返信元の記事 | |||
【541】 | 東電元副社長 「原発 私はこう思う」 爺〜さま (2011年07月10日 22時56分) |
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報道ステーション「原発 私はこう思う」 東京電力 元副社長、豊田正敏氏です。 2011.06.24 ー以下、ニコブログ・メモー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 豊田氏は原発の導入が始まった1960年代、原発の責任者として福島第一原発建設の陣頭指揮をとった人物。 「ともかく原子力は(社長から)安全最優先にやって欲しいということを何回も言われておりましてね。 私もその言葉通りに安全最優先で進めてきたつもりなんです」 「最終的には燃料が破損して放射能がばら撒かれたという事態については、非常に残念に思っておりまして、 避難された人々、風評被害で損害を被った農・漁業者の方に対して、非常に相済まないという気持ちです」 Q.なぜ事故は起きたのか? 「電源が全部喪失したのが想定外で、設計ミスと言えば設計ミスかもしれないけれども、 タービン建屋に(非常用)ディーゼル発電の電源盤が置かれていたこと」 非常用電源が耐震強度の高い原子炉建屋でなく、脆弱なタービン建屋に設置されていたという事実を、 豊田氏は知らなかったという。 「完成してもずっと分からなかった。今回事故が起こるまでは原子炉建屋に置かれているものだとばかり思っていた。 GE(米ゼネラルエレクトリック)の設計で、そこに任せている。 そうなっている(原子炉建屋にある)ものだと思って。それは後悔してますよ。 立ち会っていれば、なんだこれは、タービン建屋にあるじゃないかと気がつくわけで。 誰も気がつかなかった。原子炉メーカーも見ているわけですからね。 東電だけではなくて保安院とか原子力安全委員会にも責任がある」 Q.今後の日本にエネルギーは? 「原子力に頼らないで自然エネルギーに頼れば高くつくと。(発電)量的にもそれほど賄えない。 火力発電に頼らなければいけない。石油の値段が高いとかLNG(液化天然ガス)が高いので、 経済的にも高くなる。 日本経済が成り立たないのではないかという心配がありますけれども、安全が最優先で一般国民が安全について 納得していただくことが最初の段階だと思ってます。 原子力関係者が“やれ”とか“やりたい”と行ってみても始まらない。個人的には(原発を)やっていただきたい という気はあるけれども、やれるかどうか判断しろと言われると私は今の段階では何とも言えません」」 (以上) −ニコブログより勝手に転載させていただきましたー |
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【549】 |
ど○(・∀・)oん (2011年07月11日 20時31分) |
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これは 【541】 に対する返信です。 | |||
記事、見つけたので貼りますね。 1986年、原油は供給過剰となり、原油価格は急落してます。 逆オイルショックの状況で、化石燃料を用いた発電コスト的に優位になるはずでした。 これを踏まえて読むと、東電がいかに原発のコストに苦しんでたかが良く分かります。 (事故を悪化させたのは設計上のミスと言う内容なので、発電コストについては書かれてません。) 抜粋************************************************************************************************** 「非常用ディーゼル電源の不統一な置き方、設置のやり方についてはみんな気が付いていた」と、東電の原子力部門を指導してきた幹部技術者は言う。 その技術者によると、1987年に政府による定期検査の準備をしていた時、この予備発電機の置き場所は「違いが際立っていた」という。彼は同僚に「この問題を解決すべきか」と尋ねたと話す。 別の専門家は、タービン建屋の地下だから、耐震上大丈夫だと言ったという。結局、その技術者は、「特にこだわってやるマスト・フィックス(必ず直すべきこと)ではない」と考えたと話す。 元副社長の豊田氏は言う。「その後たびたび、耐震設計などの見直しをやっている。それでもやっぱりお金がかかるということで、言い出せなかったのかもしれない」 東電はこの頃から、電気料金の高さを批判されており、そのような大きな変更は困難だったと、同社の元幹部は言う。 東電の元副社長で、1990年代後半に予備発電機など、原発設備を担当していた友野勝也氏は言う。「やりやすかったからじゃないか。それ以外には想像できない。メタクラが(タービン建屋のなかに)あるのだから、わざわざ新しいメタクラをつくらなくてもいいと。設計グループの中に入って、喧々諤々と議論をした事実はない」 以上************************************************************************************************** トラブルや規制対応で、電源盤の対応費まで手が回らなかったため、何もしなかった。 安全を軽視した結果、被害が拡大した。 悲しい事実です。 http://jp.wsj.com/Japan/node_257234 |
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【543】 |
ど○(・∀・)oん (2011年07月10日 23時20分) |
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これは 【541】 に対する返信です。 | |||
wwww 思いっきり責任放棄しちゃってますね。 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ > 豊田氏は原発の導入が始まった1960年代、原発の責任者として福島第一原発建設の陣頭指揮をとった人物。 >「完成してもずっと分からなかった。今回事故が起こるまでは原子炉建屋に置かれているものだとばかり思っていた。 > 誰も気がつかなかった。原子炉メーカーも見ているわけですからね。 > 東電だけではなくて保安院とか原子力安全委員会にも責任がある」 陣頭責任者が知らないはずないでしょw って言いたいですねw 東電タービン建屋にあるの知ってましたよw (リンクサイト)どこだったか忘れたけど、 非常用ディーゼル発電の電源盤を原子炉建屋に移す準備してたはずですよ。 あと少しで実施する予定でしたが、その前に地震が起こりました。 かなり前から把握してたようですが、トラブルが相次ぎ、電源盤を移す費用をケチってました。 確か議事録には、津波が起こってもタービン建屋まで来ないって事で、保安院にも説明してたはずですよー。 |
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