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【20】

クリスマス 2  評価

(%) (2010年02月18日 08時34分)

僕らも一緒になって反論しましたが、聞く耳を持ちません。
K村君は、先生が去ったあとも悔し涙を流していました。

今では、信じられないことかもしれませんが、
エコヒイキや体罰をする先生なんて当り前。
そして、物が無くなると、
貧乏な家の子が疑われるのも当り前の時代だったのです。
K村君は、何事につけても、先生に目をつけられていました。

その年の暮れのことです。
K村君が言いました。

 「僕んちでケーキを買ってくれるんだ。
  クリスマスに遊びに来ないか」

と。
少しずつ、「豊かさ」が浸透しつつある時代でもありました。
家庭で食べるための、クリスマスケーキもよく売れていました。

子供たちにとっては、甘いものは貴重でした。
ケーキと言われては、ほっておけません。
みんなで、

 「行く、行く!」

と大騒ぎしました。

初めてK村君の家を訪ねました。
その日もお母さんは仕事に出かけていて留守でした。

彼の家は、たった一間の板張りの部屋でした。
今から思うと、親戚か誰かの家の、
離れか何かを間借りしていたのでしょう。
ひょっとすると、納屋か物置だったかもしれません。

冷たい床の上に、5、6人で座りました。
K村君は、満面の笑顔でケーキの箱を運んできました。
みんなが、

 「イエーイ」

と声を上げます。

彼が、箱のふたを開けました。
すると、・・・本当に、
本当に小さなケーキが座っていました。

そして、どうみても、美味しそうには思えませんでした。
箱には、製パン会社のシールが貼ってありました。

K村君の表情も少し曇りがちになりました。
ロウソクを立てて、火をつけて、みんなで吹き消します。
ロウソクを立てたために、小さな小さなケーキの表面は、
凸凹になってしまいました。

それでも、

 「いいか、切るぞ」

と包丁を振りかざします。
誰かが、

 「ちゃんと、みんな同じ大きさに切れよ」

と言いました。
お皿に乗せて、配ります。
【19】

クリスマス 1  評価

(%) (2010年02月18日 08時33分)

クリスマスになると思い出す友達がいます。
小学校の3、4年生とクラスが同じだった、
K村君のことです。

ときは、昭和40年代の前半のことです。

そう、あの頃は、ほとんどの家庭が貧乏でした。
貧乏というか、物がないということが、
ごく普通の生活でした。

我が家もご多分に漏れず、
ズボンの膝やセーターの肘は継ぎはぎされていました。
今なら、「恥ずかしいよ」と言うところですが、
みんな一緒なので気にもなりません。
もちろん、コンビニもマックもない時代の話です。

そんな時代に、K村君の家庭は、
一層輪をかけて貧乏でした。
直接、話を聞いたことはありませんでしたが、
噂ではお父さんがいなくて、
お母さんが日雇いで働いてK村君育てていたようです。

こんなことがありました。
学校の秋の遠足での出来事です。

昼飯の時間になると、
それぞれ仲のいい同士が4、5人のグループを作って車座になります。
そして、当時流行っていたのは、お弁当の交換です。

サンドイッチなんてシャレたものを持ってくる女の子も
クラスに一人か二人はいましたが、ほとんどがオニギリでした。
二個か三個持ってきたオニギリのうちの一つを交換するのです。
私は、たまたま、K村君のオニギリをもらいました。

さて、それを一口がぶりとして、
思わず吐き出しそうになってしまいました。
なんてまずいオニギリだったことか。
とにかく、お米がパサパサなのです。

そして、一粒一粒が硬くて、口の中でジャリジャリいっているのでした。
私の顔つきを見て、K村君は言いました。

 「お母さんは、暗いうちに家を出て行くから、
  夕べのうちに作ってくれたんだ。
  それで硬くなっちゃったんだ」

そのころは、ラップもありません。
作り置きのオニギリは、時間が立ち過ぎると乾燥してしまうのです。
私は、「まずい」とも口に出せず、
とにかく全部を飲み込むようにして食べました。

子供ながらに、友達の家庭の事情を察して、
心が痛くなったものでした。

K村君のうちは、貧乏でしたが、
卑屈な奴ではありませんでした。
どちらかというとヤンチャでした。

たまにふざけて、教室の窓ガラスを割ってしまったりするので、
担任の女の先生からは、いつも睨まれていました。

そのせいでしょうか。
その遠足の時も、担任の先生は、
私たちのグループにやってきて
「おやつチェック」をしました。

遠足にもっていくおやつは、百円までと決められていました。
遠足の前日になると、みんなで工夫をこらして買い物に出かけます。
先生は、リュックサックからおやつを出させて、
予算をオーバーしていないかをチェックするのです。

順番に見て周り、K村君の番になりました。
リュックからは、袋物の駄菓子が山ほど出てきました。

僕らは、(へええ、大したものだなぁ)と感心しました。
彼は、駄菓子屋へ行き、量の多い袋詰めの駄菓子を
何種類も買い込んだのでした。

一つが十円か二十円なので、相当の量になります。
それを見た先生は、いきなり大声を上げて怒りました。

 「こんなに滅茶苦茶買ってきて、
  なんて子なの!」

K村君は、一つ一つの値段をきちんと説明しようとしましたが、
駄菓子屋なんて行ったことのない先生には信じてもらえませんでした。
【18】

カッコ悪く泣かせてくれ 2  評価

(%) (2010年02月17日 22時28分)

ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。
それから2年。あまり体は強くないけれど、気は人一倍強い嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。
子供もいつか授かればいいな、という感じで無理せず暢気に構えてる。

 ・
 ・

654 名前:大人の名無しさん 投稿日:04/08/02 00:16 ID:iOTJw2MX
流れぶった切りでスマン。

嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。
「子供は授かりものだから、無理しないでのんびり構えとこう」
とか言ってたけど、正直諦め気味だった。
まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。
そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。
嫁さんも泣いてた。
実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してたウチの親まで泣き出した。
「良かったなぁ、良かったなぁ。神様はちゃんとおるんやなぁ」って。
嫁さんの親御さんは「ありがとう、ありがとう」って泣いてた。皆で泣きまくり。
嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、産まれるまで色々大変だろうけど、俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。
誰よりも強いお父さんになってやる。
でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。
【17】

カッコ悪く泣かせてくれ 1  評価

(%) (2010年02月17日 22時27分)

カッコ悪く泣かせてくれ



436 大人の名無しさん 04/07/14 00:37 ID:uvmO8+AS

付き合って3年の彼女に唐突に振られた。
「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」

就職して2年、そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、目の前が真っ暗になった。俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気もしたことないし、そりゃ 俺は格別イイ男って訳じゃなかったけど、彼女の事は本当に大事にしてたつもりだった。なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。

どーにもこーにも収まりつかなくて、電話するも着信拒否、家行ってもいつも留守、バイト先も辞めてた。徹底的に避けられた。
もーショックですげー荒れた。仕事に打ち込みまくった。

それから半年、お陰で同期の中でダントツの出世頭になってた。
彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日、携帯に知らない番号から電話がかかってきた。

最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、何回もかかってくる。仕方ないから出た。別れた彼女の妹を名乗る女からだった。その女が俺に言った。
「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」

・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。
ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、手術をしても助かる確立は五分五分だという。入院したのは俺と別れた直後だった。


437 大人の名無しさん 04/07/14 00:37 ID:uvmO8+AS

俺は、病院へ駆けつけた。
無菌室にいる彼女をガラス越しに見た瞬間、俺は周りの目を忘れて怒鳴った。
「お前、何勝手な真似してんだよっ!俺はそんなに頼りないかよっ!!」

彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。どうして俺がここに居るのかわからない、という顔だった。
その姿は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうだった。
でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、険しい顔でそっぽを向いた。

俺は、その場に泣き崩れた。堪らなかった、この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が。愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

その日から手術までの2週間、俺は毎日病院に通った。
けれど、彼女は変わらず頑なに俺を拒絶し続けた。
そして手術の日。俺は会社を休んで病院に居た。
俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の中だった。

手術は無事成功。けれど、安心は出来なかった。
抗生物質を飲み、経過を慎重に見なくてはならないと医者が言った。
俺は手術後も毎日病院に通った。
彼女は、ゆっくりではあるけれど、回復していった。
そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようとしなかった。

ようやく退院出来る日が来た。
定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、薬は飲まなくてはならないけれど、日常生活を送れるまでに彼女は回復した。
俺は当然、彼女に会いに行った。お祝いの花束と贈り物を持って。


438 大人の名無しさん04/07/14 00:38 ID:uvmO8+AS
「退院、おめでとう」
そう言って、花束を手渡した。彼女は無言で受け取ってくれた。
俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。
俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。
「これももらって欲しいんだけど。俺、本気だから」
そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、うつむいた。
「馬鹿じゃないの」
彼女の肩が震えていた。
「うん、俺馬鹿だよ。お前がどんな思いしてたかなんて全然知らなかった。本当にごめん」
「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」
「知ってる。色々これでも勉強したから。で、どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」
彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。
「ありがとう」
俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。
【16】

カーチャンの話  評価

(%) (2010年02月17日 11時51分)

258 名無しさん 05/02/19 11:04:25 ID:OlJTzvEB

 J( 'ー`)し  漏れのカーチャンは中卒だった。
 貧乏だったから小学校も、中学校もほとんど行かずに
 家業の手伝いをしていたようだ。

259 名無しさん 05/02/19 11:05:53 ID:OlJTzvEB
 そして食いぶち減らしのために若くして結婚。

   .(*'∀`) J(ー`, )し 
   | <∞>  @@*@@
   |U..V |⊃⊂  ⊃  
  .@| : | /∞  ∞\  
   ..U..U 〜〜〜〜〜〜

 それでも いつも「父さんで良かったよ」って言ってた。

260 名無しさん 05/02/19 11:07:06 ID:OlJTzvEB
 自分に学が無いからって、
 必死で働いて俺を学校にいかせてくれた。

      {  }           {  }  イツモ オソクマデ
イエ…  J( 'ー`)し     (‐` ) タイヘンダネ
       (ヽ=      (  )
      ( (  | |      ││

  自分のことには何にもお金を使わない人だった。

261 名無しさん 05/02/19 11:08:36 ID:OlJTzvEB
 漏れも就職して、もう中堅社員だってのに
 出張の度「何かあると困るから」って
 封筒に金を入れて無理やり漏れに渡してくれてた。
          _____
         / ヽ____//
         /   /   /
        /   / 毒 /
        /   / 男 /
       /   / え /
       /   /   /
        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 封筒には「毒男え」って書いてあった。
 いつも漏れが
 ('A`)   「え」じゃない「へ」だろって言っても
J( '-`)し  お母さん学がないから…ごめんね…
 って言ってた。

262 名無しさん 05/02/19 11:10:14 ID:OlJTzvEB
 そんなお袋が癌になった。
 .J(;´-`)し ウーンウーン…
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 |        |
 もうどうにもならなかった。
 カーチャンには隠してたけど気づいていたようだ。
 最後まで漏れは親孝行できなかった。
 付き添ってやるくらいしか…

263 名無しさん 05/02/19 11:11:19 ID:OlJTzvEB
 なのにカーチャン、最後に
 「お母さんの子に生まれてくれてありがとうね」って言ったんだ。
   |     ___  | < オカアサンノコニウマレテクレテ
   |   .J(;´-`)し   |    アリガトウネ…  
   | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |Σ('A`) !? 
   | |         .|| ( )ゞ
   | |         .|| ||
   | |         .||

母さん。

僕のほうこそありがとう。



ここにきてるヤシは 

元気なうちにかーちゃんに孝行してやってくれ。

頼むから…。
【15】

カーチャンの誕生日  評価

(%) (2010年02月16日 17時35分)

877 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/23(金) 18:11:00

今日はカーチャンの誕生日。
事前に打ち合わせしてネーチャンはケーキ、
オレは花を買うことにしてた。

花屋に行って、
「母の誕生日に予算3千〜4千円でお願いします」って
旨を伝えて暫くすると、花なんか興味ないオレにも伝わるほど、
本当に綺麗な花束が出来上がっていく。

そんなオレの視線に気付いたのか、店長さん
「3千円で造ってます」とにっこり。

ウソだろ?
その花さっきそこで値札見たら1本400円だったぞ? 
それなんかは500円だ?

すかさず店長
「親孝行ということでサービスしときました」+眩しい笑顔。
「それと…ハイ、メッセージカードとペン。お母さん喜びますよ」
有無を言わさず渡されてしまった。

へったくそな字で書いたさ「タンジョウビオメデトウ」ってな
今夜カーチャン喜んでくれるといいな・・・

んで持って帰って気付いたんだけど、
オレ「誕正日おめでとう」って書いちゃってる・・・
スゴイよ!ジョンイルだよ!将軍様生まれちゃったよ!

花束だけ渡します・・・
【14】

かあちゃんと弁当 2  評価

(%) (2010年02月15日 17時05分)


昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…

病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。

担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には
震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

68 名前:4/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:15:26.19 ID:jEftDiJ40
葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…

かーちゃん…

俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさいと ありがとう を全部語った。
【13】

かあちゃんと弁当 1  評価

(%) (2010年02月15日 17時04分)

548 :水先案名無い人:2006/06/23(金) 18:39:57 ID:8qJ8h9f00
俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。

検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教出身。
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ってた。
実際に受験となると、ハードルは高かったけど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々と話をさせた。
学校 進路 夢
何であのとき気がつかなかったんだろう…

涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた。
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに

65 名前:2/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:14:44.51 ID:jEftDiJ40
それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい

一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい

俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く
俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「受けてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した

67 名前:3/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:15:04.10 ID:jEftDiJ40
そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」

俺はかーちゃんの手をもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。
走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
【12】

たったひとつのおにぎり  評価

(%) (2010年02月13日 23時43分)

私はこどもが大好きで、小さい頃から保育士になるのが夢で、今短大に通っています。
ある日私はいつものように自転車で短大に向かっていると、公園の前に女の子(3歳くらい)が一つのおにぎりを両手にもってしゃがんでいるのが見えました。
その時は深く考えずにそのまま短大に行きました。
次の日短大に向かっていると、昨日とまったく同じ光景を目にしたのです。
なんかいてもたってもいられず
私「どうしたの?ママやパパは一緒じゃないの?」と声をかけました。すると
女の子「ママとパパは、家に帰ってこないの。だから探しにきたの。テーブルにおにぎりがおいてあったの。1人でずっと、ずっと歩いてきてどこかわからなくなっちゃったの。」
私はこんな小さな子を1人にした親が信じられなかった
私「ずっとここにいたの?」
女の子「うん。」
私「お腹すいてないの?」と私がきくと女の子は大泣きして私にすがりついてきた。私は心が痛かった
私「どうしておにぎり食べなかったの?」
女の子「…これを食べたらママやパパの顔を忘れちゃう。そんなのいやだ。これがあったらママとパパに逢える。だからこれは食べ物じゃない」
女の子はたった一つのおにぎりを両手で大事に大事に包んでいた
私は自然と涙がでてきた。。
一度私の家に連れて帰って、お腹いっぱいごはんたべさせて。一緒にお風呂に入った。
私の母はビックリしていたが事情を説明すると何日か泊めていいとゆった。
私は短大を休んで女の子のママとパパを探した。
でももしかしたら女の子の捜索願いがでてるかもしれないから警察にいった。
…捜索願いはでていた
でも…女の子の親は、女の子を家に置いていった日に自殺をしていた…
それで親戚の人が女の子の捜索願いをだしていたのだ
私は泣くことしかできなかった。涙がとまらなかった。
私は女の子に事実を話すコトができなかった。
女の子は私に
「お姉ちゃんありがとう。本当に本当にありがとう。こんどママとパパをつれてくるね。まっててね」
といって親戚の人に連れられていった…
それからもう出会うことはなかった…
今ごろなにをしているのか…
ちゃんと幸せなのか…
逢いたい…
【11】

おにぎり  評価

(%) (2010年02月13日 22時55分)

494 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/28(日) 21:36:44 ID:wb/GHMhd

以前、母が受け持っていた幼稚園児に
「大きくなったら何になりたい?」と尋ねた所

「おはなやさん!」
「サッカーせんしゅ!」
「○○レンジャー!」(まぁ、これは幼児にありがちな答え)

次々に回答していく中、ある一人の女の子が

「おにぎり!」

と言ったそうな

母が理由を聞くと、

「おかあさんが大好きだから、わたしがおにぎりになってあげるの〜」

…だって。かわゆす(*´д`)
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