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【11】 | RE:都市伝説を語ろう いっちょう行くか (2007年11月25日 03時10分) |
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ここにカキコした人のうち、半数以上は番号で呼ばれている・・・らしいww ひょっとすると全員!?・・・ってこたぁないかwww |
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【13】 |
謎謎X (2007年11月26日 20時24分) |
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これは 【11】 に対する返信です。 | |||
本日は前ネタの続き、園川伝説:元ロッテ園川の輝かしき伝説。 園川といえば、野球選手というより落語家を思わせる風貌が印象的でいまとなってみればこういうおっさん系投手って 貴重種だったんだなと思わせてくれます。なんつってもイチローにシーズン200本めを献上したのはあまりにも有名な話。 その他の偉業、名言のすべてが実に素晴らしいので、ハートにメモリーすべし。 【園川年表】 1985 日米大学野球で大活躍、体育教師の道をあきらめる。 1986 ドラフト2位で巨人などからも指名を受けながら、ロッテという最もふさわしい道に導かれる。 1987 初めて規定投球回数に達する。13失点ながら、無理やり完投させられる。 1988 あの10.19の第2試合に先発、自分への歓声と思いながら投げる。ついでにこの年は生涯唯一の二桁勝利もマーク。 1989 規定投球回数に達しながらも、なんと防御率6.10!! 以後、両リーグとも防御率6点台は出ていない。 1990 西武戦で伊原三塁コーチの怪しい動きによりボークを取られる。その際、怒った金田監督が高木主審をボコボコにして 退場処分、これにより高木氏も怒って訴えたあと辞職。 1991 近鉄戦でトレーバーにボールを当て乱闘騒ぎを呼び起こす。この時、金田監督は転んでるトレーバーの頭に蹴りを一撃 加えたが、退場になったのはトレーバーただ一人だった。 1992 金田監督から八木沢監督へ、川崎から千葉マリンへ、オリオンズからマリーンズに変更になったため、園川も沈静化。 1993 野球人生で最高の投球回数をマーク。その代償に15敗して2度目のリーグ最多敗戦に輝く。 1994 伊良部に続くチーム2位の7勝!! をマーク。前田にかわって左のエースになる。 1995 伊良部、小宮山、ヒルマン、河本、成本らで強力投手陣が形成され、チームも2位へと躍進したため、いつもと変わらない 園川も好投手に祭り上げられる。 1996 その伊良部、小宮山、ヒルマンを押しのけ開幕投手の栄光に輝きながら、対戦相手の世界のビックワン監督に 「開幕投手の格ではない」といわれる。なお試合の方は、5回途中までリードを保ちながら降板させられる。 ちなみにチームは快勝! しかしその後、勝星なし。 1997 2年ぶりの勝利をマーク!! また100敗目も記録する。園様会の入会資格を得る。また100勝しないことを心から誓う。 1998 あの18連敗のなか、1つも敗戦投手にならないで終わる 1999 たいした変化を周囲のファンが感じない中、自ら 「力が衰えた」と語り引退発表。しかしその後、小関順二に「巨人なら10年前に首になっている」とまで言われる。 去就が国民の間で取り沙汰されたが、そのまま投手コーチに就任。 |
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