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【60】

犬の話  評価

(%) (2010年03月07日 18時00分)

11年間飼ってた愛犬がなくなった。

死ぬ前の半年間、自分はろくに家に帰ってなくて、 世話もほとんどしなかった。その間にどんどん衰えてたのに、 あまり見ることも触ることもなく、その日を迎えてしまった。

前日の夜に、もう私とはほとんど会話がなくなっていた母が、兄と一緒に私の部屋にきて 「もう、動かなくなって、息だけしてるの。目も、開いたままとじれない。 最後だから、お別れしてきなさい。」と泣きながら言ってきた。

そこまでだったなんて知らなくて、びっくりして下に下りていったら、コタツに横たわってた。ほんとに息だけしかしてなくて、だんだん息も弱くなってるのがわかった。

怒りっぽい犬で、触るだけで唸るのに、その日は、なにも反応がなかった。母と兄と、3人で、泣きながら朝まで見守った。

結局次の日、単身赴任の父が帰ってきてすぐ息を引き取った。父のことが大好きだったから、きっと待ってたんだと思う。家族全員そろうのを待ってたんだなって思う。

死ぬ間際に飲んだ水はすごく美味しかったよね。幸せだったよね。なによりも、本当にろくに家に帰らず遊んでばかりいて、あなたの世話をしていなかったことを悔やんでる。

父も母も兄も泣きじゃくる中、あたしは後悔ばかりが心に残って、 あまり泣くことも出来なかった。おまえが死んでから、おかあさんとも会話するようになったよ。

今まで、おかあさんの話し相手はおまえだったもんね。おまえのおかげで自分がどんなに親を悲しませてたかわかった。犬にまであたしのこと相談するくらい、おかあさん悩んでたんだね。おまえが死んでふさぎがちだった母も最近元気になったよ。安心して眠ってね。

昨日、死んでから初めてあなたの夢を見ました。

朝起きて、泣きました。
本当にありがとう。ばいばい。
【59】

兄貴 3  評価

(%) (2010年03月06日 21時03分)

兄貴から手紙が来なくなったのは、兄貴が入院したからだった。
入院なんてかくとお前心配するから、大学受験控えてるから
昇進して忙しいってウソついた。ごめんな。
医者が言うにはもう助からない見込みが高いって。
お前の卒業式とか入学式とか見に行けないかな。ごめんな
そういえばお前の引退試合も仕事で見に行けなったな。ごめんな

お前さびしがりやだから俺がいなくなって大丈夫かな?
でももうずっと俺がそばにいなくても大丈夫だったから大丈夫か?

何か文章おかしいな。いざこんな事書こうとしたら中々かけないもんだね。
もっといっぱい書きたいことがあるはずなのにな。なんでかな、言葉が出てこないよ。

いまさらだけどこの手紙をお前が見てるときは、俺はもういないんだよな。
お前の成長をまだまだ見たいし、お前が本気でほれる女の子も見てみたい。

なんて自分の子供に言う言葉みたいだな。

それなんだ。お前に言いたいのは。

母さんがいなくなってから俺がお前の親父代わりで母親代わりだったつもりだ。
それでもやっぱり寂しい思いをさせたよな?
最初の頃は料理も下手くそだったよな?

全然駄目な兄貴でごめんな

頼りになんない親父だったな、ごめんな

お前の悩みひとつ聞いてやれない母親だった。ごめんな

身内自慢になっちゃうけど、こんな俺の弟なのにお前は最高にいい男だよ

お前の兄貴だったこと、親父だったこと、母親だったこと

全部がおれの自慢だよ。これから先もっといい男になって、立派な父親になってくれ

あ〜何書いてんだろう俺、馬鹿みたいだな
これ以上書くと情けないこと書いちゃいそうだから
そろそろ終わりにするよ

じゃあ元気でな。



いつもの手紙とちがって、子供が書いた手紙みたいな
兄貴の遺書がとても暖かった。残り2つの封筒は兄貴の日記と、
兄貴が恋人に宛てた手紙だった。

手紙を読んで分かったんだけどこの女の人は兄貴が高2の時から付き合ってる人だった。
その日記や手紙には俺のことがたくさん書いてあった。

俺のことで悩んでる兄貴がそこにいた
俺のことをとても考えてくれてる兄貴がいた
俺の前では決して見せなかった弱い兄貴がいた

兄貴の苦労が始めて分かった
兄貴が抱えていたつらさが初めて分かった
もう兄貴に会えないと思った

悲しくてたまらなかった。

いままで長々書いてきたけど結局おれは兄貴にありがとうが言いたい

6年間で兄貴にありがとうなんて言った覚えがないんだ。恥ずかしい話だけど
ほんとだめだな俺。

なあ兄貴
こんな俺が自慢の弟だなんて言ってくれてありがとう
俺を6年間守ってくれてありがとう

それから兄貴を6年間支えてくれたナナさん
どれだけ感謝してもたりないけど本当にありがとう
【58】

兄貴 2  評価

(%) (2010年03月06日 21時03分)

そんな俺たちの生活を見かねた親戚が離婚していた親父を連れてきた。
今からでも一緒に暮らそう。そういった親父に兄貴はこういった。
俺たちを1度捨てた人間には頼らない。でも弟には苦労をさせたくない。
弟だけでよいから一緒に暮らしてやってくれ。

兄貴は泣いていた。後で聞いた話だが自分ひとりで俺の面倒や大学進学費用を支えられないのが
悔しくてたまらなかったらしい。そんな兄貴の気持ちが嬉しかった
でもこれ以上兄貴に迷惑をかけたくなかったおれは、親父と一緒に暮らし始めた。

それでも兄貴とは手紙で連絡をとってた。1月に2、3通ぐらいきてたっけ
次第に兄貴からの手紙が少なくなり、最後には来なくなった。

最近昇進して忙しいって手紙に書いてあったのと
大学受験2ヶ月まえだったことからそんなに気に止めてなかった

晴れて大学に合格して兄貴に報告の手紙を出したら、3週間後知らない女の人がたずねて来た
兄の恋人だったと言った。その人はこういった。

「あきおさんね、もう君には会えないんだ。あえないだけじゃなくて、手紙もかけない
ううん、君だけじゃなくて私ももう会えないんだ」

そういって3つの封筒をだした。1つは兄貴の遺書だった。
【57】

兄貴 1  評価

(%) (2010年03月06日 21時01分)

中学の入学式が終わって2日後、突然母親が蒸発したんだ。

理由は分からない。女手1つで俺と兄貴を育ててたから生活は楽ではなかったんだ
それは分かるが、それでも俺は楽しかったし、母も兄貴も楽しくやってると思ってた

でも本当に突然、母がいなくなった
最初は2、3日帰ってこないだけだど思ってた。兄貴が何も言わずに普通にしていたから・

1週間2週間たっても母は帰ってこなかった。その間俺の食事や家のことは、
当たり前のように兄貴がやっていた。
何もいわないで、ずっと以前からそれが日常だったみたいに。

当時高2だった兄貴には付き合い始めたばっかりの彼女がいたはずだった。
放課後一緒にいたかったはずなのに、スグに学校からかえってきて、

家の事をして俺の食事を作ってくれて、俺の弁当も毎日作ってくれてたっけ・・・
それから県内1の進学校に通っていたから、夜遅くまで勉強もしていたみたいだった。

そんな兄貴の苦労も知らずにいたおれは今までどーリ学校にいって、
放課後は好きなバスケに打ち込んで、本当に今までどーリだった。母親がいない寂しさを感じないくらいに
兄貴が俺にかまってくれたりしていた。

それでもある日俺は言ってしまった
「母さんどこ行ったの?もう帰ってこない?そんなんいやだ・・なんで帰ってこんの?」

一度泣き言言い出すともう止まらなかった。自分でも気づかなかったけどやっぱり
無理してたんだと思う。兄貴は俺が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。

その後、母親が蒸発したこと・理由は分からないこと・1度だけ母から電話があったこと
を教えてくれた。もう帰ってこないことも教えてくれた。おれは又泣いた。

すると兄貴はこういった
「寂しい思いはさせない。兄ちゃんがいるから大丈夫だ。御飯だっておいしいのを作ってやるさ」

本とはもっと違う言葉だったかもしれないけど興奮していた俺はよく覚えてない。
もちろんガキだったおれはその言葉で泣き止むことはなく、ずっと泣いていた。泣きつかれて眠るまで兄貴はずっとそばにいた。

それからの俺は荒れた。

別にタバコとか警察沙汰とかはなかったが学校で教師ともめたり同級生と喧嘩になって相手に怪我させたりもした
そんな時いつも兄貴が学校にきて謝っていた。同級生の親に謝りに行った事もあった
本当に迷惑かけたとおもう

そんな感じで1年が過ぎた。
当然の疑問だけど生活費はどうしているんだろうと思っていた。
聞いて見ると前からもらっていた生活保護金とバイト代を使っているって答えが返ってきた。
俺に内緒でバイトをしていたらしい。

どうも母が蒸発した翌月から始めていたらしい。

何のバイトなのかはどうしても教えてくれなかった。
でも生活保護金とバイト代だけで生活を支えてたんだから
ホントに大変だったと思う。

おれは高校に進学した。兄貴が勉強教えてくれたから特待生で入学して
費用は一切かからなかった。

兄貴は進学せずに就職して生活を支えてくれていた
俺はバイトして少しでも兄貴を助けたいと思った。
でも兄貴がそんな時間があるならバスケと勉強してろって言ってくれた。
俺はそれに甘えた。今思い返してみれば俺はどれだけ駄目な弟だったんだって思う・・・
【56】

天使と靴屋  評価

(%) (2010年03月05日 20時58分)

- 第 19 話 -  『何もない、なんて言わせない』 中井俊已さんより
 
いつもよく働く靴屋のもとへ、あるとき、天使が現われました。
浮浪者の姿になって・・・。

靴屋は浮浪者の姿を見ると、うんざりしたように言いました。

 「おまえが何をしにきたかわかるさ。
  しかしね、私は朝から晩まで働いているのに、
  家族を養っていく金にも困っている身分だ。
  ワシは何も持ってないよ。
  ワシの持っているものは二束三文のガラクタばかりだ」

そして、嘆くように、こうつぶやくのでした。

 「みんなそうだ、こんなワシに何かをくれ、くれと言う。
  そして、いままで、ワシに何かをくれた人など、いやしない・・」

浮浪者は、その言葉を聞くと答えました。

 「じゃあ、わたしがあなたに何かをあげましょう。
  お金にこまっているのならお金をあげましょうか。
  いくらほしいのですか。言ってください」

靴屋は、面白いジュークだと思い、笑って答えました。

 「ああ、そうだね。じゃ、100万円くれるかい」

 「そうですか、では、100万円差し上げましょう。
  ただし、条件が1つあります。
  100万円の代わりにあなたの足をわたしにください」

 「何!? 冗談じゃない!
  この足がなければ、立つことも歩くこともできやしないんだ。
  やなこった、たった100万円で足を売れるもんか」

 「わかりました。では、1000万円あげます。
  ただし、条件が1つあります
  1000万円の代わりに、あなたの腕をわたしにください」

 「1000万円・・・!?
  この右腕がなければ、仕事もできなくなるし、
  可愛い子どもたちの頭もなでてやれなくなる。
  つまらんことを言うな。1000万円で、この腕売れるか!」

 「そうですか、じゃあ、1億円あげましょう。
  その代わり、あなたの目をください」

 「1億円・・・!?
  この目がなければ、この世界の素晴らしい景色も、
  女房や子どもたちの顔も見ることができなくなる。
  駄目だ、駄目だ、1億円でこの目が売れるか!」


すると、浮浪者は言いました。

 「そうですか。あなたはさっき、何も持っていないと言ってましたけれど、
  本当は、お金には代えられない価値あるものを
  いくつも持っているんですね。
  しかも、それらは全部もらったものでしょう・・・」


靴屋は何も答えることができず、しばらく目を閉じ、考えこみました。
そして、深くうなずくと、心にあたたかな風が吹いたように感じました。

浮浪者の姿は、どこにもありませんでした。
【55】

俺の誕生日  評価

(%) (2010年03月04日 12時56分)

361 名前: Mr.名無しさん 投稿日: 02/07/22 06:13
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。 父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。 母にとっては最後だったのに、、、。
【54】

運命の再会 2  評価

(%) (2010年03月03日 14時45分)

そんな状態でしたが、母親が唯一彼と接触した日があったそうです。急性骨髄性白血病にかかったとき、親族で誰一人として型が一致する者がおらず、苦肉の策で母親を呼び出し検査したところ、見事に一致することがわかったのです。

もちろん母親は何の見返りも求めませんでしたが、ただ1つ、夢にまで見た息子とどうしても話がしたいと申し出たところ、手術のあと眠っている間に顔を見るのはいいと言われ、もちろん彼は覚えてはいませんが、実際20分ほどだけ同じ病室にいたそうです。

彼も大好きだった遠い記憶にある優しい母が、夢にまで見た母親が目の前にいて彼女は重態だということ、親族一同が母親にした仕打ち、ものすごい感情と闘いながら必死で治療を続けました。

しかし2日間の集中治療の甲斐も虚しく、今日か明日かという状態になり、病院長から「是非お母さんと一緒にいてあげてください」と言われ、彼はずっとお母 さんの傍に座り、一晩中手を握っていたそうです。そして翌朝、お母さんは息を引き取ったそうです。事情を知っている同僚や看護婦もみんな涙したそうです。

後日、お母さんのアパートを友人の婚約者と訪ねたところ、たった一人で暮らしており、とても質素な暮らしぶりだったそうです。

部屋には彼の幼い頃の写真がたくさん飾られていて、彼が手にすることのなかった、親族が送り返した大量の手紙、クリスマスプレゼント、誕生日プレゼントな どが押入れに残っており、通帳の表表紙には彼の名前がサインペンで書いてあって、預金額はその質素な暮らしぶりからは考えられないほどの金額でした。

最後に預金した日がお母さんが交通事故に遭った1日前の日付けで、彼と婚約者はその場にうずくまって泣きつづけたそうです。

本当に残念なのが、彼の父親が手紙を送っており、彼が結婚を予定していること、祖母も亡くなり、今さらだが息子のために結婚式参加してもらえないかという内容の手紙を送っていたにもかかわらず、母親は受け取らないままに亡くなってしまったことでした。

約30年近く夢にまで見たかけがえのない息子を抱きしめることができただろうに・・・・

長くなってすみません。
みなさん、お母さんを大切にしてあげてください。一度でいいから「ありがとう」と声をかけてあげてください。
【53】

運命の再会 1  評価

(%) (2010年03月03日 14時44分)

運命の再会



158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/30(火) 19:50:44
私の友人の婚約者の話です。

彼は幼い頃に母親を亡くし、父親と祖母と暮らしていました。
彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、本人すら死を覚悟していましたが、骨髄移植のドナーが運良く見つかり、 死のふちから生還しました。

そのときに1人でも多くの人を助けることができたらと医者になることを決意し、猛勉強の末に某国立医科大学を卒業、インターンを経て無事彼が骨髄移植を受けた病院に就職することができました。

その病院で私の友人、彼女もまた医師をしていますが、彼女と出会い、晴れて婚約をしました。彼の祖母が先日亡くなったので、しばらく沈んでいたようですが、日々忙しく働く中で、徐々に持ち直していたようです。


そんなある日、1人の救急患者が運ばれて来ました。
50代後半くらいの女性で交通事故に遭い意識不明の重態だったので、至急家族に連絡が必要だったのですが、身分証明を所持しておりませんでした。

首にかかっていたペンダントが俗に言う、「ロケット」タイプだったらしく、手がかりになればと開けてみたところ、なんと幼い頃の彼の写真が。彼はすぐに父親と連絡を取り、その旨を話すと父親もすぐ病院に駆けつけました。

父親から聞いた事情はこうでした。
もともと彼の祖母をはじめとする親族が父と母の結婚に大反対していたらしく、それを押し切って結婚したものの、彼の母親はものすごい嫌がらせを受け、心身ともに参ってしまったそうです。

母親は不眠症に陥り、睡眠薬が欠かせない状態で自律神経失調症になってしまいました。医師からは環境を変えなければ治りようが無いと言われ、少しの療養のつもりが、結局父親の親族から追い出された形になってしまったのです。

何度も息子に会いに家を訪れる母親を、祖母が知り合いの医者を使って精神異常との診断書を書かせ、それを裁判所に持ち込み、息子との接触を許されない状況にされてしまいました。
【52】

RE:泣け  評価

ブラボー (2010年03月03日 00時58分)

去年のクリスマスにあるところに貼ろうとしてたフラッシュ!
すっかり忘れてましたww


野球、ごめんねhttp://www.9033700kg.com/ka_chan2nd.html

神様への手紙
http://www.youtube.com/watch?v=3Vwl_0uWRLo

母さんが・・・
http://www.chironoworks.com/yuell/html/4-1.html

「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?
http://www.youtube.com/watch?v=53O4jGhHKr8&feature=related

おにいちゃんありがとう
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=5318
【51】

RE:泣け  評価

伝心月叟 (2010年03月02日 22時11分)

うっ。。。





………ヽ(´▽`)/へへっ ……… (ノ_・。) だじょ。
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