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【2959】 | 侍魂さん S・Pエス (2008年11月10日 16時50分) |
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侍魂さん、こんにちは。 >堺屋太一氏の経済論説は好きですね。( ・∇・) >現代を語る時は歴史を持ち出され, >桃山・江戸時代を語る時は現代と比較されますので,判りやすいです。 ほんとですね。しかし、以前読んだ本の内容は随分忘れてしまっていますので、大きな声じゃ言えませんけどね。でも、例えは本当に上手いなぁと感心した記憶があります。 >その特性とは農家が集落を形成していないため, >田が纏まっている感がなく,実高ほどの収穫を感じさせなかったのです。 なるほど、そういう地域があったんですね。 >太閤検地では約95万石,家光時代の寛永期では約110万石とされています。 >ところが,実高では160万石だったらしいです。d(・-・*) 初めて教えて頂きました。この差は大きいですね。一国分の石高ですもんね。それだけ商家の発展も大きかったと推察出来ますね。 >京に近い尾張の大名だった信長は地理的にも, >他の有力大名と比較すると有利でしたよね。(o^-^o) 本当にそうですね。加えて美濃を併合するまでの期間を、信玄公が信濃を併合するまでの期間と比較しても、信長の凄さを感じますね。逆に言えば、謙信公のずば抜けた戦上手が浮き上がってもきますね。 |
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【2966】 |
侍魂 (2008年11月11日 14時32分) |
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これは 【2959】 に対する返信です。 | |||
スペエースさん☆ 魂ちゃ〜お。(o^∇^o)ノ > なるほど、そういう地域があったんですね。< この散居村の在る今の砺波は,チューリップが有名ですよ。d(^-^*) > それだけ商家の発展も大きかったと推察出来ますね。< 東洋のベニスと言われた堺は戦乱の世で, 豪商の会合衆によって自治都市運営をされていましたが, 江戸時代の豪商はそれを上まわる資金力により, 影で藩の政局を操作出来るぐらいの実権を持ち始めました。(’-’*) > 逆に言えば、謙信公のずば抜けた戦上手が浮き上がってもきますね。< 謙信公と言えば男色でも有名ですが, 敵に塩を送る逸話通り,義に厚く大義名分を尊重した武将ですよね。 私利私欲の領土拡張欲が強ければ, 当時の情勢は大きく変わっていたと言われる程です。(#^.^#) ニョホ 謙信公の跡を継いだ上杉景勝&直江兼継が, この「義」の呪縛に悩まされた様に感じています。(^・^;) |
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