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【2751】 | スペエースさん☆ 侍魂 (2008年10月22日 15時02分) |
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スペエースさん☆ コンちゃ〜お。(o^∇^o)ノ > 確かに下克上や実力社会と言うと、 豊臣秀吉達を想像しますが、 現代の起業家達と変わらない苦労は多々あったと思いますしね。< > 苛烈な競争社会の織田家の厳しさは、 現代の成果主義を凌ぐように感じます。< 当時の封建的な感覚では,・・ 気まぐれで奇想天外な発想のワンマン経営者信長は, 仕え難いトップだったでしょうね。(o-w-)o ムーぅ 現代に置き換えると秀吉は, 織田家でアルバイト社員からスタートしたのでしょうね。(*^-°) それから正社員に登用され, 庶務課の社長の運転手兼身の回り雑用係を経て, 墨俣攻略時にサテライトオフィスリーダーとなり,長浜支店長から, 果ては中国エリア担当取締役営業部長でしょうかね?(o^<^)o クスッ 昨年の年末だったか,初代休憩所♪でスペエースさんにお話しましたが, 私は秀吉の死後から関が原の戦いを描いた, 堺屋太一氏の『巨いなる企て』が好きな小説ですね。(V^−°) この中で豊臣政権を現代組織に置き換えて説明がなされています。 例えば,オーナー社長だった秀吉の死後, 代表権を持たない社長に秀頼で,代表権を持つ取締役副社長に家康。 同じく代表権を持つ取締役専務に前田利家で, 取締役常務には宇喜多秀家・毛利輝元・上杉景勝の五大老。 石田三成は社長室長兼人事部長だと描かれ, 諸大名は各営業支店長でした。o(^▽^)o 現代の組織システムに置き換えられて説明されていましたから, 当時の仕組みが判りやすかったですよ。(*^▽^*)ノ > 私には足軽身分から、這い上がるバイタリティーはありません。< 当時は能力・実力次第のイメージが強いですが, それでも配下を統率・陣率をする以上は筋目も重要視されていました。 秀吉は飛び級出世と筋目が正しくないために, 柴田勝家や佐々成政などの織田家中の重臣から反感を買っていましたから, 秀吉も信長だからこそ,重宝されたのでしょうね。(*’▽’) 現に今川義元の松下加兵衛に仕えていた頃は, 同僚・上役から追放されたのに等しいですからね。d(’-’*) > 大変価値のある部屋にして頂きました。感謝感謝でございます。< 私はそこに参加させて貰って,感謝感謝感激です。 v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪ |
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【2754】 |
S・Pエス (2008年10月22日 16時33分) |
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これは 【2751】 に対する返信です。 | |||
侍魂さん、こんにちは。 またまた詳しいご説明ありがとうございます。 武家社会も複雑だったと思いますが、現代社会に擬えてもらうとイメージし易いですね。 ただ、武家社会では戦や切腹、斬首など「死」が公然と存在しますので、現代の辞職ではちょっと比較しようがない部分もありますね。 もし、私が信長として生まれたと考えると、とても尾張を統一出来たと思えません。その後の桶狭間から京都掌握までの人生に、非常に惹き付けられますが、とてもとてもそんな行動力、統率力は私にはありませんね。 なので、私は軽率に誰それに生まれていれば、なんて口には出来ませんね。それだけ実力がないだけなんですけどね。 日本でもほんと偉大な人物が多かったですね。尤も、現代の偉人も多いのでしょうが、研究され多くの成果がある歴史上の偉人の方が、本などで参考にし易いですね。 >私はそこに参加させて貰って,感謝感謝感激です。 >v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪ ありがとうございます。皆さんとの交流はほんと楽しいですね。 |
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