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トピック
日々是忘却日 StrawberryLetter 編集 (2024年03月09日 00時05分)評価
日々是忘却日・・・ぱちOBの呟き


歳を重ねる毎に記憶の劣化と干渉による「忘却」も重ね、さらにはいずれ認知機能の低下による「忘却」も始まる(かもしれない)

全てを忘れ去る前に・・・



        始 2024年 3月 9日 壬申 六白 大安 とる 氐


 〜〜〜〜〜 ほぼほぼ、備忘録週記です
 〜〜〜〜〜 遅筆なので直ぐには反応できないかもしれません
 〜〜〜〜〜 すぐ脱線します
 〜〜〜〜〜 公序良俗に反する書き込みはご遠慮ください
 

■ 9件の投稿があります。
【1】 
【9】

〜8〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年04月22日 14時39分)

あれ?
「はち」を飛ばしてしまいましたね。^^;

丁度良い機会なので数字の「8」に替えて、ちょいとパチ台の中身のハナシでも・・・。

元来機械モノが好きな方ですから、そのモノの中身(構造や仕組み)が気になってしまうタイプ。
パチ台も例外ではありません。
私の好物は、一番肝心なCPU(中央処理装置)。

一番香ばしいソフトウェア処理の前に、一番基礎になる「2進法」のオハナシを・・。


ご存知の方も多いと思いますが、CPUは多くの電気信号により動作しています。
電気信号ですから扱える情報としては、「電流」か「電圧」かしかありません。

CPUが搭載された電子回路では、このうちの「電圧」を使っています。
「電圧がかかっている」状態を「1」、「電圧がかかっていない」状態を「0」として扱っています。

信号線が1本だけでは↑の2つの情報しか表せませんが、線を複数にすることにより、多くの情報を得られるようにしています。

信号線1本の情報量をビットと言い、2本なら2ビット、3本なら3ビットと言います。

2ビットの情報は全部で、「00」,「01」,「10」,「11」の4種類。
(この2つ増える毎に桁が1つ上がる数表記を2進法といいます(普段使う数量は10進法))

3ビットの情報は、「000」,「001」,「010」,「011」,「100」,「101」,「110」,「111」の8種類になります。

情報量は1ビット増える毎に倍、倍と増えていきます。

パチ台(スロ台も)に使われているCPUはZ80コンパチブル(同等品)で、いわゆる8ビットマシンと言われるCPUです。

一度に扱える基本情報単位が8ビット、つまり全部で「00000000」,「00000001」「00000010」,「00000011」,「00000100」,〜中略〜,「11111100」「11111101」「11111110」「11111111」の256種類です。

流石に2進法も8桁まで来ると「見にくい」「間違えやすい」ので、これを4ビットずつに区切った16進法を使うようになりました。

「0000」→[0]、「0001」→[1]と表していきますが、「1001」→[9]のあとの「1010」を[10]には出来ない(桁上がりしてはいけない)ので英字のアルファベットを順に使うようにしました。

つまり、「1010」→[A],「1011」→[B],「1100」→[C],「1101」→[D],「1110」→[E],「1111」→[F] です。

この表記(16進法)により8ビットの情報は、[00],[01],[02],・・,[09],[0A],[0B],[0C],[0D],[0E],[0F],[10],[11],[12],・・,[F9],[FA],[FB],[FC],[FD],[FE],[FF] の256種類を表せます。

また、この8ビットの情報を1バイトという単位で表します。

この情報量、数値では0から255までしか扱えないように見えますが、殆どの8ビットCPUはさらに8ビットを加えて0から65535まで扱えるようになっています。
(16進で表すと1バイトをさらに上乗せして[0000]〜[FFFF]となります)

CPUの中にはレジスタという一時格納領域があり、この領域の大きさが2バイト(16ビット)となっているからです。

ただし、一度に扱えるのは8ビットまでになっているので、2バイトの数値を呼び出すにはまず下位8ビットを呼び出してレジスタの下位に格納し、次に上位8ビットを呼び出してレジスタ上位に格納する、という手段を取っています。

パチ台に使用する乱数の範囲が0〜65535([0000]〜[FFFF])といわれる理由がココにあります。
【8】

〜きゅう〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年04月15日 15時42分)

電動ハンドル登場からしばらくすると、羽根物とセブン機が登場しました。

私の記憶では(田舎だったせいかもしれないww)、羽根物(ゼロタイガー)が先で、後からセブン機(フィーバー)が登場したと覚えてます。

でも実際の登場は逆で、S55年にフィーバー、S56年にゼロタイガーとなっています。

私がよく打ってたのは、フィーバーでした。

ゼロタイガーは?というと、新しモノ好きの私ですから新台に直ぐに飛びつきましたが、どうしても許せないものがありました。

それは、ラウンドの継続方法。
貯留システムが無い頃なので、最初の1個目でも2個目でもVに入ると次ラウンドが始まってしまいます。

それが勿体なくて勿体なくて・・・www
(貧乏性なのでしょうね。きっと ^^;)

1個目からVに入ろうものなら「てめぇ〜、せめて5個入ってから入らんか!?ワレ〜!?」と心の中で大人しく呟いておりました。(笑)

そんな訳でフィーバー台を打つことが多かった。
しかも、その登場は私には衝撃的!でしたね。

なにせ、数字さえ揃えば出玉がチンジャラ、チンジャラ、打ち止めまでまっしぐら。
あまりの速さに出玉が追い付かず、打ち止めになってもしばらくの間は出玉がチンジャラ、チンジャラwww

打ち止めになった後もアタッカーがパッカン、パッカン。
(初期のフィーバー機のV通過は、ラウンド継続を決めるのでは無く、通過した球の数だけラウンド数が増えるものでした)

今まで平台で何時間も苦労したいたのが、それこそ一瞬です。
それゆえ、パンクは再起不可能な位の痛手でした。

フィーバーでは有りませんが、ブラボー(平和)で1回喰らいました。
ブラボーはV通過でラウンド継続を決める(最大10ラウンド)タイプでしたが、ラウンド内の入賞個数に制限が無く30秒間入りっぱなし!

その代わりにアタッカーが独特で、入賞した球が盤面裏に入る時に自重でアタッカーが一旦閉まる構造になってました。

で、パンクした時はタイミング悪くアタッカーが閉まってる時にちょうどV通過しそうな球が落ちて行く、の繰り返し。

パンクした後「なんだい。兄ちゃんパンクしたんかい。ついてねぇなぁ。」と周りから同情の目を向けられ、箱に僅かに溜まった球を無くなるまで打ち通しました。(涙)
【7】

〜なな〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年04月08日 16時18分)

盤面から消えたモノがあれば、新しく登場するモノがあります。

手打ち台から電動ハンドルへ、チューリップの平台から羽根物へ、平台から
デジタルへ・・・。
時代は目まぐるしく変わっていきました。

電動ハンドル、楽でしたね。 ほんと。
今まで指にタコ作りながら懸命に弾いていたのが、掴んで回すだけ!
当初は性能がイマイチで、特にレールに次の球を乗せる部位が上手く機能しない台が多かった。
球が飛ばず、ハンドルの打撃ハンマーの振動音だけが「ブ〜ン、ブ〜ン」と唸ってましたwww

その頃は皆真面目に、というか「ハンドルを持つ」のが当たり前のように持ってました。
ま、出始めだし「ハンドルを固定する」という考えすら無かったんだと思います。

当時パチンコを長時間打つ(プロで無い限り)、という考えが無かったのも一因かもしれません。

電動ハンドルが登場したからなのか、はたまた羽根物やデジタル機が登場したからなのか、この頃から素人でも長時間打つように変わってきました。

やがて誰が始めたのやら一円玉や厚紙で固定するようになり、さらにはタバコの銀紙でアースを取ることまで見出しました。

この手法はあっ!という間に広がり、手放しはおろか複数台を掛け持つ猛者まで現れる始末。

単純に投資も2倍になるのでパチ屋にとってはウハウハだったでしょうが、流石にこれはやりすぎ!
(打ちたい台が打てない、という苦情も当然あったはず)
と、いうことでアースは禁止に。

固定は相変わらずで、パチ屋の方でもタバコのカートン箱を切って固定用にと島の端に置いてありました。
【6】

〜ろく〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月30日 15時13分)

今は無き機械式のチューリップ。
色んなチューリップが有りましたね。
各メーカーで形が違っていたように思います。
その形から「チューリップ」と名付けられたとは思いますが、花弁外側が直線的なモノ、ホントのチューリップのように膨らんだモノ等。
膨らみ具合も各メーカーで個性が有りました。

開いたチューリップにダブル入賞させようと、連続打ちや2発打ち(1球目を盤面に届かないように弱めに打ち次の球をレールにセットして、2つの球がレール上にあるようにして打つ)をしてみたり・・・。

チューリップの連動も色んなパターンが。
左(右)袖のチューリップの入賞で、
(1)センター上部のチューリップが開くパターン
(2)センター下部のチューリップが開くパターン
(3)左(右)の落としチューリップが開くパターン
等々。
入賞した球の動きでチューリップ開放を実現させてました。

これは(2)のパターン つttps://www.youtube.com/watch?v=zQJuNsiBrUw

そのうちに「2」と書かれた2回開きのチューリップ(開いた状態から1個目の入賞では閉じず、2個目の入賞で閉じる)が登場し、さらには「3」と書かれた3回開きのチューリップまで登場する始末。

どういう仕組みなのか?
今でも不思議・・・。
どなたかご存知の方、教えてください。


今は無きチューリップと言えばもう一つ、忘れられないのがカイザーチューリップ。
固定式と回転式の2種類で、固定式は閉鎖時と解放時の球のルートが異なり、やがて登場する一発台にも使われるようになりました。

回転式は入賞時に自身が回転するという斬新な設計。
ダブル入賞しそうな時1個目の回転により2個目の入賞を何度阻まれたことか。(2個目がチューリップの上に乗っかるのだけど、盤面裏に吸い込まれる前にチューリップの回転により振り落とされるww)
ただ、入賞毎にクルンと回るその姿は何故か可愛く思えたっけ。

そう言えば、クラゲやヒマワリも気が付けばいつの間にか盤面から姿を消しました。
【5】

〜ご〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月23日 14時52分)

どのパチ屋にもプロとおぼしき人や、アマプロが必ず居ました。
おおよそ職に就いていなさそうな長髪のお兄ちゃん。
ソレと分かる自営業のオヤジやタクシーの運ちゃん。
夕方になると現れる、出勤前とおぼしき化粧が濃いお姉さま。
様々な人が来る中で、自称プロと名乗る一部の人は、球を一定の強さで打ち出すための治具を持っていました。

手打ち台は、ハンドルの右斜め下にあるパチ台から突き出た棒(テング)を小指と薬指の間に挟み、ハンドルを親指で引いてバネの力を貯め、離すことで球を弾ます。
この親指の「引き」を大きくあるいは小さくすることで、弾く強さを調整できるようになっています。
我々素人はテングを小指と薬指で挟むのか、薬指と中指で挟むのかで調整していましたが、指一本分だと飛び方の差が大きく微妙な調整が必要になってしまいます。

そこで彼らは「引き」を一定にする、つまりある一点を狙って打つ(当時はぶっこみオンリー)ことが出来るように、5cm位の棒状のモノを使ってました。
丸状だったか角状だったか忘れましたが、その棒にグルグルと包帯のような布が巻かれていて、棒の片方の端はテングに差し込めるような輪がありました。
その輪をテングに差し込み親指を引いていくと、やがて治具の片端にあたりこれ以上引けなくなります。
引けなくなる位置が毎回同じ位置になるので毎回同じ強さで弾くことが出来たわけです。
最初の2〜3発で球の飛びを見極め、治具の角度(角度を変えると引けなくなる位置が変わる)を自分の狙った場所に飛ぶように調整していました。

言葉で説明するのは中々難しいですね。^^;
「百聞は一見にしかず」、治具をお見せできれば良いのですが、いくら探してもネット上に転がっていませんでした。(涙
【4】

〜よん〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月20日 10時21分)

そんな負のイメージのパチ屋でしたが、一転「新装開店」時はお祭り騒ぎの様でした。
今のように2〜3か月毎では無く、一年に一回程しかない新装開店。
店・客ともに、おのずと力が入るというもの。
店の前にはメーカーや問屋からの花輪がズラーっと並び、開店待ちの客も昼間からずらっと並んでました。

オープン初日は金曜日が多く18時からが一般的で、球の出具合にもよりますが大体21時か22時には閉店、の僅か3〜4時間の営業。
それでも殆どの客がプラス終了で、中には大きなバケツ(現在の100均で売っているプラスチックバケツのようなモノだった)に2〜3杯出す猛者もいました。

2日目は15時オープン、3日目は12時オープンと段々早まって行き(もちろん出玉率は調整されている)4日目辺りから通常時に・・。

(あ、言っておきますが、あくまでN県状況です。
首都圏等他の地方とは違う面も多々あるかもしれません。)

兎に角新装開店は稼げました。
今のような「大当たり」が無いのですから、100%釘状態の良し悪しで出玉は決まってきます。
出る台は誰が打っても、ほぼ出ます。www
嬉しいことに新台だけで無く、入れ替えなかった旧台でさえもプラス調整されていました。

あっという間に閉店時間。
それでも皆幾ばくかのお小遣いを手にし、ホクホク顔で家路につきました。

通常の営業体系も結構緩いものでした。
時間は、10:00〜22:00の12時間営業。
確か月に一度位の店休日があったような気がします。
(記憶が定かでは無いが、店毎に曜日が違っていたと思います)
はっきり覚えているのは、毎月第三日曜日は「家庭の日」として20:00までの営業でした。
その日は一家揃って団欒して欲しい、という組合の意向だったらしい。

経費が今と比較出来ないくらい安かったでしょうから、そのような営業も還元も出来たのでしょうね。
【3】

〜さん〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月16日 13時29分)

さて、その頃のぱちんこ屋の印象は?というと暗くジメジメした印象しかありません。
外はネオンで明るいのですが、中はそれ程明るくも無く板張りの床からはジットリと油の匂いが立ち昇り、鼻腔を擽っていました。(昔は床板が腐らないように+蟲に喰われないように油っぽいモノ(ワックスの代わり?)が一面に塗られていました)
店員はというと、パンチパーマの「いかにも」といったお兄さん風かあるいは、ちょっと草臥れた住み込みの中年夫婦か、の大体2者択一。
新聞や折り込みチラシ、職安なんかにもパチ屋の住み込み店員募集がされていました。(パチ屋の2階が居住スペースになっている店が多かった)

カウンターに座ってるおばちゃんの白粉の匂いに顔をしかめながらお金を渡すと、あらかじめ用意してあった球入り小箱を手渡してくれました。
小箱は、大体15cm×10cm×8cm位だったでしょうか、球数は500〜600個位。
大箱(中箱?)で大体25cm×10cm×8cm位で、1000〜1200個位だったと思います。
(柔らかい樹脂で出来ていて、一杯に球を詰めると真ん中辺がたわみ球が余計に入った)

まだナンバーランプやコールランプが無い時代。
発射レールが詰まったり、ブドウが出来たり、そんな時は大声で呼ぶシステム。
今のような自動補給では無いのでパチ台の球が無くなったときは、島の内部に人一人がやっと通れるくらいの通路を店員が大箱を持ってその中を移動して補給してくれました。

いま考えるとその効果は殆ど無い、(いやいや)絶対に無いと思う、(でも、もしかすれば)極々ほんの少しの効果を求め、補給後は下皿に目一杯球を詰め込んで打ってました。(補給球はパチ台裏側上部の皿に入れられるのでネカセがきつくなる(と思っていた)ので、少しでも緩めるために下皿を重くしていた)

今で言う「オカルト」の走り、だったのかもしれません。
でも、このオカルトはCRの時代になっても結構続けられていて、今となっては聞くことの出来ない「下皿が一杯です。球を抜いてください。」の音声がオカルターの台から聞こえていました。
(でも、そのお陰で「黄門ちゃま」や「海物語」の攻略法が生み出された!と言っても過言でも無いwww)
【2】

〜に〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月09日 13時40分)

次にぱちんこ台に触れたのは、意外にも大学生になってから。
補欠でようやく引っ掛かった大学に通うため、M市の下宿で生活していた頃です。(当時はアパートの一人暮らしより賄付きの下宿が主流)
温泉とは縁があるのか、その下宿もA温泉場の山手の一角にありました。

ちょうどその頃M市で国体が開催され、現在の上皇様ご夫妻(当時は皇太子ご夫妻)が下宿先の近くのホテルにご滞在されました。
下宿とその先のホテルに上る交差点には24時間体制で警察官が立哨していて、コンパ帰りの帰宅時に職質を受けました。

警 「きみ、どこへ行くの?」
私 「(指指しながら)あの下宿に帰るんです。」
警 「免許証とか持ってる?」
私 「あ、はい。」(高校3年の時に小型2輪免許を取得していた)
警 (免許証を見ながら)「学生さん? 何学部?」
私 「工学部ですけど。」
警 「ちょっと、鞄の中確認させてね。」

 ※後で下宿仲間に聞いた所、工学部や理学部の学生がチェックされていたようでした。

警 「はい、ありがと。きみ、お酒飲んでるね?」
私 「あ・・。すみません。」(まだ18歳、免許証でバレました ^^;)
警 「ほどほどに、外では控えて家で飲むぐらいにしておけよ。」
私 「・・・・。はい。」

鞄を返してもらって、無事、無罪放免(?)になりました。
未成年だからといって「飲むな」とは言わない時代でした。

あ・・、早速脱線、パチのハナシに戻ります。

仕送りはほぼ無く奨学金とバイト代で生活する中、息抜きにと月1位のペースでパチ屋へ・・。
まだまだ手打ち式が主流でしたが、ちょうど電動役物が流行りだした頃でした。
電動役物と言っても平台に搭載されているモノですから、現在のソレとは全く違うモノです。

その頃のオーソドックスな台は両脇にチューリップ、左右袖に落とし、センター(中央)に二連チューリップというような構成。
電動役物は大概、中央の二連チューリップの上に鎮座していて回転または往復動作により入賞する位置(ポケット)を変え、オープンする(開く)チューリップの位置や個数を決定させてました。
それまでの固定式や機械式の役物とは違い、役物の動きによりどの入賞口に入るか分からないといったスリルが流行りの要因だったと思います。
良台はじわじわと球が増えていく、そんな印象が残っています。
【1】

〜いち〜   編集  評価

StrawberryLetter (2024年03月09日 00時07分)

初めてぱちんこ台に触れたのは、小学校低学年の頃。
今から五十年以上も前のハナシ。
滅多に無い家族旅行でY温泉に行った時でした。
そこはパチンコ店というよりも温泉場の遊技場といった感じで、パチンコ台の他にスマートボールや雀球もあったように思います。(既に記憶が曖昧www)

もちろん台はチューリップのみの平台で手打ち台。
自分と親父、兄の三人で球を借り並びで打ちました。
記録によると当時は貸玉料金2円時代。
たぶん3人とも百円分50球を借りて打ったのでしょう。

球を弾いたことも無い小学生ですから、一球々々ゆっくりと何処を狙うでもなく、ただやみくもに打っていたのだと思います。
それが功を奏したのか、はたまた生まれつき博才があったのか、球はどんどん増えていき、やがて小箱一杯に。(親父と兄はすっからかんになり、二人とも末っ子の台を鑑賞してました)
親父にはタバコ二箱を、それ以外をチョコレートやお菓子に替え、満面の笑みの笑みを浮かべる鼻垂れ小僧がそこにはいました。

親同伴なら子供でも堂々と打てる、ゆる〜い時代でした。
【1】 
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