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飽くなき挑戦、、、

木馬と3Dザク (2015年05月12日 20時52分)
見かけの相関についての考察します。

ぶんまわしについて、はまるのは誰しもはまります。
ただし、はまりの意味するところが違います。
いわゆる負け組は、釘が悪くても、あおり演出に興奮したり、ラッキーパンチを期待して延々とつぎこみます、そして理由もわからず負け続けます。
仕組みを理解し、釘がいいから回している人は、結果はトータルで考えているので、そんな日もあるよねと冷静です。
ただし、その日1日だけをみると、朝からはまって終了という事象は同じです。

まったく別の行動原則から同じ結果がたまたま偶然生まれることを見かけの相関といいます。

真実に光を当てて、見えるのはその影であると、プラトンが「国家」の中であの有名な洞窟の比喩で述べています。
因果関係の結果の部分を影と言っています。
その瞬間の影は同じに見えても、動き出しが違うのです、だから、長い時間をかけて、まったく別の収支カーブを描きます。

同じ行動原則によって生じる結果について、光を当てる角度が変われば、結果が違って見えます。これらは、正しく因果関係を推測してみれば、同じ現象なんだと納得できます。こうして腹にすとんと落ちた知識こそが筋金入りの本物だと思います。
アングルの捉え方については、名楽庵さんの名言にはっとしました。

「換金ギャップの店舗では、どの換金率に関わらず持ち玉の場合は等価ボーダーで考えます」

手数料なしの範囲での貯玉遊技、または持ち玉遊技は、1玉の価値は最終的な交換レートとイコールである、つまり等価で遊戯しているという事実、目から鱗です。
あまり頭で考えすぎると、あるいは、ときどき垢離をほぐして俯瞰してみないと、大事なことを見落とします。

映画マトリックスのように複数台カメラで移動しながら撮影すると、まるで別世界が現れます。
たぶん、これぐらい、多角的、重層的にパチンコの仕組みを理解し、しかも行動することを続けてこられたかたの凄味、普段は優しいそうな文面からは想像し難いですが、私はうっかり刀傷を受けてしまいました(笑)

物事を順序立てて理解することも重要ですが、ときにはバイパスすっ飛ばして、最短距離で切り裂くことも必要だと思ってます。


最後に、「本当に自分の財布に収まるのは期待値分だけ」、大会の結果も、だんだんとその方向に向かいつつあります。

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RE:飽くなき挑戦、、、  評価

木馬と3Dザク (2015年05月14日 00時51分)

名楽庵さん、こんばんは。

ちょうどNHKで荘子をを読む番組があり、
「不測に立ちて無有に遊ぶ」について紹介していました。
これまさにギャンブルの本質をついてまして、先のことなんかわからないから、今このときをめいっぱい楽しむということだそうですが、つまるところ、なるようになるということですよね。

デカルトの、
Je pense, donc je suis
「我思う、ゆえに我あり」
は、やはり主観的に生きる我々の本質を正直にとらえながら、なおかつ科学的思考法のスタートは主観的な我が想いであるといっていると解釈しています。
また、仏教では「我」は心の曇りでもありますが、自分自身との対話こそ仏道の入り口と説かれます。

以上を踏まえて、

>『運』の作り手である自分自身を理解

については、まったくの賛成で、まずは自分自身と向き合い、主観を客観にまで磨き上げることだと認識しています。
やはり人間自分に甘くなりがちで、現象をねじまげようとしますが、ここは本気で誠実に(=主観的)に事実を直視すべきことなんだと考えます。
言葉を換えれば、幸運の女神は絶えず良い準備を整えたものに微笑むということだと思います。


>『運』そのものの操縦者になれるかもしれません

について、なれるのかもしれませんが、遠い道のりとも感じます。
「不測に立ちて無有に遊ぶ」境地に達すれば操縦できそうな気がします。

なんとなく、回る台を創り出す主観(内から湧き出すエネルギー)を感じるというか、不思議と力がみなぎるときがあるように思います。
そんなときは、意図しているわけではありませんが、運というじゃじゃ馬を乗りこなしていると感じています。

私の場合、心のどこかで振り回されて喜んでるから、落馬するんですね(笑)
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RE:飽くなき挑戦、、、  評価

名楽庵 (2015年05月13日 01時15分)

木馬さん こんばんは。

>見かけの相関についての考察

良いテーマですね!。

自分はここから『運』という者も同時に考察していきたいと思います。

『運』という言葉は実に曖昧で難しいですね。
惑星地球における現象は一つしか在りません。(肉体のある現象界)

見かけの相関と同じ様に、写し出される角度が変われば結果が違って見える、
これは、同じ現象を経験しても、その経験する人それぞれの思考、感覚により
光であり影であり、幸、不幸、運、不運に分かれてしまう事と同じですね。

運、不運は実は主観的であり、現象そのものには客観的事実のみが存在するだけですね。

運が良いとか悪いとかが、単なる自分の主観的思考の上に成り立っているのならば、
『運』の作り手である自分自身を理解すれば、『運』そのものの操縦者になれるかもしれませんね。


自分の友人で人生の師匠のような方が居ますが、彼から色々学びました。
合気道、ヨガなど様々な分野に精通しており(パチンコはやりません)、気の流れなどを叩き込まれました。

可能か不可能か、不可能と思えば不可能だし、可能と思えば何でも可能だ!。
達成したい事など、自分の思考で作り出せ!、と。

自分の生きる道は『創造』、自分自身で創り出す事を教わりました。


私: パチンコ屋で回る台が見つかりません。
師匠:そんなもの自分で創ってしまえ〜!。

みなさん、お邪魔致しました。 
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