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【4】 | RE:不遇なご先祖様(歴史系) S・Pエス (2012年08月27日 08時28分) |
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パチ屋の狼さん、はじめまして。 佐々成政公が不遇かどうかは分かりませんが、織田信長公の黒母衣衆(伝令将校)筆頭から、肥後一国の大名に出世された能力は凄いと思います。 伝承や逸話も多いようですが、柴田勝家公に従って北陸越中(富山県)での治水事業など、領民に慕われる政治手腕にも長けた方だったようですね。 明智光秀公のように裏切り者のレッテルを張られ、実際の人物より悪く伝わっているであろう武将も多いかと思いますが、他の要因としては信憑性の高い資料が少ないことも事実と思います。 明智光秀公の裏切りは史実です、丹波や丹後の治世においては今でも名君の伝承があるようです。 佐々成政公に関する資料も少ないようですが、後年新たな資料が発見され、成政公の偉業などが分かるかもしれません。 そういう希望を持つのも良いように思いますので、ご先祖様と思われる方の研究が進むと良いですね。 稚拙な文章で失礼いたしました。 |
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【5】 |
パチ屋の狼 (2012年08月30日 03時28分) |
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これは 【4】 に対する返信です。 | |||
佐々成政に関する逸話の中には、勝ち組である前田利家や秀吉が、故意に悪い記録として改ざんして残したものがあるとも言われています。 それだけ、両者にとって成政は大きい存在だったのかも知れません。 実際、幾多の合戦を共に経験し、柴田勝家配下の時に、同じ府中三人衆として北陸を統治していた利家とは、古くからの友人であったにも関わらず、信長没後に敵対していますし(末森城攻防戦)、秀吉に至っては、成政の拠点である越中富山攻めに、10万もの大軍を動員しています。 猪突猛進の猛将と言われた成政ですが、この時は国中から集めた2万の兵を一度も使う事なく、秀吉に降伏しています。 ついでに、現在でも成政が行った治水工事の際に造られた堤防は、現在でも佐々堤と呼ばれていたり、成政の名を冠した祭りや駅弁があるなど、領民に慕われる政治的手腕も持っていた様で、その事も猪突猛進の脳筋武将では無かった事を物語っています(誉めているのだろうか?w)。 なお、九州平定後に秀吉から賜(たまわ)った肥後の国について。 表面上は50万石という破格の待遇ですが、実際の経済価値は、その半分以下の20万石にも満たない、10万8000石であったとも言われています。 ちなみに、「信長の野望 ー武将風雲録ー」 において、成政の能力は政治と武力をはじめ、全ての能力が70前後という、可もなく不可もなくといった設定がされていますw ただ、パチンコにおいては、成政がからむ演出や予告は、ほとんど空気という残念な状況ですw いつかは、成政がからんだ大当たりを引きたいものです。 皆さんも、成政が出て来たら、「またか、こんなのいら〜ん。」などと思わず、生暖かい目でその後の展開を見守ってやって下さいw まあ、私も「またですか、ご先祖様。」くらいにしか思っていませんけどw(おい) |
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