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【8694】 | ☆mixtraさん ロータリー7 (2007年11月02日 07時22分) |
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mixtraさん おはようございますー♪ *゜:+.。☆┗(^▽^*)*゜:+.。☆ >島勝猛・本多忠勝・斬首 斬首って(爆)O(≧∇≦)O ぶぁっはっはっ!! しかし知らない武将ばかりだー(汗) 勿論、竹中半兵衛って初めて知りました(笑) SPエスさんなら、色々とエピソードをご存知なのでしょうねぇ☆ みんとらさんも、お詳しいようで♪ (o^-')o 容姿端麗とは、まさにピッタリですー v(=∩_∩=) ←バカw しかし早世で女形?(汗) >『瞬間記号(周辺視野)』 私の苦手分野です。(;^_^A 眼力&速読の双方に共通する重要ポイントなのですかぁ! それなら鍛えがいがあります。┗(^Λ^)┛ 『眼のストレッチ』は、私は遠くの空を眺めるなどはたまに・・・ しかしすぐに眠たくなるので(笑)(^∇^) このソフトの効果は、顕著にあらわれております。 研究論文を期待してま〜す☆ o(*^▽^*)o |
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【8697】 |
S・Pエス (2007年11月02日 11時01分) ID:HvTsFkZb |
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これは 【8694】 に対する返信です。 | |||
ロータリー7さん、皆さん、こんにちは。 >島勝猛・本多忠勝 二人の戦国武将が出てましたので、ちょっとしたお話をと思い勝手に書かせてもらいます。 本多忠勝は徳川四天王で有名ですね。酒井忠次、榊原康政、井伊直正とともに家康の馬廻りを努めた武将です。でも、この4人(忠次、忠勝&康政、直正)は3世代程の年齢差があって、家康存命中に四天王の呼称はなかったのでは?という意見もあります。 本多忠勝は三方原合戦の直前、武田勢の様子見をした際、その見事な統率力から、「家康に過ぎたるもの2つあり、唐の頭に本多平八」と詠まれた程です。 唐の頭(からのかしら)とはヤクという動物の毛で作った飾りを、主な武将が兜の後部に付けていたことからの表現です。平八は幼名・通称“平八郎”からきた名ですね。 島勝猛は俗に島左近と言われていました。上の落首(らくしゅ)を真似たように「(石田)三成に過ぎたるもの2つあり、島の左近に佐和山の城」と詠まれました。それ程の猛将だったそうです。私の印象では上杉家における直江家と同様、石田家における武断派の重臣だったと思います。 久しぶりにお邪魔し、好き勝手なこと書かせてもらいました。お許しください。 |
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