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■ 28件の投稿があります。
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RE:換金率今昔  評価

風来人1957 (2012年10月02日 20時32分)

そうですね、大阪=低換金率でしたね
デートラインがBIGフラグ成立→パトライト点灯の代名詞でした
熊本には4号機になっても敢えて一回交換というグループチェーン店がありました(7枚交換)現在はもちろん無制限です!
【7】

換金率今昔  評価

AI大好き (2012年10月02日 19時19分)

ちなみに関西では2号機になってもウインクル系や
バニーガール、リバティーベル等も長い間一回交換
でしたね。7.6枚交換の低換金率でしたから・・

唯一兵庫県は自由に決められていましたので
よく大阪から遠征しに行きました。
(等価仕様のデートラインやHi−UPが打ちたくて)
【6】

パチスロは、ゆとり世代w  評価

ソラキング (2012年10月02日 01時43分)

パチスロの醍醐味はボーナス中のリプレイ外し
外し捲ってパンクするかしないかのドキドキ感がたまらないかった時代
今のパチスロのボーナス中はカットインしたらボーナス絵柄揃えてART獲得なんて事するしかやることない
そして勝手にリプレイ揃うART機能
もうパチスロは、ゆとり世代です
【5】

RE:いまにして思えば  評価

風来人1957 (2012年10月02日 00時46分)

1号機の時はBIGフラグの成立には3パターンありました
一つはリールの滑り
二つ目は小役の集中です。実はこれは2段階のシステムでBIGフラグが成立したらまず小役の等倍返しを行います。そしてその枚数を払いきった時点で改めてフラグ成立プレイとなりBIGをそろえることができます。しかしすぐに撤去になりました
三つ目は前兆パターン目(いまでいうリーチ目)です。特定の図柄の並びや配置でボーナスが見極められました、中には複雑なパターン目を持った機種ではホール側が台の上部にBIG成立したらパトライトを回してくれて教えていました(パルサー、プラネット系は多すぎて使えなかった)
【4】

RE:いまにして思えば  評価

風来人1957 (2012年10月02日 00時39分)

アレンジボールや雀球懐かしいですね
アレンジボールは手打ちで8球打って残りの8球でラインおよびジャックポットの完成を狙ってました
雀球は最初に14球打ってそのまま上りが完成していれば天和でした。後は変更したいところのボタンを押して狙いか所めがけて打って完成したら店員が払い出しのキーを回していた記憶があります
【3】

RE:いまにして思えば  評価

AI大好き (2012年10月02日 00時31分)

パチスロの0号機はメダルは千円で100枚
でしたよね(メダルは紙巻きで販売してた)

アレンジフィーバーや雀球などもまた打ちたいです
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RE:いまにして思えば  評価

風来人1957 (2012年09月27日 20時00分)

さらに補足
80年当時デジパチが登場したときはまだ現在のドル箱がなくて「木箱」や「バケツ」に玉を入れてました
。さらに82年新装オープンのホールが設置してあった「ブラボー」は「777」が揃うと20回転以内に「333」、「333」が揃うと同じく「777」が揃うというプログラムがセットしてありました。私たちは「表と裏」と言ってました。しかし熊本県警の怒りを買って「営業停止」に追い込まれ「ノーマルブラボー」に変わりました


パチスロを各号機をそれぞれ表現するとこうなります
0号機:無秩序→1号機:一つのかたち→2号機:完全確率制への移行→3号機:相反する二つの存在(継承される名機と裏モノ→4号機:コペルニクス的転回→5号機:銀河のかなた
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RE:いまにして思えば  評価

風来人1957 (2012年09月27日 19時16分)

そうそう書き忘れてました
「完全無制限」ということばがホールに定着したのは、パチスロは平成元年の2号機登場から、パチンコは21世紀になってからです。
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