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【1749】 | RE:「シナサイ」の世界 カンバチ (2019年04月17日 18時51分) |
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《P−3》 しかし、兄に負けないこともあった。 絵の才能だ。兄も絵が得意だったが、 3年生の時、5年生の兄よりも、既にうまくなっていたという。 高校に進むと、駿は漫画家になろうという志望をはっきり持ち始める。 しかし、父親から絵では飯が食えないと言われると、 それ以上逆らえなかった。 芸術系の大学ではなく、学習院の政経学部に進んでいる。 それでも、美術への未練は断ちがたく、 アトリエに通ったり、中学時代の恩師の油絵を習ったりしていた。 ずっと反抗期のなかった駿が、真っ向から親にぶつかることができるようになったのは、 彼が学習院を卒業し、東映映画で労働運動に携わるようになってからだった。 労働運動の先頭に立って活動した背景には、 先に述べたような事情もあったが、 それは同時に、それまで支配されてきた親の価値観への反抗という意味合いがあったように思える。 逆らったことのない母親と激論を戦わして、 それでも母親が受け入れてくれないと、 宮崎は悔しさで、涙さえ流すこともあったという。 そのぶつかり合いと涙が、 宮崎がずっと我慢していた何かを吹っ切るうえで重要だったように思える。 それは、親の支配を脱し、 自分自身のアイデンティティを確立する大きな一歩ともなったはずだ。 |
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【1759】 |
もぐさ. (2019年04月18日 02時34分) |
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これは 【1749】 に対する返信です。 | |||
そういえば「世界で最も有名な日本映画10選」というジャンルで宮崎駿作品が入ってましたね。 親子の軋轢は何処の家庭にも少なからず在るでしょうが、著名人のエピソードは興味深いです。 |
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【1757】 |
どうなんよ (2019年04月18日 00時28分) |
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これは 【1749】 に対する返信です。 | |||
この流れで 爆撃はいただけないっしょ。 前と同じじゃないですか? そもそも 脅しになってないし 〜 そう思いませんか? スルースキル3連発www …と、見せかけて 必死のいなしwwwww ほんま、あんさんときたらw |
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【1753】 |
Himazinおつ (2019年04月17日 19時25分) |
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これは 【1749】 に対する返信です。 | |||
絵描きでは 飯はくえない 言われたわ〜 それで、拙もあっさり 諦めたもんなぁ。 いいねぇ いい話や。 |
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