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【63】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 09時09分)

あ、そうだ、この話を小出しにしてる理由だけど、


推敲を何度も何度も繰り返してるので、


なかなか、先に進まんのじゃ。
【62】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時58分)

≪ページ7≫

ストレスに対する人間の反応として、

退行のほかにもう一つ、

『防衛』と呼ばれるメカニズムがあげられる。



広島その他の被災地の生存者について調査した

ロバート・ジェイ・リフトンは、

これを『精神的まひ』と呼んでいる。


我々には、

自分の情動的感覚があまりにも苦痛又は不快なものとなったときに、

自分自身をまひさせる能力がある。


これは単純なことである。


ズタズタに切り裂かれ、血にまみれた死体を一体だけ見たときには、

我々は恐怖を覚える。

しかし、

そうした死体を

来る日も来る日も身の回りに見ていると、

恐ろしいことが当たり前となり、

恐怖の感覚を失ってしまう。


恐怖を簡単に無視するようになるのである。

つまり、恐怖を感じる能力が鈍り、

もはや現実に血の色が『見えなく』なり、

悪臭が『におわなく』なり、

嫌悪感を『感じなく』なる。


無意識のうちに自分自身をまひさせてしまうのである。


この情動的自己まひの能力は、当然、それなりの利点を持ったものではある。

これは進化の過程を経て

我々の中に組み込まれたメカニズムであり、

我々の生存能力を高めてくれるものであることは疑いない。


というのも、

正常な感覚を維持していたならば

気が変になるような恐ろしい状況下にあって、

機能や役割を果たすことを可能にしてくれるのが『精神的まひ』だからである。


しかしながら、ここで問題となることは、

この自己まひのメカニズムが

危機的状況でのみに発動するとは思えないことである。


もし、我々が、ゴミの中で生活しているために

ゴミに対する不快感を感じなくなるならば、

我々自身がゴミを撒き散らす人間になる可能性がある。


自分の苦しみに対して無感覚になっていれば、

他人の苦しみに対しても無感覚になりがちである。


侮辱的な扱いを受け続けていれば、

自分自身の尊厳に対する感覚を失うだけでなく、

他人の尊厳に対する感覚をも失ってしまう。


切り裂かれた死体を見ることが気にならなくなれば、

自分で死体を切り刻むことを気にしなくもなる。


即ち、自分自身が残忍な人間になってしまえば、

他の残虐行為に対して無感覚になるのである。


したがって、

バーカー任務部隊が戦場で過ごした1ヶ月、

貧弱な食物、乏しい睡眠、そして戦友の死や重傷が続いた1ヶ月、

の後、

ほとんどの兵隊たちが、

心理的に未成熟な、原始的な、凶暴な状態に退行していた

と考えることができる。
【61】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時53分)

≪ページ6≫

≪正気の人間が、

殺人を犯し、

にもかかわらず、

自分が殺人を犯したことに気づかない≫

などということが、なぜ起こるのだろうか。

邪悪でもない人間が、

自分のしたことに気づきもせずに大きな悪に加担する

というのは、

どういうことなのだろうか。


作戦地帯の兵隊の生活は慢性的なストレス状態にある。


軍は、可能なときには

娯楽を与え、休息やレクリエーションのための期間を設けるなどして、

ベトナムに送られた部隊のストレスを最小限に抑えるために

できるだけのことをしていたが、


現実には、バーカー任務部隊の隊員は

慢性的なストレスの下に置かれていた。


長期間、例えば、1週間程度、

苦痛や不快な状態に置かれたことのある人ならば

(例えば、歯を2,3本抜いて、数日間、痛みと腫れで、まともにモノが食べられないというような)、

その期間の心理状態を思い返してみていただきたい。


泣き言を言い、他人に当り散らす。

他人が絶えず自分の面倒を見てくれることを期待する。

ちょっとしたことが自分の望むときに望みどおりに行われないと、

目に涙があふれ、不機嫌が高じる。


心的機能の水準は3歳児程度に低下してしまう。

つまり、完全に自己中心的になる。


不快な状況に長期間置かれている人間は、

当然のことながら、

ほぼ不可避的に「退行」を示すものである。


心理的成長が逆行し、

成熟性が放棄されるのである。

急激に幼児化し、より未開の状態に逆戻りする。


不快感というのはストレスである。


つまり、人間という有機体組織は

長期のストレスに反応して

退行する傾向があるということである。


生まれ故郷とは反対の極にある世界に連れて行かれ、

食物は貧弱で、

害虫に悩まされ、

暑気に気力を失わされ、

およそ快適とは言いがたい場所で眠らされていた。


しかも、絶えず危険に脅かされていた。


この危険は、通常は、他の戦争のときほど大きなものではなかったとはいえ、

予測不能のものであったために、

より大きなストレスになっていたと思われる。


この危険は、

夜間、兵隊たちが安全だと思っているときに迫撃砲攻撃という形で訪れたし、

便所に行く道に仕掛けられた仕掛け爆弾、

美しい小道を散策している兵隊の足を吹き飛ばす地雷、

といった形で突然襲ってくるものだった。


あの日、

バーカー任務部隊が、

ミライ地区で

目指す敵の姿を発見できなかった

という事実も、

ベトナムでの戦闘の性格を象徴的に物語るものである。


ベトナム戦争の敵は、

予期していないときに、

予想もしていない場所に出没する敵である。
【60】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時37分)

あ、ごめん。


「バーカー」と書いたり、「バーガー」と書いたりしてますな。




「バーカー任務部隊」というのが正解。
【59】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時32分)

バーカー任務部隊。


オレのことかい。



失礼な。



ワードに書き溜めたのを、小出しにしとんじゃ。



今、次を載っけよとしとったとこじゃ。
【58】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月18日 08時14分)

はよ続きを書けよ
少なくとも俺は楽しみにしてる

バーカー任務部隊とバーガー任務部隊
この2部隊のその後が特に
気になってしょうがないです

そんな気分♪
【57】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月17日 07時52分)

≪ページ5≫

この二つの犯罪(「虐殺事件そのもの」と「その隠ぺい」)は互いに密接に絡み合ったものである。


虐殺そのものに比べれば

隠ぺい工作のほうが凶悪性の程度が低いように思われるかもしれないが、

これは表裏一体のものである。


これほど多くの人間が、

これほど大きな悪に加担しながら、

良心の痛みから

「告白しよう」

という気持ちすら抱かなかったのはなぜだろうか。


隠ぺいというのは集団の大きな虚偽である。


この隠ぺいには

異常なほど結束した加担、

すなわち、

共同体的参加が見られるため、


バーガー任務部隊の隊員全員が

「虚偽の人々」であったということができる。


というより、今考えてみると、

少なくとも


「ベトナム戦争当時のアメリカ国民全体が

 虚偽の人々であった」

と結論付けることができる。


すべての嘘がそうであるように、

隠ぺいの第一の動機となるのは恐怖である。


犯罪を犯した人間(引き金を引いた人間、あるいは、その命令を下した人間)は、

当然、自分の行った行為が伝わることを恐れる。

彼らを待ち構えているのは軍法会議である。


しかし、

ただ殺戮を目撃しただけの人間の数のほうが

はるかに多いはずで、

こうした人達が

「暗い、血なまぐさい行為があった」ことについて

何も語っていないのはどういうわけだろうか。


彼らは何を恐れていたのだろうか。


バーカー任務部隊の隊員にとって、

この犯罪を外部に知らせるには

大きな勇気が必要だったことは理解できることである。


もし、外部に知らせれば、

「たれこみ屋」

「スパイ」

といったレッテルを貼られることは間違いない。


そうしたレッテルを貼られることほど恐ろしいことはない。


スパイは殺されることが多い。

少なくとも村八分の扱いを受けることは間違いない。


一般のアメリカ市民であれば、

村八分もそれほど恐ろしいことではないかもしれない。

「一つの集団から追い出されたら別の集団に加わればいい」というのが

一般市民の反応かもしれない。


しかし、軍隊というものは、

簡単に別の集団に加わればいいというようなものでないことを

忘れてはならない。


兵役期間が満了するまでは軍を離れることもできない。

脱営すること自体が大きな犯罪とされている。


したがって、軍籍にある者は軍に縛り付けられている。

というより、自分の所属するグループに縛り付けられるものである。


それだけでなく、

軍というものは、きわめて巧妙なやり方で

その階層内の集団の圧力を強めている。


集団の力学、特に軍人集団の力学という観点から考えるならば、

バーカー任務部隊の隊員が

この集団犯罪を他に漏らさなかったというのも、

特に奇妙なことではない。


また、この犯罪を報告した人間が

バーカー任務部隊に所属する隊員ではなく、

しかも除隊後にようやくこれを報告したという事実も、

別に驚くには当たらない。


にもかかわらず、

あれほど長い期間この犯罪が外部に知られることなく過ぎたことには、

今ひとつ、きわめて重大な理由があった考えられえる。


バーカー任務部隊の隊員が

自分たちの犯した犯罪を告白しなかったのは、

ある程度までは、

自分たちが犯罪を犯したという「意識」が

彼らに無かったからではないかという疑念がある。


無論、自分たちの犯した行為については彼らも知っている。


しかし、

その自分の行った行為の重大性や性格を

彼らが十分認識していたかどうかとなると、

これはまったく別である。


中には自分の罪の意識を隠していた者もいたとは思われる。


しかし、それ以外の大勢の人間は、

≪罪の意識すら持っていなかった≫

のではないか、と疑われる。


なぜ、こうしたことが起こるのだろうか。
【56】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月17日 09時48分)

スルーラックは効き方がチと激しすぎるので、

クリニックで、「アローゼン」というのを処方してもらうといいよ。

>あるモンスターを相手に私は戦いwを挑んでいるのだと>認識を新たにしなければならないのであろう


僕は、戦いを挑まれてるの?。
【55】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月16日 17時48分)

悠久の時の中に放り出された感覚なのだが、暇なときに
解読を試みるもよし、スルーラックしてくれても全く構
わない。これが君なりの処世術であるなら、中々に骨の
あるモンスターを相手に私は戦いwを挑んでいるのだと
認識を新たにしなければならないのであろう。
【54】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月16日 16時39分)

≪ページ4≫


集団の行動は、個人の行動に比べて、

想像以上に原始的かつ未成熟なレベルにある。

なぜそうなのか、

なぜ集団の行動が驚くほど未成熟なのか、


これは複数の原因のもたらす結果である。

この原因の一つとしてあげられるのが

『専門化』という問題である。


集団のもつ最大の利点の一つが専門化である。

集団の方が個人よりはるかに効率よく機能することが多い。


自動車メーカーは、

その従業員が

重役、設計技師、工具・ダイス工、組み立てライン工というように

専門化されているために

膨大な数の車を製造できるのである。


我々が極めて高い生活を享受しているのも、

ひとえに、我々の社会が専門化していることによるものである。

したがって、専門化自体が悪いことだとは考えられない。


しかし、現代の集団的組織的悪の多くはこの専門化に関係しており、

専門化に対して我々は警戒心を身につける必要がある。


専門化については、

原子炉に対して抱くと同じ程度の

不信の念や安全対策を以って対処すべきである。


専門化は、様々なメカニズムによって、

集団の未成熟性やその潜在的悪を

助長するものである。


ここでは、とりあえず、そうしたメカニズムの一つを上げるに留めておくが、


それは、

≪良心の分散化≫

である。


ベトナム戦争当時、

仮にあなたが国防総省の廊下をうろつき、

ナパームの製造や、

それを爆弾の形でベトナムに持ち込む命令を下した責任者に語りかけ、

ベトナム戦争の道徳性、そして彼らが行っていることの道徳性

に対する疑問を投げかけたとすると、

間違いなくこういう返事が返ってきたと思う。


「君が心配していることはよく分かる。

 しかし、君は質問の相手を間違えていると思う。


 ここは軍需部門で、我々は兵器の供給を行っているだけだ。

 それがどう使われるか、

 どこで使われるかを決定しているわけではない。


 それは政策の問題だ。

 
 廊下の向こうにある政策部門の人間に質問してくれ」。


あなたがその人の言うとおりに

政策部門に同じ質問をしたとする。

その返事はこうなると思う。


「確かにこれには大きな問題のあることは分かるが、

 しかし、これは我々の権限外の問題だと思う。


 我々は、いかに戦争を行うべきかを決定しているだけであって、

 戦争を行うべきかどうかを決定しているわけではない。


 軍というのは行政府の一機関に過ぎない。

 やれと言われたことを軍はやっているに過ぎない。


 そういう大きな問題は

 ホワイトハウス・レベルの決めることで、

 軍の決めることではない。


 君の質問の相手はホワイトハウスだ」。


かくして、以下、同じことの繰り返しとなるはずである。


集団の中の個人の役割が専門化しているときには、

常に、個人の道徳的責任が

集団の他の部分に転嫁される可能性があり、

また、転嫁されがちである。


そうした形で個人が自分の良心を捨て去るだけでなく、

集団全体の良心が分散、希釈化され、


≪良心が存在しないも同然の状態≫


となる。


いかなる集団といえども、

不可避的に、

良心を欠いた邪悪なものになる可能性を持っているものであり、

結局は、個々の人間が、

それぞれ自分の属している集団・組織全体の行動に

直接責任を持つ時代が来るのを待つ以外に道は無い。

しかし、我々はまだ、そうした段階に到達する道を歩み始めてすらいない。


この集団の心理的未成熟性を念頭に置いた上で、

ソンミ村事件の二つの面、

すなわち、

「虐殺事件そのもの」と「その隠ぺい」

という二つの犯罪について考えてみたい。
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