返信元の記事 | |||
【134】 | RE:パチンコ店に放火する理由と店側の対策 近隣住民 (2009年07月09日 10時59分) |
||
おお〜い。 昭和17年に戦時対策で、とにかくパチンコは全面的に禁止されたよ。 その頃に日本人以外が、日本国内でパチンコを経営できたかというと、 朝○や中国人は、当時完璧に労働の為、強制連行で日本に連れてこられています。 出来たとしても、国内でそう多くの人間がやってたとは思えない。 確かにその頃は日本人がほとんどでしょう。 その当時に、「多くの日本人が辞め結果的に朝○系が残った」って書いてましたが、 その時は完全に廃業させられてるから、誰も残ってない。 だから現在の流れとは無関係。 戦後の復活時に、朝○系が焼けた土地を不当に占拠した事。 景品にする物を手に出来たのは、朝○系と愚連隊。 闇市で稼ぐ事が出来たそれらの一部が、パチンコが更に日銭を稼げるから パチンコへ流れていった。 【店を持つ事が出来ないから青空営業をしていた人たちが一気にパチンコ営業をやめ出した】 のではなく、戦時対策により「パチンコは非国民的遊技として」全面的に禁止になった。 【多くの日本人が辞める中で在日系の方々が多く残る事となり】 戦時対策時以前は、非日本人がパチンコの経営を出来る時代ではない。 それに当時は完全に排除されている。 戦後の連発式が禁止された影響で、多くの日本人が転業し、 他職に就きづらく、元々多かった朝○系が残る結果となった可能性は高い。 貴方が【64】で書いたのは、歴史的におかしいといってるの。 |
■ 212件の投稿があります。 |
22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 |
【135】 |
眠り猫 (2009年07月09日 11時57分) |
||
これは 【134】 に対する返信です。 | |||
>昭和17年に戦時対策で、とにかくパチンコは全面的に禁止されたよ。 昭和十二年(1937年) 8月 遊技場の新規開業禁止通牒 昭和十四年(1939年) 1月 福岡県警察部において課長会議の席でパチンコ禁止の意見出た模様 7月 戦時下の風俗営業取締り方針に基き、大阪府は府令を以て、管内遊技場の営業時間を午後十一時以降禁止指示 昭和十五年(1940年) 7月 パチンコ遊技場、スマートボールなど製造禁止 9月 大阪府警、管内の遊技場の営業時間を正午から午後11時までに規制 昭和十六年(1941年) 7月 高知県警察部、景品にたばこの提供禁止、代替品として入浴券、電車の回数券を許可 昭和十七年(1942年) 10月 警視庁、遊技場取締規制改正 昭和十八年(1943年) 6月 企業整備令に基きパチンコ遊技場などの転廃業相つぐ さて、第二次世界大戦は何年から何年の間だったでしょうか? 1939年から1945年ではなかったかな? なんで、禁止になったと言われるパチンコ業の営業時間をめぐって時間制限だの景品のたばこ禁止だのが出てきているんでしょうね? 戦争が始める前の、1937年の新規開業禁止と混ざっていませんか? 第一次大戦の方から考えれば間だとは思うが・・・ せめて非難するなら、ちゃんと読んでからにしてくださいよ^^; >戦後の連発式が禁止された影響で、多くの日本人が転業し、 >他職に就きづらく、元々多かった朝○系が残る結果となった可能性は高い。 だとしても >>>何故パチンコだけが換金許されるのでしょう。 >その存在理由の骨となっているのは「先の大戦までの歴史の経緯」と「大戦後に勃発した半島戦乱の経緯」という地勢学上のバランスを米国が仕切って決めた「東アジア治安維持の枠組」であります。日本国が独自に決めたことでもなさそうですな。 と言う、素人Bさんの話はおかしい部分がありますよね? 昭和二十九年(1954年) 6月 都公安委員会を皮切りに全国で「連発式禁止令」を決定 昭和三十六年(1961年) 5月 換金システムの原点となる大阪方式が大阪府内でスタート 間に7年ある訳だし、戦後と言う話では16年も間ができてしまっている、換金が許されるのを戦争の代償のように書くことに関する、文章がいかにおかしなものかがよくわかると思います。 ちなみに参考で挙げてるサイトは、どこかの個人が掲載してるサイトではなく、業界誌を毎月発行している会社のサイトですよ^^; ここが出してる雑誌を知らない業界人は皆無と言ってもいいかと^^; メーカー・組合・ホール・オーナーには間違えなく読まれてます・・・どういう訳か無料で届くし^^; |
|||
この投稿に対する 返信を見る (2件) |
© P-WORLD