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【9494】 | 進也さん S・Pエス (2011年12月05日 08時01分) |
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進也さん、おはようございます。 >え〜〜っと、僕の記憶では、昭和60年4月?にテンカウント規制が施行されたのは、あまりにもセブン機に熱狂し過ぎた人達がサラ金に走り社会問題にまで発展した為だったか?と思います。 >ただ、いきなりテンカウントになったのではなく、最初は「60秒規制」続いて「30秒規制」そして「テンカウント規制」だったと思います。 そうでしたね。どうも物覚えが悪い私には不適格な発言が多くご迷惑をお掛けします。すいません。 しかし、進也さんは経緯をよく覚えていらっしゃって感心いたします。 >確か? セブン機は、「超特電機」 羽根物は、「特電機」の区別だったか? と思いますが、『「超特電機」を全設置台数の7割以上設置してはいけない。』みたいな感じだったと思います。(この条例?は、どうなってしまったんだろうか?) ほんとお詳しいですね。この設置割合は条例というよりは、風営法などで全国一律の規則だったのではないかと推測します。でも、調べたわけではないので間違っていたらすいません。 >テンカウント規制は嬉しくない規制ですが、そのお陰で羽根物の革命とも言える「ビックシューター」の登場となった事は嬉しい事でした。 ビックシューターもまた名機ですね。役物内に玉を貯留する初期の名機ですよね。 もしかすると、役物内貯留の一号機はビックシューターだった気もします。 >そうそう♪ この頃は、まだバブル前でしたから後に来るバブル崩壊やCR機や携帯電話やインターネットなんか何にも知らない平和な時代でしたね^^ 本当ですね。ただ、保留連チャン機隆盛期は、釘調整が厳しくて打てる台は少なかったように思います。 でも、Fパワフルや麻雀物語など、今でも打ちたい機種も多い時代だったです。 |
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【9496】 |
進也 (2011年12月05日 23時43分) |
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これは 【9494】 に対する返信です。 | |||
S・Pエス さん こんばんは^^ > ビックシューターもまた名機ですね。役物内に玉を貯留する初期の名機ですよね。 > もしかすると、役物内貯留の一号機はビックシューターだった気もします。 え〜っと、ビックシューターの思い出について少々書きますと… まず、あの独特のファンファーレ(パッパララー♪ パパパ・パッパララー♪パッパッパパー♪)ですね。 同じ平和さんのセブン機のブラボーシリーズと同じ効果音だったので『やけに当たる台があるなぁ?』と思ったのが最初でした。 しかし、実際はセブン機ではなく羽根物だった訳ですね^^ ただ、その時は、当然の事ですが、目の前の台が「羽根物史上に残る名機」などとは知る由もありませんでしたが、すぐに夢中になりました(笑) まず外観は、どこかで読んだのでは、『宇宙ステーションの建設』をイメージしているのだとか? 言われてみると、なるほど♪ 宇宙服を着た左右の2人が、建設中の宇宙ステーションに資材を送っている様に見えました。 ただ、デザインは奇抜ではなくてオーソドックスな羽根物に見えました。 ところが、それ以前のともすると単調な羽根物とは全く違って、シンプルな役物なのにV入賞が絶望的な球が少なく、またV入賞を果たした後も貯留の解除前後でドラマティックな展開があり、他機種の追随を許しませんでした。 > 本当ですね。ただ、保留連チャン機隆盛期は、釘調整が厳しくて打てる台は少なかったように思います。 > でも、Fパワフルや麻雀物語など、今でも打ちたい機種も多い時代だったです う〜〜ん、保留連チャン機は釘厳しかったですかねぇ、やっぱり。 田山プロが「ダービー物語」をお好きだったと記憶してますが、僕も物凄く好きな台でした^^ 「Fパワフル」も好きな台でしたが、「Fパワフル」が、保留1〜3だったか? 2〜4だったか?に関して大当たり確率1/16 になるのに対して… 「ダービー物語」は、保留2〜4を書き換える方式で、書き換えパターンがいくつあったか?知りませんが、保留3、4を大当たりにしてしまう嬉しいパターンがあって、これだとトリプルになってしまうのでした^^v 当時は、2,400個位でしたから一気に7,200個ですよね^^ また、「ダービー物語」は、リーチ成立し易い目とし難い目があって、「トロフィー」は頻繁にリーチになるけど全然揃わない。 逆に「3」とか「大穴」とかは滅多にリーチにならない代わりスパッと揃ったりするのが堪りませんでした。 |
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