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【76】 | 削除 元自動機屋さん (2012年09月09日 17時01分) |
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トピ主により削除されました (2012/09/17 16:04) コメント: |
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【84】 |
ふぉれsてょと (2012年09月09日 19時51分) |
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これは 【76】 に対する返信です。 | |||
えーっと 何? >この「手綱」はナニを目的にしてナニに着けてるんですか?? 私はそんな話をしてたっけ? で、 目的が貴方の思っている理由だとどうだと? 全然話に出してもいないことで 突っ込まれても知らんよ。 何でわざわざ私に突っかかってきたの? 自分で勝手に主張してろよ。 賛成する気もないけど、反対もしないからさ。 >5号機で規制強化しただけでしょ? それが禁止じゃないの? 規制強化だったら禁止じゃないから作って営業に使っても問題ないの? 違うでしょ? 5号機規制前から50万も出るような機種なんて残ってなかったと思うけど じわじわ戻ってる? 50万て25000枚だよ? そんなになるまで黙って放置されると? |
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【80】 |
眠り猫 (2012年09月09日 19時26分) |
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これは 【76】 に対する返信です。 | |||
>実際、大阪などでは自治体の財務耐力を危うくする程だったと・・・「三店方式」発祥の理由なのかな? 現状、それは陰謀説程度の証拠の無い憶測でしょ^^; 現在のではなく当時の在日:日本人の業界内比率や対暴事情、それに各組合発表のパチンコ等の歴史を本にした物等々を見る限り、買い人(暴力団の資金元)殲滅が主の目的だったと言うのが、一般論ですよ^^; 警察庁が渋る中、大阪県警がごり押しで(福祉にも役に立つと言う名目を付けたりした)容認し、その後警察庁の方針として昇華させたと言った感じ^^; http://www.adcircle.co.jp/greenbelt/data/05_2.html この年表を見てほしいが 戦後GHQが無くなる1952年に一旦パチンコ店の件数が3万店まで増え、翌年から買い人が増え始める。(その前にも潜伏的にはいたと思うが) で、2年後の1954年には「連発式禁止令」が出てきて一気に激減1万店舗、約1/3になっているんです^^; 1961年に換金システムの原点となる大阪方式が大阪府内でスタートとなるわけですが・・・ 店舗数規模はさらに減少・・・ 1975年に再び1万店に増えるまで低迷し続ける 生活保護がどうこうなら、年代的にはもっと早く動きが無いとおかしい、戦後からみると30年たって、大阪式が出た年でも16年たっている事になり、戦後から完全復帰とはいえないだろうけどそれでも戦後と比べればある程度復帰をしている時期となるので、生活保護と言うには遅すぎでしょ? ちなみに、在日朝鮮人による「朝鮮人生活擁護闘争」は1950年なので、大阪式と結ぶには11年の間がある・・・ 在日保護が目的なら、間に連発式禁止をやって、業界全体を縮小させてるので方向性がおかしい もし在日保護だとしても、大阪式が始まってから14年もまったく効果を出していない事になり、そんな目的をまったく達成しない方法が全国に広まるり、警察庁が認めてしまうというのも変な話^^; ちなみに、東京で3店方式の形が統一して定まるは90年代になってからで、ここら辺に警察内部のうやむやがあったとかなかったとか^^; (遅すぎたために、東京の換金所ことTUCショップは用地確保ができず、パチンコ店から離れている事が多い^^;) ちなみに、パチンコ店が悲鳴を上げたからと言う人もいるが、3店方式と買い人式ではパチンコ店の負担は大して変わらない^^; 脅されてやっているか、規制としてやっているかの差があるだけ^^; 完全に法律を作るなどして、合法にしてあるなら在日保護とかの話も会ったのかもと思われるが、実態として、過去も現在も警察は「直ちに違法とはいえない」と言う表現で合法とも違法とも言っていないのだからやはりおかしい^^; まあ、大阪府や警察に立法する権利は無いのだから仕方が無いが・・・ こういった部分が説明されないと、戦時避難民対策ってのは陰謀論でしかないかと^^; |
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