上はパチンコ店に通ってますが、パチンコで停電に遭遇したのは、後にも先にもあの1回こっきりです。

 私はずっと、パチンコ店って停電しないものだと思ってました。発電機による予備電源を確保していて、電気の供給がない際にも、最低限台だけはそれで対応するものだと思ってました。

 でもよくよく考えると、「停電による補償はありません」みたいな内容の張り紙をしている店を見たことがあるような気がします。

 そういえばあの時も一瞬、「これってお金返してくれんのかな」って思った記憶があります。

 当然何もありませんでしたけどね(笑)

 普通に考えればそんなことあり得ないのに、結構お金つぎ込んでただけに、ついついそんなことを考えてしまったんでしょうね。

 初代綱取が出て間もない頃は、私もよく朝一のカニ歩き、やってました(笑)

 でもすぐに同じような人が増え、そして店側もすぐに綱取だけ電源を切らなくなったので、そういう光景は長くは続きませんでした。

 電源を切らなくなってからは戦法を変え、閉店間際に店回りをし、閉店近くに大当たりしていた台を翌日の朝一から狙うようにしました。

 まぁこれもすぐに同じような人が増え、いかんせん私は朝一の台取り競争が苦手でしたので、これも長くは続きませんでした。

 でも一度だけ、これですごい恩恵を受けたことがあります。

 何と9万発超え(2.5円交換)を記録したことがあります。

 このときは本当に周りの目が痛かったなぁ。

 店員から、「玉が少なくなってきておりますので、10箱だけ交換させてもらってもいいでしょうか」って3回言われました。

 昔はよく、こういうことありましたよね。

 綱取ではもう一つ、自慢できることがあります。

 終日(約13時間)打って、一度も大当たりしなかったことが2回あります。

 最近の機種は時間効率悪くて、通常時、時間あたり300回せる台なんて皆無だと思いますが、昔の台は時間効率いい台がたくさんあって、初代ギンパラは350くらいありました。ブン回れば400近く回せました。

 当時はデータ表示もなくて、綱取の時間効率もよく覚えていませんけど、多分2日間とも、4000回以上は回してるんじゃないかなぁ。

 よく回ったし、返しも7個だったから今の台ほどに痛手はありませんでしたけど、それでも2日間で25人ほど、諭吉という名の私の可愛いしもべたちが、私の元から去っていきました(涙)

 あっ、そうそう、私が旅打ちしたときも、札幌に2円交換の店、ありました。

 現金機のからくりキッズで2万発以上出てウハウハしてたら、換金額の低さに私もすごく損した気分になったのを覚えています。

 あとで調べて、たしか札幌にはその1店舗だけだったと記憶しております。留萌のほうにも1軒あったような気がしますが・・・

 札幌だったら同じ店かもしれませんね。もう記憶もかなり曖昧ですが、地下1階にもパチンコ台があった店だったような・・・

 くり返しになりますが、古代さん、ジャグSENさん、書き込み、ありがとうございました。

 近い内に出禁の話でも書こうかと思います。

 では、また。

  
【3】

RE:嗚呼、綱取物語  評価

ジャグSEN (2016年10月14日 01時02分)

トリイソさん,失礼します。

綱取物語… 自分の中で5指に入る思い出深い機種ですので,書き込みせずにはいられませんでした。

 …とはいっても,トリイソさんのようなスケールの大きなエピソード(羨ましく読ませていただきましたw)はありませんが。


自分が盛り綱取を打ったのは 平成9年頃でした。 いわゆる 旬 は過ぎた時期でしたね。

その当時,自分トコ周辺のホールにはまだあちらこちらに設置されていました。
しかも
 ・朝一はどこも “十金小”。
 ・データ表示器なし。

週に1度は鼻息を荒くして(w)綱取のシマに向かっていました。
旬 を過ぎていることもあり,ほぼ自分の 独壇場 でしたね〜(懐)
 (かといって,稼ぎまくれたということもありませんでしたが …弱)

立ち回りはいたって簡単。
 ・初当たりまで打つ。
 ・111回転回しても次の当たりがこなければ次の処女台へ。(111の根拠は…37(天国の確率分母)×3)

行くたびに夕方まで楽しめました。
 (後から来る打ち手は,どれが処女台かは分からないですからw)


 自分の中では 連チャン機(しかも連チャンの仕組みが明らかだった)の時代 が最も楽しかったですね〜。
【2】

RE:嗚呼、綱取物語  評価

古代晋也。 (2016年10月11日 23時50分)

 トリイソさん こんばんは はじめまして♪


 う〜〜ん、、、いいお話だなぁ

 まぁ、僕が、初代の綱取物語を打ってたのは、21年前ですから、、、14年前なら絶滅危惧種になっていたでしょうね、、、

 僕が行ってた店は、毎日 電源を落とす店だったから朝イチは、それなりに美味しかったけど、みんな知ってるから、当然独り占めにすることは出来なかったけど、、、


 落雷のお蔭?で千載一遇のチャンスが訪れたんですもんね(笑)


 いやぁ、10日間の休暇と100万円の資金を用意して大好きな台と最後の戯れをするというのも凄いことですが、、、(お気持ちは、よく分かります。)

 素晴らしい戯れになりましたね♪


 加えて、ススキノでの戯れもあった様で(笑)


 余談ですが、僕も24年前に会社の旅行でススキノに行きましたが、若かったので十分な小遣いを持って行けず、「ブルーハワイ」という台でススキノの資金を稼ごうと思い、いい線まで行ったんですが、激悪な交換率(2円交換)に泣いた苦い思い出があります。

 いつかリベンジをしたいと思っている内に そういう所にそれほど強く行きたいと思わない年齢になってしまいました。
【1】

嗚呼、綱取物語  評価

トリイソ (2016年10月08日 01時18分)

 これは、私の長いパチ人生の中でも特に思い出深い、まだ現役バリバリだった頃のパチ記録である。

 もう14年も前のことになるが、北海道の美唄市にトマトというパチンコ店があった。

 あの日本一の直線道路の札幌側の起点くらいのところにその店は存在した。

 そこにはまだ初代の綱取物語が置いてあり、それを打つためだけにはるばる北海道まで足を運んだ。

 当時でもすでに初代綱取は絶滅危惧種となっており、たしか、全国で4店舗に残っているだけだったと記憶している。

 その中で、一番設置台数の多かったトマトを選択した。

 まぁはっきり言って釘なんて全く期待できないし、期待なんてしてない。

 ただただ懐かしくて、ただただ楽しみたくて、わざわざ北海道まで打ちに行った。

 間違いなく綱取との最後の戯れになるのはわかっていたから、気の済むまで思いっきり打とうと決めていた。

 そのために10日間の有給休暇を取った。現金で100万準備した。

 旅打ちなので、宿泊費諸々で1日10万計算、夜は飲みに行くと決めていたし。

 初日と最終日の移動費等も含めてトータル100万と見積もった。

 いざ初日、天気は雷を伴う生憎の大荒れ。旅行だったら出鼻を挫かれ意気消沈のところではあるが、旅打ちなので特に気にはならない。

 入店すると、シマにズラっと並んだ圧巻の綱取陣。おぉ、またこの光景を見ることができるとは。まさに至福。

 釘は思ったほど醜くはなかった。というよりかなりましなほう。これは嬉しい誤算。これなら本当に心から楽しめそうだ。

 打ち始めてから3時間が経過。まだ当たりはこない。まぁ当然。しかしこの単調さがいい。たまにくる「のこった、のこった」も気持ちいいほどハズしてくれる。

 無限の地獄ループでン千回も延々と回し続けた昔を思い出す。当時は「のこった」をハズすたびイライラしてたものだが、今はイライラ感は全くない。

 騒がしいリーチばっかりとなった昨今、改めて「シンプルイズベスト」の素晴らしさを痛感する。

 ただ、このまま閉店まで当たらなかったら、8日間打ち切る前に100万尽きるかも・・・

 そう思った矢先のお昼過ぎ、事件は起きた。

 なんと、落雷により全ての台の電源が落ちたのだ。今日はもう撤退かとも思ったが、運のいいことに小1時間ほどで台の電源は復旧した。

 でもこれは運がいいというよりかなりの幸運。

 そう、つまり、全ての台の地獄モードがなくなったのだ(何年も落とされることのなかった電源。しかもほとんど稼働していない状況を見ると、台のほぼ全てが地獄モード(大当たり確率約1/1000)であったと思う)

 しかも1/6の確率で天国モード。天国モード中の大当たり確率は約1/20。

 幸運は終わらない。そのまま元々打っていた台で打ち始めると、何と1回転で大当たり。

 そしてそこから数珠連の嵐、嵐、嵐。

 閉店まで勢いは止まらず、終わってみればトータルで18万以上も浮いてしまった。

 とりあえずそのままススキノに行ったことは言うまでもない(笑)

 当初は8日間、綱取を打ち倒すつもりだったが、初日でお腹いっぱいになったのか、それともいい思い出のまま終わりたかったのか自分でもよくわからないが、2日目以降は札幌市内のパチンコ店でいつもと変わらない現役の機種を打った。

 いつもと変わらないけど、なぜか旅打ちでは新鮮というか、いつもと違う不思議な感覚があった。

 そして夜も毎日、綺麗なお姉さんのいる店で豪遊するつもりでいたが、それも初日だけで、それ以降はしんみりと居酒屋で海の幸に舌鼓しながらうまい酒に酔いしれた。

 旅打ちの結果も、8日間で60万以上の浮きとなった。

 こんなこと、今ではもう到底できない。でもいつかまた、リタイアした後にでも旅打ちしたいと淡い夢を抱いている。

 そんな秋の夜でした。

 
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