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【70】

彼女の遺言  評価

(%) (2010年03月27日 12時25分)

568 名無しさんの初恋 2005/08/28(日) 07:27:20 ID:kjzzLB0c

   長くなるけどネタの様なホントの話。
   大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
   仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。

   私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
   大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、
   本当に仲良しだなァって思ってたわけです。最後に3人で会った時、
   「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。

   その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、
   彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。

   病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
   結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
   私たちが25歳の夏でした。

796 名無しさんの初恋 2005/08/28(日) 07:27:59 ID:kjzzLB0c

   お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている
   彼に、 「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。
   すると彼は、

   「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
   と、ニッコリと笑顔で言いました。私は耐えられなくて号泣。

   それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。
   出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、
   彼は耐え切れなくなって、崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。

   子どもの様に、大きな声をあげて。
   その姿を見て、またしても私は号泣でした。

797 名無しさんの初恋 2005/08/28(日) 07:28:30 ID:kjzzLB0c
   
   数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。見て欲しい物があるって。
   それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。彼が、
   「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。
   そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。
   俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。
   でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。
   アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」

   と言って、私に手紙を渡してくれました。
   中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。

798 名無しさんの初恋 2005/08/28(日) 07:29:57 ID:kjzzLB0c
   
   「うそつき。でも凄く嬉しかった。本当にそうなったらなって何度も思いました。
   私にはあなたの代わりはもう見つからない。だから私はずっとあなたの物。
   だけどあなたの代わりはいるんだよ。気にしないで良いからね。
   落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。
   その人にこの手紙を見せてあげて下さい。本当にありがとうございました。じゃあね!」
   って。

   私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。
   彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。


   うん。私は前から彼が好きだった。

   あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。
   今度結婚します。
【69】

彼女のお守り 2  評価

(%) (2010年03月24日 21時28分)


652 :649 :04/05/16 18:23 ID:aQPXgC2a

ある日、海外出張からの帰り、成田で携帯の電源を入れた
とたんに同僚から電話があった。彼女が亡くなったと言わ
れたとき。全身の力が抜けた。みみの奥がキーンと鳴った
のを覚えている。交通事故だった。事故直後は、意識もあり、
たいしたことはないと思われたらしいが、内臓からの出血が
あり、急変したとのことだった。

現実のこととは思えずに、なぜかあまり、涙もでてこなかった。
職場の何人かで、葬儀の手伝いをした。そのとき初めて知っ
のだが、母子家庭だった。お姉さんもいるが、施設に入って
いるとこのことだった。彼女が大黒柱として家族を支えていた
のだ。彼女を軽率にからかったりしたこと恥じた。とても申し
訳なくて気が狂いそうだった。

葬儀の後、帰ろうとしていると、彼女のお母さんに呼び止めら
れた。渡したいものがあるから彼女の実家にあとで一緒に来
てほしいと言われた。貸していた本のことかな?と思いつつ
彼女の母親と実家に向かった。

母親は、道すがら、彼女は大好きだった父親が出て行ってから
男の人が嫌いになったこと、誰にも頼らないで自分の力で生き
ていこうと誓ったこと、土日はあまり健康でない母親と、施設の
姉の世話をしていたことを話してくれた。自分の子供とは思えな
いほどがんばりやだったと。

653 :649 :04/05/16 18:24 ID:aQPXgC2a
家に着くと、彼女の部屋に案内された。きれいに片付いていた、
というより女性の部屋とは思えないくらい何も無かった。ただ、
専門書とノートがたくさんあった。母親は、彼女がいつもおいら
の話を楽しそうにしていたこと、おいらのことが大好きだったけど、
おいらの子供たちを自分のように悲しませることになるといけな
いと思い黙っていたこと、彼女が意識を失う直前に、おいらに会
いたいと言っていたことを話してくれた。机のすみにおいらと写っ
たプリクラが貼ってあった。声を出して泣いたのは、大人になっ
てから初めてだった。

帰るとき、彼女が亡くなったとき身につけていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見にもらった。そばにおいて
やって下さい。と言われた。ネックレスは母親が就職記念にあ
げたものだった。ただ、お守りのほうはどう手に入れたか分か
らないということで受け取るのはちょっと気が引けた。
でも、彼女がとても大切そうににしていたのを知っていたので、
受け取ることにした。お守りの中を開けてみようとも思ったが、
やめた。

それからすぐ転職をした。一年後、ようやく少し落ち着いた。
形見のお守りは、いつも彼女がしていたようにかばんにつけて
持ち歩いていた。先日、職場の女の子が、
「これ前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」
といい、かばんのお守りを開けてしまった。とめる間もなかった。
というより、そういったときはもう中身を取り出していた。彼女は、
突然、なにこれー?といって大笑いを始めた。

お守りの中には、チョコエッグのカメが入っていた。

おいらは、もう、職場にいることも忘れ、ただただ泣き続けた。
【68】

彼女のお守り  評価

(%) (2010年03月24日 21時28分)


初めて彼女にあったのは、内定式のとき。同期だった。
聡明を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文かなん
かが賞を取ったこともあるらしく、期待の新人ということだった。

ただ、ちょっときつめ&変わった人で、やることすべてパーフェ
クトだし、自分のことはなんにも話さないので、宇宙人ではない
かとの噂もあった。

まあ美人と言えば美人なんだけど、洋服とかおしゃれに気を使
わないようだったし、クソまじめだし、お高くとまってるというより
男嫌いみたいだった。近寄る男はいなかった。
おいらも、なんかちょっと嫌いだった。

彼女とは、偶然同じ部署に配属になった。
それまで出会ったどんな女の人とも違うので、からかって反応
を楽しむようになった。はじめは、すごく嫌がっていた彼女だっ
たが、半年も経つと馴れてきたのか、そのころおいらが結婚し
たんで安心したのか、少しづつ相手をしてくれるようになった。

650 :649 :04/05/16 18:22 ID:aQPXgC2a

その後、ちょっとだけ仲良しになって、愚痴を言い合ったりする
ようにはなったが、相変わらず自分のことは、何にも話さない。
休日何をしているかとか、家族のことはもちろん、本人のことも、
例えば誕生日なんかも、何年間か知らなかった。

ある日、ある試験の申し込み書類の書き方を聞いたら、自分
の書類をもって来て見せてくれた。そこに、生年月日が書いて
あった。なんと、その日が誕生日だった。

今日はデートかなぁ?などといいつつ、とりあえず、昼休みに
食べたチョコエッグに入ってたカメを誕生日プレゼントと言って
渡した。爬虫類大好きと言って子供みたいに喜んでいたのが
印象的だった。変わってるなぁと思った。

確かに変わった人で、いまどき携帯は大嫌いとかで、持ってな
かった。写真を撮られれるのも大嫌いだった。カメラ付き携帯で
飲み会のとき撮影したら、すごく怒って、しばらく口をきいてくれ
なかったこともあった。無理やり一緒にプリクラ撮ったときは、
悪用されるといやだからと言って、シートごと全部持っていって
しまった。

651 :649 :04/05/16 18:23 ID:aQPXgC2a

彼女は、がんばりやだった。もともと才能もあったし、がんばる
もんだから、どんどん出世していった。それにほとんど遊ぶこ
ともなく、仕事がおわるとまっすぐ家に帰っていた。そんなに、
お金ためてどうすんのー?お父さんの借金でも返ししてんの?
などとからかった。

そのころには、彼女のことがとても好きになってしまっていた。
でも、おいらはもう子持ちなので、表に出さないようにぐっとこら
えていた。ただ、彼女の周りをうろちょろして、愚痴の聞き役や、
遅くなったときのタクシー代わりをしていた。でも、プライベート
な関係は一切無かったし、変な噂にならないように気を配った。
同僚は、おいらは彼女の「ぽち」に見えると言っていた。自分も
彼女の「ぽち」という立場が気に入っていた。

そんな関係がしばらく続いた。彼女は、相変わらず独身だった。
彼氏や恋人がいるかどうかは全然分からなかった。ただ、彼女
は、お守りみたいな、小さな袋をいつもバックにつけていた。何か
聞いても、秘密のお守りとしか教えてくれなかった。彼女が仕事
のトラブルで落ち込んでいたとき、彼女のデスクでそのお守りを
ギュッとにぎっていたのを見たことがあった。だから、勝手に遠く
にいる彼氏からもらったのかな?などと思っていた。
【67】

脳内フィアンセ  評価

(%) (2010年03月20日 20時33分)

26 :大人の名無しさん :03/10/20 00:43 ID:wjqygkao
もう10年も前の話。
俺が京都の大学生だった頃、男2女2の4人組でいつも一緒に遊んでた。
そんな俺たちが4回生になり、全員めでたく就職も決まった。
「もうこうやってみんなで遊べるのも残りわずかだなー」とか4回生時の後期は話してたなあ。

そして卒業が近づいてきた二月ごろ、急に4人の内の2人が「結婚する」って言い出した。
俺を含む残り2人は、びっくりしつつも心から祝福したよ。それにすげえ羨ましかった。
残された2人で「何か羨ましすぎるから、俺たちも結婚しようか?」なんて言ってたら、
「じゃあお互い30歳になってもまだ独身だったら結婚しよう」
って話になった。
ありがちな話で恥ずかしいんだけどね。

そんなこんなで俺たちが25歳になった頃。
しばらく振りに仮フィアンセ(wに会った。
「あと5年で結婚するハメになっちゃうよ。結婚の予定ないのかよ」
って聞いたら、「全くナシ 」だって。
お互い笑いつつも、俺はちょっとホッとしてた。
この日、あ、俺本気でこの娘に惚れてるのか!って気が付いた。
27 :大人の名無しさん :03/10/20 00:44 ID:wjqygkao
その一ヵ月後くらいかな。脳内フィアンセが交通事故に遭ったのは。
即死だった。もうだめ。半狂乱みたくなっちゃって。仕事も長期休暇になった。
なんにもする気にならなくて、完全ヒッキー化してしまった。
そんな俺を助けてくれたのは、例の夫婦だった。
他県に住んでるのに毎週俺の様子を見に来てくれて。
たまには仕事休んでまで来てくれて。
「うっとーしい!もう来ないでくれ!」なんて言ってしまっても懲りずに来てくれて。
無理矢理酒を一緒に飲みに連れ出してくれて。
俺がなんとか仕事に復帰した時なんか、号泣してくれちゃって。
考えたらあいつらだって俺と同じくらい悲しかったはずなのに。

今は毎晩思うよ。ありがとなって。本当にありがとなって。
おまえらに見捨てられてたら俺、狂いすぎて自殺してたかもしれない。
救ってくれてありがとな。

そんで、脳内フィアンセよ。
もうとっくに30歳は過ぎちゃったけど、俺結婚することになったよ。
だから約束は守れない。
まあ半分以上冗談みたいな約束だったけどな(w
まあ見ていてくれよ。あいつらに負けないくらい仲のいい夫婦になってやるからさ。
【66】

年上の君へ  評価

(%) (2010年03月19日 14時33分)

3年前、妻と長女が事故で他界しました。

先日、次女が7歳の誕生日を迎えました。
早く仕事を切り上げて帰宅し、
次女と2人で妻と長女に誕生日の報告をした時の事です。
次女が長女の遺影に向かって、
「ゆうちゃん(長女)は6歳だから、今日からは、さや(次女)が
お姉ちゃんだね。」
と言ったとき、涙を堪えきれませんでした。

ミチエへ
年上の君に、「もうすぐ三十路だね。」などとからかっていましたが、
僕の方が先に三十路になっちゃいました。
年下の夫で頼りなく思っていたかもしれませんが、
年上になった今、少しは頼もしく見えますか?
さやは君そっくりに、たくましくしっかり者に成長しています。
ゆうちゃんと2人で、安心して見守っててください。
【65】

特攻隊員の手紙  評価

(%) (2010年03月18日 21時07分)

お母さん、とうとう悲しい便りをださねばならないときがきました。

晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、
お母さんのことを思うと泣けて来ます。


母チャン、母チャンが 私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、
何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできずに
死んでゆくのがつらいです。

母チャンが私にこうせよと言われたことに反対して、
とうとうここまで来てしまいました。
私として希望通りで嬉しいと思いたいのですが、
母チャンのいわれるようにした方がよかったかなあと思います。

でも私は技倆抜群として選ばれたのですから喜んでください。
私ぐらいの飛行時間で第一線に出るなんてほんとうは出来ないのです。

ともすれば、母チャンの傍にかえりたいという考えにさそわれるのですけれ
ど、これはいけない事なのです。

洗礼を受けた時、アメリカの弾にあたって死ぬより前に
汝を救うものの御手によりて殺すのだと言われましたが、
これを私は思い出しております。
すべてが神様の御手にあるのです。
神様の下にある私たちにはこの世の生死は問題になりませんね。


私はこの頃毎日聖書をよんでいます
お母さんの近くにいる気持ちがするからです。

私は聖書と賛美歌と飛行機につんでつっこみます
お母さんに祈ってつっこみます。 

出撃前日
【64】

人間を信じない犬  評価

(%) (2010年03月15日 13時27分)

季節は冬。ある川に捨てられ野良犬と化した2匹の犬がいた。
母親と子犬、2匹は寒さに耐えながら、仲良くよりそって生きていた。

しかし、人なつっこい2匹の野良犬は残酷な人間のターゲットにされてしまう。子犬でサッカーを始める人間達。悲痛な声をあげる子犬。自分の身を犠牲にし、必死に子供を守ろうと庇う母犬。どんなに蹴られようと母犬は子犬を守り続けた。
血塗れで倒れる母犬、下半身はつぶれていた。心配そうに傷口を舐める子犬。
そんな2匹の犬を心配し、近づく人間がいた。しかし母犬は、使えない足を必死に動かし子犬をクワえ逃げようとする。二度と人間なんか信じない。

ほっとく人間もいたが、心配し毎日エサを与え続ける少女がいた。
子犬は喜んでエサを食べた。母犬は食べなかった。少女が近づくと時には子犬の前に立ち、威嚇した。2度と信じるもんか。
そんな日々を続けていた少女。ある朝いつものよーにエサを運ぶ。しかし、いつもと違う光景。母犬は寒さと栄養失調から倒れてしまっていた。子犬は悲しそうに少女を見つめていた。
ごめんね、ごめんね。少女は涙を流して謝った。母犬を抱き上げ暖めた。母犬は子犬の顔を舐めた。そして最後の力をふりしぼり泣いてる少女の頬も舐めた。この子をお願い‥と頼んでいるようだった。そして息をひきとった。
子犬は少女に引き取られた。しかし2日後亡くなってしまった

季節は春。少女の庭に二輪の花が咲いた。大きい花と小さな花。重なり合って咲き誇っていた。

一度傷つけられた動物は二度と人間を信じない。
しかし、子犬を守りたかった母犬は最後に少女を信じた。子犬も引き取られた2日間、少女になつき、幸せに過ごした。
少女が涙をこぼすと、泣かないで。ありがとう とでも言ってるかのように二輪の花は静かにゆれた。
【63】

譲り合い  評価

(%) (2010年03月15日 13時26分)

私は2歳の子を抱いて、ちらほら立っている人が居るくらいのバスに乗り込み、運転手さんの後ろ位に立った。
おばさんが「席どうぞ」と言ってくれたのだが、「すぐ降りますから(2駅)ありがとうございます」と断ると、
同時ぐらいに若いOLさんが席を立って「ココどうぞ」と言ってくれたので、譲ってもらった。
私が降りる時に、運転手さんが「席の譲り合いありがとうございました、大変運転し易うございました」と車内アナウンス。
なんだか恥ずかしいけど、ホンワカとしてしまった。
【62】

思い出に残る食事  評価

(%) (2010年03月12日 19時53分)

<思い出に残る食事> 

252 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/27(月) 06:54
私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。

当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
私達の世話は一切しませんでした。

そこで、私達はいつも近所に住むAさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。

「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て嬉しくなった私は、
その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを擦りつけて家に帰りました。

家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。

「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」と言って、
母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。

「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、
ごみ袋から母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味・・・
【61】

今上天皇  評価

(%) (2010年03月11日 22時50分)

昨年、天皇皇后両陛下が欧州各国を歴訪された際、
ポーランドだか、オーストリアか忘れたけど、
滞在したホテルのレストランのボーイが感動してた。
予定より5分程遅れて朝食のためにお出ましになった陛下が、
遅れたことを彼に一言お詫びされただけなんだけど、
そのボーイにしてみれば、5分なんて大した遅れではないし、
陛下が時間に遅れることなど別に気になさる必要もないのに、
こんな下っ端の自分にまで御気を使っていただいて涙が出るほど感動した。
これがきっかけで日本の皇室と日本のことを大好きになった。

みたいなことを言ってた。
いい話や・・・。
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