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【2905】 | 侍魂さん S・Pエス (2008年11月04日 10時24分) |
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侍魂さん、おはようございます。 >確かに元禄年間は徳川体制が落ち着き, >独自の文化が芽生えた時期ですね。(*^ ^* )V 研究家の中には、元禄期が日本史上一番自由な時代と言う方もいらっしゃるようですね。封建社会にあっても庶民の生活力、文化の表現力が強い時代だったのかもしれませんね。 >一士が誰だったか失念しましたが, >実際の討ち入りは四十六士プラス一士だったそうですね。 >違うかなあ?・・(^0^;A 討ち入りは四十七士でしたが、赤穂藩取り潰し当初、大石内蔵助に従う浪士はもっと多かったと思いますが、内蔵助への疑念やら生活苦などから離脱する浪士も多かったそうですね。 >流石にお詳しい♪(-^〇^-) いえいえ、名前を忘れましたが、作家さんの受け売りですよ。 でも、当時の状況を思うと、父・織田信秀の死から8年、信長も漸く尾張支配に目処が立った頃と推察しますと、今川義元へ決戦を挑む状態ではなかったように感じます。 >とても参考になりました。 >これからもご教示をお願いしますね♪ ヾ(*^。^*)ノ それは私の台詞でーす。これからもいろいろお教え下さいませ。よろしくお願いしまーす。 |
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【2933】 |
侍魂 (2008年11月06日 16時50分) |
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これは 【2905】 に対する返信です。 | |||
スペエースさん☆ 魂ちゃ〜お。 > 研究家の中には、 元禄期が日本史上一番自由な時代と言う方もいらっしゃるようですね。 封建社会にあっても庶民の生活力、文化の表現力が 強い時代だったのかもしれませんね。< 元禄時代は朱子学の影響を色濃く受けていますからね。(*^。^*) 元禄時代は花のお江戸にとって上方の影響が不可欠な時代でしたが, この元禄から文化・文政の化政時代にかけて, 庶民的なお江戸文化が大きく開花しました。(=^0^=)v > 内蔵助への疑念やら生活苦などから離脱する浪士も多かったそうですね。 成る程,今の時代に準えるならば, アルバイトをしながら生活を支えていたのでしょうね。(∩.∩) だから,気持ちが強くないと離脱せざるを得なかったのでしょうね。 > 信長も漸く尾張支配に目処が立った頃と推察しますと、 今川義元へ決戦を挑む状態ではなかったように感じます。< 楽市楽座政策採用は桶狭間の戦いの可なり後の時代になりますから, 経済力・兵力では完全に東海の雄・今川に劣りますよね。 信長とすれば,今川との全面対決はもっと後に行いたかったのでしょうね。 |
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