| トップページ | P-WORLDとは | ご利用案内 | 会社案内 |
■ 333件の投稿があります。
<  34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  4  3  2  【1】 
【9】

RE:王道にして邪道を往(い)く。  評価

環八 (2014年07月02日 19時04分)

>朝の5:30ごろのレスは自消しか?


あ〜、あれね。


残しといてもよかったんだけど、『愚民』レスを誰かが載っけてたんで、僕の出る幕でもないな、と思い直したんです。

でも、狼君、『愚民』レスを消しちゃったから、再度、思い直したってわけ。


>もう止めろ。

繋ないどいて、止めろ、は矛盾してますね。


茶番と言えば、茶番かもしれないけど、傍観しといてください。


狼君に、『暴言』とは何かを、分かってもらいたいものだと思ってるんですが。


前トピで、狼君は僕に対して、

>いちいち議論するのも、煩わしい

と言ってましてね。


狼君に因縁を付けられたので、言い返したことはありますが、一度も「議論」したことはないです。

では、『暴言』とは何か、について、『議論』しましょうか。


ただし、その前に、反省文を書いてもらいます。
【8】

RE:王道にして邪道を往(い)く。  評価

茶番 (2014年07月02日 18時43分)

朝の5:30ごろのレスは自消しか?

もう止めろ。
【7】

RE:王道にして邪道を往(い)く。  評価

環八 (2014年07月02日 18時03分)

狼君へ。


新トピを立てたんですね。

君の『愚民』レスは、保管してあります。反省文を書いてほしいと思います。

『愚民』レスは、「悪意」で充満しています。

「悪意」とは、具体的には『侮蔑』『軽蔑』『差別』です

『愚民』レスから、個々に指摘します。



☆しかし、原発を止めてしまうと、今度は電力不足で右往左往する様になった。
「お前達は阿呆か?」→『侮蔑』『軽蔑』



☆全く、ガキでもあるまいし、行き当たりばったりの主張や行動を繰り返して、本当に愚かである。→『侮蔑』『軽蔑』


☆いい歳した大人連中が、後先考えないで起こした騒ぎを見ていると、本当にみっともないと思える。→『侮蔑』『軽蔑』


☆日米安保の学生運動じゃあるまいし、あまりにも後先考えの無さ過ぎる大人連中に、私はあきれたものだ。→『侮蔑』『軽蔑』


☆そして、今でも多くの人間が、原発は危険だから全て放棄しようなどと、聞いた風な口を利き、したり顔で声高らかに叫んでいるのである。→『侮蔑』『軽蔑』


☆さしたる考えも無く、自らの信念も持たず、簡単に世間の風潮に流されて、右へならえとばかりに原発反対をわめく連中こそ、愚民と言う他は無い。→『侮蔑』『軽蔑』『差別』

(注:『愚民』は、明らかに差別用語)


☆原発反対の人も、自宅へ帰ればしれっとして、エアコン全開にするのだろうか。→『侮蔑』『軽蔑』





これらの発言を読んだ人たちが、どう誤解した、というのですか。文字通りに受け取れば、すべて『悪意』です。弁解の余地はないでしょう。


君は『毒舌』のつもりで書いたのでしょうが、『暴言』のオンパレードです。

「毒舌」というのは、他人への愛情に基づくものであり、誰もが『言われてみれば、それもそうだな』と共感できるものです。

「暴言」は全く別物。『暴言』は、悪意に基づくものです。誰も共感しません。


では、反省文を書いてください。

書き方が分からないかもしれないので、例文を書いときます。


≪☆さしたる考えも無く、自らの信念も持たず、簡単に世間の風潮に流されて、右へならえとばかりに原発反対をわめく連中こそ、愚民と言う他は無い。→『侮蔑』『軽蔑』『差別』

この一文について、もし、良心的発言をするなら、

『原発への恐怖から、原発反対を叫ぶ人たちの気持ちはわかる。あれほど安全と宣伝されてきた原発が、ものの見事に『危険』な物体であることが、証明されたからだ』

とすべきでした。原発反対を叫ぶ人々を『愚民』呼ばわりするなど、人として、あってはならないことです。申し訳ありません≫


こんな具合です。


では、僕が指摘した個所につき、一つ一つ、反省文をどうぞ。



このレスも、保管しておくので、回答を得られるまで、再掲します。
【6】

天国と地獄。  評価

パチ屋の狼 (2014年07月02日 16時58分)

彎 さん、こんにちは。

競馬で天国と地獄を味わった馬というと、「メジロマックイーン」もその一頭です。

彼は、出走する予定だった「宝塚記念」に、同じく出走予定していた有力馬が次々と出走を取り消してしまったので、あっさりと優勝しました(よしだみほ先生の漫画「馬なり1ハロン劇場」には、置いてある物を取るとはこの事、とあります)。

さらに、その2着に来たのが、何と牝馬の「イクノディクタス」でした。
(歴代賞金女王でもある彼女は、引退してからマックイーンと交配するという、妙な縁がありました。)

さて、ここまで行けば単なる幸運なだけの馬ですが、マックイーンは、続く「秋の天皇賞」で、2着の「プレクラスニー」以下をぶっちぎって優勝します。
ところが、何と失格降着処分を受けてしまい、天皇賞・春秋連覇もフイに。
そして、負けたはずのプレクラスニーが繰り上げ優勝になってしまいます。
まさに、天国と地獄。


また、その翌年の「天皇賞・春」では、3連覇を「ライスシャワー」に阻止されてしまうというオマケ付きでした。
【5】

RE:王道にして邪道を往(い)く。  評価

(2014年07月02日 03時03分)

パチ屋の狼さん、こんばんは。 新トピおめでとうございます!


ワールドカップを見ながらのカキコです。


>さて、こういう事を往々にして、「運も実力のうち」と言う。


それは競馬の世界でもありますね・・・

先日の宝塚記念を勝ったゴールドシップという名馬なんですが、
グランプリレースを3度も勝って
G1勝利は他に皐月賞と菊花賞も。


一昨年の有馬記念と昨年の宝塚記念は当時の国内最強馬のオルフェーブルが不出走。

菊花賞はダービー馬が故障引退で不在。

今年の宝塚記念も
春の天皇賞を勝ったフェノーメノと
世界No.1ホースのジャスタウェイが不出走。


もちろん、ゴールドシップが名馬であることには違いがないのですが、
そのときその時点での最強馬たちがことごとく不在・・・
「運も実力のうち」
個人的にそうかんじていました。


それではまたです。お休みなさい。
【4】

閃(ひらめ)きはご都合主義か?  評価

パチ屋の狼 (2014年07月02日 02時17分)

さて、ご都合主義と言うかどうか、ちょっと難しいものに、「偶然の閃き」がある。

一番多いのは推理もので、何かのきっかけで調査役のキャラクター(多くは主人公)が、「そうか!」と閃くシーンは多い。

つまり、それが無かったらキャラクターは閃かず、物語も進展しない。
そして、それらは大抵の場合、偶然が多い。

そういった、偶然の産物を、ご都合主義とするかどうかは、難しいところだと思う。

発明王エジソンも、こういう言葉を残している。

「天才とは、1%の閃きと99%の努力である。」

と。

しかし、中にはどう考えても、全く努力しないで偶然閃いてしまうキャラクターも、あるにはある。
最近大増殖して、一大ジャンルを築いてしまった「ライトノベル(通称ラノベ)」が、それである。

だけど、ここではそれは置いておく。そもそも、本格的物語とライトノベルを一緒にする事自体が無理であるからだ。
読みやすさに重点を置いているライトノベルの内容が濃くなってしまえば、それはもうライトノベルでは無くなってしまうからだ。
だから、ここでは無視する。

さて、推理ものとして有名と言えば、「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」だと思う。

この2作品をしても、偶然の閃き無しでは、作品が展開しない。

最初から主人公(もしくは推理役)が事件のあらましを全て解っていて、それを立証するための証拠集めをするだけ、の話だったらどうか?

それはそれで面白いかも知れないが、それでは単に、そのキャラクターの有能ぶりをアピールするだけ、に終わってしまうかも知れない。

推理役が簡単に、「ああ、この事件はこうなんだな。」と理解してしまい、後は証拠を集めて回るだけだったら?

たまにはそういう作品もあるけれど、そればっかりでは、推理役の有能ぶりばかりが目立ち、読者は馬 鹿にされた気分になるかも知れない。

例外として、福本作品の1つ「アカギ」を挙げておく。

天性の才能を持った麻雀打ちのアカギは、はたから見ると何を考えているか、さっぱり解らない。
しかし、話が進み、順を追っていくうちに、彼の狙いが何だったか解る仕組みになっているのである。

同じ福本作品の「カイジ」と違うのは、カイジが途中から天才的閃きをもって自体を打開するのに対して、アカギは最初から全てが計算してあるという事だ。

アカギには閃きが必要ないのだ。むしろ、途中の偶然の閃きによって登場キャラクターが、アカギの考えに気が付く事が多い。
(ただし、アカギがネタバレをするまで気が付かない事もある。)

同じ様な事が、「ライアーゲーム」にも言える。

興味のある方は、調べてみるといいと思う。
【3】

本当にそうか?  評価

パチ屋の狼 (2014年07月02日 01時54分)

【2】の続き。

さて、こういう事を往々にして、「運も実力のうち」と言う。

実際に、これまで世に出た人の中には、運が良い方に転がったと思われる人が非常に多い。

偶然の産物と思われている運であるが、扱いが極めて珍しい事も、また事実である。

アニメ・マンガ・ゲームなど、フィクションの世界では、いわゆる作者や製作サイドのご都合主義が非常に強い。
特に、主役級のキャラクターが絶対的ピンチの時に、ありえない方法でそれを切り抜けた時、作者は揃ってこう書くのである。

「まるで、天がこの者を死なせない様にしている様だ。」

と。

ついでに、登場人物の誰かがこう言えば完璧である。

「これも、運命なのか。」

と。

「本当にそうか?」

今や世界的規模で人気の「ワンピース」だが、主人公のルフィが、道化のバギーに斬られそうになった時、いきなり落雷がバギーを直撃して、助かっている。

また、「ヤンキー烈風隊」でも、ナイフで刺された主人公を診察した医者が、「奇跡的に内臓を全てすり抜けている。まるで、天がこの若者を死なせない様にしているかの様だ。」と。

ここまで無茶ぶりしてもそれが許されるとは、フィクションと言うのは、何とも寛大な世界だと思う。

ただの偶然を、天命だ、運命だ、なるべくしてなった必然と、のうのうとのたまう。

ご都合主義は、一般的に急場をしのぐ作者の手段だが、あまりにそれが多いと、見る側はしらけてしまう。

「はいはい、どうせまたご都合で助かるんでしょ」と。

中には、「ドラゴンボール」の様に、主人公が死んでも話が続く作品もあるが、多くの場合、主人公の死=物語の終了、つまり最終回である。

つまり、ご都合主義で主人公を助ける様な事ばかりしていると、読者に飽きられる。

それがギャグなら受け入れられるが、シリアス路線だと、顰蹙(ひんしゅく)を買う事になる。

ちなみに、前例で挙げたドラゴンボールは、死者をも蘇らせる力を持つ道具ドラゴンボールが、1年に1回という制約付きとは言え実質無限に使用可能な為、作中でキャラクターが死ぬ様な事があっても、あまり読者はこたえない。

「どうせ、また生き返る(と思っている)からである。」

さて、現実の世界でも、この作り話としか思えない様な幸運(もしくは強運)によって、一躍有名人になった人は大勢いる。

しかし、中には、作った様な本当の話で、天国と地獄を味わった人も居る。いつか話した気もするが、最後にお話ししよう。


樽(たる、である。酒や食べ物を入れるアレ)に入って、ナイアガラの滝(アメリカとカナダの国境にあるアレ)から落ちて帰って来た人は、世界一幸運の持ち主と言われていたが、ある日、道を歩いていて、落ちていたバナナの皮を踏んで滑って転倒して、頭を打って死んでしまった。


有り得ない様だが、本当の話である。
【2】

孫子の兵法と天下人。  評価

パチ屋の狼 (2014年07月02日 01時31分)

孫子という書物がある。

意外と知られていないが、孫子と言っても実は一人の人物を指す訳ではない。

主に、孫武と孫(ぴん・コピペ不可能)という2人が書き記した書物を、孫子と言う。

孫子はかなり昔から日本に伝わっており、戦国時代の武将や大名も、大抵の者は読んでいた。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信なども、当然ながら読者の一人である。

しかし、ただ読んでいただけではなく、その内容を自分なりにアレンジして、合戦や政治に役立てていた。

孫子と言うのは、兵法、つまり戦争だけではなくて、実生活などにも使える、言わば総合参考書みたいなものである。

その中に、

「始めは処女(おとめ)のごとし、後には脱兎のごとく。」

という言葉がある。

最初は清らかな乙女の様に、しおらしくしておいて、相手が油断したと見るや、脱兎のごとく勢いで、一気呵成(いっきかせい)に攻めるというものだ。

さて、共に天下人となり、同時に人心をつかむ事にも長けていて、人たらしとも呼ばれた秀吉と家康だが、両者には決定的な違いがある。

秀吉は、主に謀略が得意な策士の面が強いが、家康はそれに加えて、野戦も得意だったのである。

両者共に孫子を読んではいたが、直接の合戦となると、家康の方が秀吉よりも巧者であった。

実際に、小牧長久手の合戦では、秀吉は結果的に家康に負けている。

また、信長が存命中に、それまで合戦で武功の無かった秀吉は、「金ヶ崎の退き戦」において、殿(しんがり)を半ば強引に引き受け、命からがら手柄を立てている。
秀吉自身も、合戦において直接の手柄が無い事を、気にしていたのである。

しかし、野戦を得意として、秀吉よりも合戦巧者であった家康も、「三方が原」の戦いでは、「武田 信玄」に完敗を喫している。
しかもどういう訳か、数で劣る家康(信玄2万5000に対して、家康1万3000)は、数で勝る側が仕掛ける陣形である「鶴翼の陣」(鶴が羽根を広げた様に、敵を左右から挟み込む形)で、信玄に挑んでいるのである。

この謎は、家康本人も語らなかった為、最後まで謎のままであるが、歴史的惨敗となった家康は、死ぬ思いで本拠地の浜松城へ逃げ込み、あまりの恐怖に脱糞までしたと言う(家康の凄い所は、教訓として負け戦の話を残し、その情けない姿を絵に認(したた)めたという事である)。

この様に、戦において家康をまるで相手にしなかった信玄は、上杉謙信と同時に、信長が最も恐れる人物の一人であった。

そして、信長・秀吉・家康の3人にとって幸運だったのは、この謙信と信玄の両名が、自分(達)よりも早く亡くなった事である。

歴史に、「たら・れば」はつき物だが、この両名が晩年まで健在だったら、彼らの天下はどうなっていたか解らない。

次回へ続く。
【1】

まず最初にご挨拶。  評価

パチ屋の狼 (2014年07月02日 00時51分)

これまでに私と私のトピに関わった皆さんへ。

閲覧する側の方々への配慮が不十分な為、不適切な表現が多いなど至らぬ点が目立ち、たくさんの人達へご迷惑をおかけしたり、不快な気分にさせた事を、お詫び申し上げます。
<  34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  4  3  2  【1】 
メンバー登録 | プロフィール編集 | 利用規約 | 違反投稿を見付けたら