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【170】 | RE:ボーダー論者に質問 警報格下げ? (2008年11月02日 17時44分) |
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たぶん理解できないだろうけど一応書いておくよ。 確率の収束について恐らく半数以上の人は収束すると収束し続けるの違いが分かってないと思われます。 し続けるのであればボーダー論として期待収支等を出すのは間違いではないと思うんです。 しかしながら「し続ける」のではなく「する」なんですよねw 試行回数を倍に増やした場合ずれも倍にならないと収束してしまうんです。 なので試行回数を増やしていけばいずれ収束してしまうのは当たり前なんです。 そしてちーやん@さんはたぶんこのことは理解してると思います。 しかしながら期待収支等をだすのであればし続けないと意味がないことに気付いてないんでしょうね。 もしくは確率は近づいていても誤差は近づいてないことに気付いていないか・・・・ このどちらかだと思いますよw |
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【174】 |
ちーやん@ (2008年11月02日 23時59分) |
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これは 【170】 に対する返信です。 | |||
そこまで難しい話ではないようですね…^^; 相変わらず言い回しは変な気がしますが… て…自分も、ちょこちょこ変な時もありますが… >確率の収束について恐らく半数以上の人は収束すると収束し続けるの違いが分かってないと思われます。 逆に書いてるような気がするのは気のせいでしょうか?^^; 「する」…イメージ的には、時計の針が12時ジャストにカチッとハマる感じ… (つまり…ある程度の試行回数をこなせば… ピッタリ確率通りになる…) ↑いや…ならないんですが… 誤差は、常に発生しますからねぇ… 「し続ける」…自分的には、こちらの方がしっくり来ます。。 一旦は…たまたまピッタリになる事はあるだろうけど… 結局は、上下するんじゃ…^^; >試行回数を倍に増やした場合ずれも倍にならないと収束してしまうんです。 ご…ごめんなさい。。いまいち理解出来ないです。。(_ _) 確率に対しての、ズレ…ですよね? ズレが倍だと…確率からは遠のくような… 受け取り方…間違ってるのかな…^^; >しかしながら期待収支等をだすのであればし続けないと意味がないことに気付いてないんでしょうね。 もしかして…ブログを少し見てくれた…のかな?^^; 一時期、期待収支…と言うか… 結果を見ての、本来なら期待出来た収支を載せてました… 実践には、全然意味を成さない部分なので、あそこはそこまで考えて書いてはいないです… (正直…続けて実践してる時期では、細かく報告出来ないってのが本音です。。) >もしくは確率は近づいていても誤差は近づいてないことに気付いていないか・・・・ 確率が近づいたら…誤差も小さくなるしかないような? こういうのは、計算した事は全くないですが… なんか…イメージと違う気がします。。 う〜ん。。結構、考え方に違いがあるのは、間違いなさそうですね…^^; もう少し、いろいろ考えてみますね♪ と…書いてる間に、結構進んでる。。 |
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【173】 |
F−5G青どん! (2008年11月02日 23時43分) |
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これは 【170】 に対する返信です。 | |||
>し続けるのであればボーダー論として期待収支等を出すのは間違いではないと思うんです。 >しかしながら「し続ける」のではなく「する」なんですよねw 「する」ってのは、無理矢理強引に台が収束するって意味を指してると思いますけど・・・ 「し続ける」って・・・何ですか? 「する」を続けるって意味ですか? それとも別な意味でしょうか? 初めて聞いた表現かも・・。 普通は、だんだん収束に近づいてる・確率分母の近似値に成って行く、ってのを収束って表現を使ってると思うのですが? >もしくは確率は近づいていても誤差は近づいてないことに気付いていないか・・・・ この誤差は何を指してますか? 10万回打ったとして、10%の確率誤差があったと仮定して、 100回試行で確率誤差が5%に解消されたとしても、 負け(或いは勝ち)収支は解消されてないって意味でしょうか? 試行を増やせば当然同じ誤差1%でも金額は膨らんでいくのは当り前っちゃー当り前だと思うけど・・。 (下手したら・・収束の確認前にドボンって事もww) >しかしながら期待収支等をだすのであればし続けないと意味がないことに気付いてないんでしょうね。 ・・・・はい? 期待収支は指標でしょ? 今日自分が打った台の結果がツイてたか不ヅキだったかを再確認するよーな物でしょ? 又は、今打ってる台を続行するかヤメルかの目安にするものですよね? >確率通りに当たった時を基準点としてるだけです。 って警報格下げ?さんも仰ってたよーに。 なのに、続けなきゃ意味無いって?どーして? 以前言っていた、 >よってボーダー論と確率論は全くの別物という訳です。 ってのは、膨大な回数で確率が近似値になっても、誤差分の収支は近似値に成っていないって言いたいのかなぁーと勝手に想像しましたけど・・。 いったい・・・何を言いたいのか是非ハッキリ書いて欲しいです・・。 |
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【171】 |
見通す目 (2008年11月02日 23時12分) |
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これは 【170】 に対する返信です。 | |||
>しかしながら「し続ける」のではなく「する」なんですよねw これ・・何がどう違うのかわからないので、もうちっと詳しく説明してもらえると助かるんだけど・・ >もしくは確率は近づいていても誤差は近づいてないことに気付いていないか・・・・ ここでの誤差も何を指してるのかが、ちとわからない 十分な試行を重ねたと思われる状況で、例えば1%の誤差があったとして、誤差としては微々たるものだが(割合だだから)、収支的に考えるとこの1%のズレてのが、収支的にものすごい額になってるてことでいいのかな? もしそうなら、収束したあとを「し続ける」必要があるんだてのは、収束したと判断した段階以降、短期に荒れた事象を計算に含んでも含まなくても、数値が変動しないくらい膨大な試行を重ねた後だから、「し続ける」も「する」も同じなんじゃないの?て思うんだけど・・ それと >1/1000→1/800 →1/500→1/300 で収束したイメージより > >1/375→1/800→1/250→1/400 見たいに凸凹を集めて平均化すると 1/300に近い この2者て、考慮基準が違うだけじゃない? 前者て、常にスタート時からのトータルで考えてて、それらしい流れになると思うし(そこまで綺麗な収束ではないだろうけど) 後者は、あるスパンでの確率を常に出してて、それを集めて平均化すれば、前者のようになるってことで なんで俺的に、前者も後者も言ってることは同じと思うんだけど・・・・違うの? |
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