返信元の記事 | |||
【12】 | RE:アフターどうする? カンパチ (2015年09月02日 21時08分) |
||
集団化したら、何が起きるのか。 難しい問題です。 まず、母子の食料と安全を、周囲の人間が保障する、というのは、 義務感、道義心、親切心といった、「人間的感情」からそうするのか、 それとも、 本能からそうするのか。 仮に、道端で、生まれたての赤ん坊を抱えた母親がうずくまっていたとします。 その二人を見かけた人は、理由を問わず、 とにかく、保護しようとするはずです。 見てみぬふりをして放ったらかす人は、まずいないと思います。 母子を保護しようとする行動は、「種の存続」のための本能だとしたら、 多分、他の動物には無い、人間固有の本能かもしれません。 母性本能(例えば、母馬が仔馬を外敵から守る)というのは、他の動物にもみられますが、 母子を、周りの動物が保護するということは、多分、ないと思うのです。 人類学者とか心理学者が、その辺を研究してるんでしょうか。 原始時代を想像してもらえれば、 人間の母子というのは、自然界において、まるっきり無力です。 周囲の大人たちに、頼るしかありません。 依存です。 特に、母親は、周囲の人間に依存しなければ、 赤ん坊を抱えながら、 自力で食料調達したり、 外敵からわが子を守るということは、不可能です。 つまり、生きていけません。 逆に、周りの大人たちは、赤ん坊を育てることを、 その母親に、やはり、依存せざるを得ない、とも言えます。 なぜなら、赤ん坊に母乳を与えられるのは母親だけですから。 ここに、人間同士の「依存関係」というものが成立する、と思うのです。 この依存関係の中で、母親は、安心して子育てに専念できる、 ということになるのではないでしょうか。 「依存」については、根深いものがあるので、ひとまず、この辺で。 一方、赤ん坊の方はどうでしょうか。 赤ん坊は、母親に保護されているわけですが、 「自分は母親に依存しなければ生きていけない」と思っているでしょうか。 思っている訳がありません。 赤ん坊は、自分の欲求を、全て、 周囲の大人が満たしてくれることを当然と受け取ってます。 自分は何もしなくても、自動的に生きていられる。 この感覚を『全能感』と言います。 全能とは、「全知全能の神」の全能です。 つまり、自分は何もしてないのに、 あたかも、 自分は何でもできる、 という錯覚の中で生きている、と言えます。 しかし、赤ん坊は幼児へと成長します。 歩くようになり、言葉を覚えます。 すると、周りの大人たちから、 「あ〜しろ、こ〜しろ」と、 様々な要求を突きつけられるようになります。 全能感が、次第に薄れていきます。 ただ、初めのうちは、 例えば、排便の仕方を学習させられるわけですが、 命令されて仕方なく自分で排便するようになる、のではなく、 「褒められながら」覚えていきます。 他のことでも同じで、幼児は、自分がどうすれば、母親が喜ぶか、を覚えていきます。 そして、褒められれば、うれしくなり、要求されたことをやるようになります。 「承認欲求」の芽生えです。 これは、他者に、ほめられたい、認められたい、という欲求です。 ところで、先ほど、全能感は、次第に薄れていく、と書きましたが、 完全に無くなることはありません。 場合によっては、むしろ、全能感は強化されます。 という訳で、 「赤ん坊は数か月間自立できない」という現実があって、 人間は、集団化しなければ種を存続できない、 ということになってしまいました。 そして、集団化する過程で、 「依存関係」「全能感」「承認欲求」というものが非常に重要になってきました。 ますます、難しくなってきました。 僕の頭で、どこまで考えられるか、不安です。 |
■ 14件の投稿があります。 |
2 1 |
【13】 |
花咲まい (2015年09月08日 23時55分) |
||
これは 【12】 に対する返信です。 | |||
カンパっちゃん、レスありがとう あたし、実は認証もってなくて今日でこのトピ落ちちゃうの すごく興味ある話で、もっと話たいけど また続き話せたらいいね |
|||
© P-WORLD