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【174】

コピペ 46‐3 母親との思い出  評価

真比呂 (2009年03月20日 05時35分)

47 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40

ひとり暮らしのやつら、二ヶ月以内に実家に帰って、
母ちゃんの手料理食って来い。これは命令でつ。

67 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40

お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのに
お弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、
邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに
分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。
ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。
94 :大人になった名無しさん :04/10/26 23:03:25

母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。

公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、
どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって
公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。

その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って
母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。

その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。

221 :大人になった名無しさん :04/12/13 15:50

父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。

その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心を
なぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。

あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。

あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、
わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?

もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。
【173】

コピペ 46‐2 母親との思い出  評価

真比呂 (2009年03月20日 05時34分)

36 :大人になった名無しさん :04/04/08 20:47

数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。

その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、
「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。

それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった
日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても
詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。
また、私はイジメられっ子だったので、そういった事についても書かれてた。

私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。
わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。
ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしい。

37 :大人になった名無しさん :04/05/09 21:57

生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。

6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。

会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめん。

本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。

39 :大人になった名無しさん :04/05/10 16:05

痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていた。
「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。
自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」
そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。
亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。
古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。
【172】

コピペ 46‐1 母親との思い出  評価

真比呂 (2009年03月20日 05時33分)

14 :大人になった名無しさん :03/12/06 19:19

15年前に逝っちまった。
誕生日に10円玉と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて…
○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた
(/o\)オ-ンオ-ン
甦る記憶。小4位だ。
25 :大人になった名無しさん :04/01/12 21:03

死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・
もう忘れちゃったよ・なんでだろう・・・
これが最後の夕食だって思いながら食べたのに
あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・
26 :大人になった名無しさん :04/01/12 22:47
突然、弁当作って近所の公園に連れっててくれた。
いつも来てた所だから何でだろ、って思ったけど。

「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。
何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。

28 :大人になった名無しさん :04/07/27 04:28
うちの母はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、
ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。
去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。
私が必死で働いて買ったプレゼントを「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。
そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて
部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて
言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。
2日して、メールがきた。

「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたは
ママたちの初めての子供だから、ママは可愛くて仕方ありません。
だから、少しくらいはママのこともわかってね。」
今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。
【171】

RE:コピペ 45 母の愛の事  評価

真比呂 (2009年03月18日 22時21分)

母の愛のこと  投稿者: バカ息子 投稿日:11月23日

もう二十年位前の話です
私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず
施設に預けられ、育てられました
そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです

当時の私はその自覚などしておらず、
記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました
そして、突然の父との別れが訪れました
脳梗塞で帰らぬ人になりました
そして、その最悪の時に
私とその親は家族ではないということを親戚の方から偶然にも知ってしまったのです
葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました

その時を境に、私は母を嫌いになりました
死んだ父でさえも嫌いになりました
多分、裏切られたとか思ったんでしょう
元々家が裕福ではありませんでした
ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした

母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました
それもこれも全て、私のためのものでした
ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした

時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい
友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを
友達に知られたくなく 「いってらっしゃい」と言う母を無視しては
友達に「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした

それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました
でも、それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました
そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています

そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました
当然無言です
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです
涙が溢れました。ぐしゃぐしゃに泣きました
私は一体何をしているのか
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、
私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました

私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました
でも、何を言っていいかわかりませんでした
その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした
言えた言葉はたったそれだけでした
でも、母は一瞬驚き、そして泣きました
そして、何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って
「いってらっしゃい」と言ってくれていました


今では、彼女こそが本当の私の母親です
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています
恩は返しきれないくらいあります
母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、でも、じゃあ今度は子として
親の面倒を見ていきたいです
この人が母親で、最高に良かったと思いま
【170】

コピペ 44 保健所の犬  評価

真比呂 (2009年03月13日 20時59分)

僕ポチ。きみは?
私ショコラ。なぜ此処にいるの?

うん…飼い主のミキちゃんが病気になって。今は僕を飼う余裕がないんだって
そう…人間って勝手ね。此処にきたら最後。一週間後には殺されるわ。

嘘だ!!ミキちゃんは、しばらくしたら迎えにくるって…
捨てられたのよ。ほら、聞こえる?皆、泣いてる‥。私たちが何したっていうの。ほら、見える?あの子犬…保健所の人にシッポふって。人間に‥なつきすぎたのね。いつか殺されるのに‥まだ信じてる

なんで?なんで僕達は殺されるの?いい子にしてたのに。

……。‥ねぇ、幸せだった?
うん…幸せだった。

私も‥。お婆ちゃんが亡くなるまでは幸せだった。誰も面倒みてくれなくて。ここに連れてこられたけど

…ねぇ、人間恨んでる?
…‥恨んでないよ。仕方なかったんだ。きっと‥

そう…。あっ‥そろそろ私の番ね。ねぇ、お婆ちゃんに会えるかしら?
きっと会えるよ。

ありがとう。ミキちゃん早く迎えにきてくれるとィィね
うん‥

さよなら
…さよなら。
3日後

…あっ、保健所の人だ。そっか、僕の番か。ミキちゃん来なかったな‥。……あれ?ミキチャン!!
ポチ!ごめんね!ごめんなさい。もう離さない。さぁ、一緒にいこう

ミキちゃん、僕は信じてたよ。ねぇ、ショコラ。迎えに来てくれた子もいたよ。もらわれた子もいたよ。人間もィィ人が多いね

『この犬、苦しいはずなのに、幸せそうな顔して死んだな‥。きっと迎えにきてくれる夢でも見たんだろうな‥ごめんな』
【169】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

松風ヒヒン (2009年03月12日 13時29分)

真比呂さんこんちは^^/~~

うおぉぉぉぉぉ!!(ノДT)悲しい現実。。。パチで負けまくってる・・・ではなく!↓↓↓。。。なんて悲しいんだ。。。
【168】

コピペ 43 父子家庭  評価

真比呂 (2009年03月10日 20時12分)

5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。

母親を求めて泣きわめく息子を最初は正直疎ましいと思った。
1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと
痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた
自分も悪かったかなとか思うようになった。
1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、
息子とも最高に仲良くなれた。

突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。
俺と正式に離婚して、さらに息子を引き取りたいと言う。
なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚が
やっと成立したそうだ。
ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は
強気だった。

その夜、風呂に入りながら息子に
「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と聞いてみた。
案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。
息子が嫌がったら絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、
俺と暮らそうとは言えなかった。

いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。
数週間後、俺の口座に大層な金額が振り込まれていた。
その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いている
から、もう会わないで欲しいと書かれていた。

ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、
その金には手を付けないことにした。

息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。
それまで俺のことを覚えていてくれるだろうか。
【167】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

松風ヒヒン (2009年03月10日 09時37分)

真比呂さんおはようございます^^/~~
今日はこっちは快晴です^^♪桜も散って夏を待つばかりですね♪

春になると、なんだかこういう話(↓の↓とか)が妙に響きますね^^。。。

↓は、おじさんが入院してた時にそんな感じだったのでわかります^^。。。
【166】

コピペ 42 父に萌え  評価

真比呂 (2009年03月08日 18時50分)

670 名前:おさかなくわえた名無しさん投稿日:2006/04/19(水) 09:41:18


父が入院中の時の事

酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。

でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry

で、また30分ぐらいすると「家に(ry

そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。




・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・
【165】

コピペ 41−5 彼女の死と彼女の父  評価

真比呂 (2009年03月05日 20時20分)

279 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:35 ID:AcfeALCB

次の日、彼女の父親から喪服を渡されました。そして、二通の手紙を
手渡され、今夜は君もあの子のそばにいてやってくれと言われました。

私はひとまず部屋に戻りました。部屋に入った私はしばらく力無く部
屋に座り込んでいました。ふと手に握らされた手紙を思い出し、二通の
手紙を見ました。

一通は彼女の父親からでした。中を見ると一枚の便せ
んにしっかりとした字で、すまなかった、そしてありがとう、その二言
が書いてありました。もう一通は彼女の字で、私に当てた手紙でした。

中には、私と出会った頃から彼女が入院するまでの事が、びっしり書き
込まれていました。そしてその内容一つ一つに、自分がどれだけ幸せだっ
たか、どれだけ救われたかが書かれていました。その手紙を読みながら、
私はまた声を上げて泣きました。その手紙の最後には、こう書かれてい
ました。

私が居なくなっても、○○ちゃんは元気でいてね。私のすごくすごく
大切な人だから、沢山幸せになってね。新しい彼女見つけなきゃだめだ
よ。私のこと好きなら、○○ちゃん、絶対に幸せになってね。約束。

私はシャワーを浴びながら、声を上げて泣きました。いつまでもシャ
ワーを浴びながら泣き続けていました。

シャワーを出た私は、彼女の父親から受け取った喪服を着ました。
なぜか私にぴったりのサイズでした。

まだ涙は乾いていませんでしたが、喪服に着替えた私は、彼女の家に
行きました。彼女の家には少しずつ親類や知り合いの方々が集まって来
ている様でした。私は彼女の両親に連れられ、彼女の安置されている部
屋に通され、彼女のすぐ側に席をあてがっていただけました。

彼女の両親は、親類縁者の方々に私を彼女と付き合っていた青年だと
紹介されました。
通夜と葬式にも出席させてもらえました。そして常に私があてがって
もらえた席は、彼女に一番近い席でした。彼女の両親よりも近い席でし
た。私はその席を辞退しようとしましたが、彼女の父親に諫められまし
た。君がその席に座らなくてどうする。私たちに気遣うならその席に座っ
てくれと。

今は彼女の父親に紹介された会社で働いています。いったんは断りま
したが、彼女の父親と直接関係のある会社ではない事、そして仕事が気
に入らなければ自由に辞めて良いと説得され、その好意を受けることに
しました。

彼女の思い出はまだ鮮明に心に残っています。

長々と失礼しました。
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