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【117】 | :ケメ子物語〜その5 元パチブロK (2013年11月15日 23時40分) |
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えーーーーーーーーーーーと ケメ子の話はどこまでいっとったかいのー。 ケメ子の提案とは、とうてい受け入れがたいものだった・・・。 ケメ子の実家は広島県三原市である。 実家には母親が独り暮らしをしており、その母親が認知症になり、面倒を見るために広島に帰るというのだ。 そして、引っ越して広島で暮らそうというのだ。 引越し先は三原市の対岸にある因島市でもケメ子は俺の就職先まで見つけてきた。 まったく恐るべき行動力である。 ケメ子の提案を最初は拒否した。 冗談じゃない。 気ままで自由なパチプロ生活とケメ子を天秤にかければ・・・自由なパチプロ生活の方が重いというのが正直な気持ちだった。 しかし、ケメ子はめげずに古美門研介のように雄弁だった。 因島では海の側で憧れだった無人島での自給自足生活とはいかないまでも、それに近い島ライフが楽しめる。 家は海のそば、船で通うことができる。 勤務先は万田発酵株式会社で研究の仕事ができる。 (実は専門は生物学科) パチプロでは安定した収入が得られないし、保障もない。 などなど、いちいちもっともだった。 とはいえ、やっぱり嫌なものは嫌、とは言えなかった。 認知症の母親と為にケメ子を独りで広島に帰すのはあまりに可哀そうだったからである。 仕方ない、これも運命だ、なんとかなる。 そう心を決めて広島への引っ越しを決め、パチプロ家業と決別する決心をしたのである。 こうして俺は普通のサラリーマンとなり、その後は平凡な人生を送りましたとさ・・・ おしまい となる予定が、そうはならなかった。 つづくかも |
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【119】 |
元パチブロK (2013年11月22日 22時37分) |
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これは 【117】 に対する返信です。 | |||
そんなわけで、島暮らしと共に不本意ながらサラリーマンになってしまった。 そして、そのサラリーマン生活は半年しか持たなかった。 なぜか。 サラリーマンならば毎日決まった時間に会社に行かなければならない。 朝は朝礼、退屈な話を聞き、その後はラジオ体操。 嫌でも働かなければならない。 嫌いな上司の命令に従わなければならない。 帰りたくても退社時間にならないと帰れない。 土日しか休みがない。 会社員なら当たり前。 しかし、その当たり前のことが限りなく苦痛となり耐えられなかった。 半年後、突然の腹痛に襲われ、病院に行ったら神経性胃炎と診断された。 そんなにも会社が嫌だったのか。 会社が悪いのではない。 長いプチプロ生活をしていくうちにすっかり人間がダメになっていたのだ。 世間ではパチプロなど人間の屑だと言う。 まったくその通りだと心から思う。 一度自堕落な生活に慣れてしまったら、もう元には戻れないのだ。 そして、島での暮らしも単に不便なだけということも分かった。 島にいてはパチンコで喰ってはいけない。 島でのサラリーマン生活はあっけなく終わった。 三原市に引越しして、パチプロ生活に戻ることができた。 一方、ケメ子の方は、意外なことに会社勤めが気に行って、嬉々として毎日会社に通ったのだった。 また実家へ行って母親の介護もしたのだから大変な忙しさだった。 ケメ子がこんなに働き者だったとは・・・。 そうして2年が過ぎた。 ケメ子の母親は認知症が進行して寝たきりとなり、老人ホームに入所することになった。 ケメ子は会社を止めて、人生の最終目標について語り出した。 それは南の島へ移住して自給自足生活を送ることである。 これに関しては10年以上前から二人で話していたことであったが、所詮は夢物語、冗談半分と思っていた。 しかし、ケメ子は本気だった。 よし、分かった。 南の島への移住先を探して、まず沖縄に旅立ったのである。 つづく、たぶん。 |
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