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【384】 | RE:カンパチ・ベルガーX 環八 (2014年10月19日 22時39分) |
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>「無為を為し無事を事とし無味を味わう > > 小を大とし少なきを多しとす > > 怨みに報ゆるに徳をもってす」 分かるような、分からないような。 小さいことを小さいことと思って、見過ごしてはならない。 ということは、『小さいこと』なるものはない。 と思えばいいですか。 >大とか小とかいう判断は > >相対的立場に立つものにはありえないことで > >人間の判断は相対的なものであって > >物には小も大もない これも、分かりにくいなあ。 「相対的立場に立つもの」という一文の『相対的』という言葉と、 「人間の判断は相対的なもの」という一文の『相対的』という言葉は、 意味が違ってるような気がするんですが。 まず、人によって、ものの見方は違うので、一つのモノや現象に対して、いろんな見方が存在する。 だから、例えば、Aさんの見方とBさんの見方の、それぞれを知り、相対化する必要がある場合、 その相対化する人のことを「相対的立場に立つもの」と考えればいいですか。 そうすると、 「人間の判断は相対的なもの」という表現の意味が解らなくなっちゃう。 人間の判断は、人それぞれ、ってこと?。 心理学者や精神医学者は、大概、『相対化』すべきだが『一般化』してはならない、というようなことを言います。 この場合の『相対化』とは、僕の理解では、ある人の言ってることを『正しい』か『間違ってるか』と区分けするのではなく、言っていることの趣旨をくみ取ること、という感じかな。 例えば、誰かが『あいつ、バカじゃないの』と言ったとした場合、どこがどう『バカ』と感じられるのか、言い換えれば、何と比較して『バカ』と言っているのか、を聞かせてもらう、というような。 (この理解の仕方は、ちょっと、自信がないです) 『一般化』とは、これも僕の理解では、ある一つの事象を、あたかも、すべてに当てはまるかのごとく言ってしまうこと。 例えば、『アルマーニを着てる人って、キザよね』という言い方は、『アルマーニを着てる人』はすべて『キザである』と「一般化」してしまっていることになります。 当然、そんなことはないわけです。 でも、この『一般化』というのは、結構やりがちなんですよね。 それはそれとして、とにかく、さんはなさんの、この文章で使われている『相対的』という言葉が、よく分からないのです。 難しく考える必要はないんでしょうけど。 気になるもんで。 |
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【390】 |
さんさんはなはな (2014年10月20日 00時45分) |
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これは 【384】 に対する返信です。 | |||
>そうすると、 >「人間の判断は相対的なもの」という表現の意味が解らなくなっちゃう。 >人間の判断は、人それぞれ、ってこと?。 人間の判断は相対的なもの これは 例えばAとBの人がそれぞれいて 二人に同じ事象が起きて それに対して 違う捉えかたをしたとしても その事象を見て判断すると言う事は 変わらないと言う事じゃないかな? んーーー 俺は説明が下手だから伝わるかな? まぁ あまり深く考えないで。ごめんね。 俺が言いたかった事は 物事は些細な事の積み重ねで出来ていて それを蔑ろにすると大きくなるよね と言いたかったのさ。(笑) その時 たまたまこれを見たから 同じ様な事を言っているのかな?と思って書いたんだ。 カンちゃんならどう捉えるかな?と思って。(笑) ごめんなさい。 |
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