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【9491】 | 進也さん S・Pエス (2011年12月02日 07時51分) |
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進也さん、おはようございます。 >なるほど♪ ヒコーキですか^^ ただ、えらそうに書きましたが、僕は、ゼロタイガーやキングスターは、チラッと見た程度でほとんど打てませんでした。 私も打ち込むような状況ではなく、少ない小遣いで煙草を幾つか取れれば嬉しい程度の状況でした。尤も、市価より高い煙草代になることもしばしばでしたけどね。 >ですから僕が夢中になったのは、正確に言うとヘリコプター(レッドライオン)からですね(笑) 同機種は戦闘ヘリの役物でしたね。本当に凄い人気機種だったですよね。この頃は羽根物も多かったと記憶していますが、店内の熱気もあったと思います。 >S・Pエス さんは多分ご存知かと思いますが、レッドライオンは、羽根の根元に乗ると100%に近くV入賞する台があって、僕は好んで打ちました。 >凡機は、2個乗りして後ろの球が先に乗った球を押さないとV入賞しませんし、悪い台だとVを避ける様に割れるのでVに入り様が無い台もありましたね。 ちょっとその辺の記憶が曖昧なんですが、田山プロは釘調整以外に役物の癖や台の寝かせ(床に対する傾き度)が影響している旨書いていたと思います。 >それにしてもヘリコプターがリアルでサウンドが抜群で気持ちのいい台でした。西陣さんも当時は紛れも無い一流メーカーだったんですが… 西陣は当時遊技機メーカーの最大手だったんじゃないでしょうか?平和、三共と併せて三大メーカーだったと思います。西陣はアイデアが豊富なイメージもあり、デジパチのスーパーリーチを初めて搭載したメーカーだったと思います。 >パチンコそのものの話も好きでしたが、番外編と言うか? 朝、喫茶店で「詰め将棋」を考えていたり、パチンコ屋に向かう途中で、すれ違った女性に目を奪われたりしてるのも面白かったです。 私もそう言った表現に惹かれた一人です。東大に入学された明晰な頭脳は流石でしたね。 |
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【9493】 |
進也 (2011年12月02日 21時37分) |
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これは 【9491】 に対する返信です。 | |||
S・Pエス さん こんばんは^^ >この頃は羽根物も多かったと記憶していますが、店内の熱気もあったと思います。 え〜〜っと、僕の記憶では、昭和60年4月?にテンカウント規制が施行されたのは、あまりにもセブン機に熱狂し過ぎた人達がサラ金に走り社会問題にまで発展した為だったか?と思います。 ただ、いきなりテンカウントになったのではなく、最初は「60秒規制」続いて「30秒規制」そして「テンカウント規制」だったと思います。 同時にパチンコ店舗においてセブン機の設置台数の割合も決められていたか?と思います。 確か? セブン機は、「超特電機」 羽根物は、「特電機」の区別だったか? と思いますが、『「超特電機」を全設置台数の7割以上設置してはいけない。』みたいな感じだったと思います。(この条例?は、どうなってしまったんだろうか?) そのせいか? 僕がよく行ってたパチンコ屋は、羽根物が100台くらい設置されてました。 テンカウント規制は嬉しくない規制ですが、そのお陰で羽根物の革命とも言える「ビックシューター」の登場となった事は嬉しい事でした。 そうそう♪ この頃は、まだバブル前でしたから後に来るバブル崩壊やCR機や携帯電話やインターネットなんか何にも知らない平和な時代でしたね^^ |
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