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【93】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月28日 08時55分)

≪ページ19≫



人間のものの考え方には一種の慣性が伴うものである。


いったんある考え方が行動に移されると、

それに対立するいかなる証拠を突きつけられようと、

その行動は動きを止めようとしない。


ものの考え方を変えることには

相当の努力と苦しみが伴う。


これにはまず、

自己不信と自己批判の姿勢を絶えず維持し続けることが必要であり、

あるいは、自分がこれまで正しいと信じてきたことが

結局は正しくなかった、

という苦痛を伴った認識を持つことを要求される。


そのあとには、混乱が生じる。


これは実に不快な混乱である。

もはや正しいことと間違ったことの判断、

いずれの方向に進むべきかの判断が自分につかないように思われる。


しかし、そうした状態こそ、偏見のない開かれた心の状態であり、

したがって、学習と成長の時である。


混乱と困惑の流砂の中からこそ、

新たな、より優れたものの見方へと飛躍することができるのである。


ソンミ村事件当時のアメリカを動かしていた人たち、

すなわち、ジョンソン政権は、

怠惰であったと同時に自己満足に陥っていたと考えられる。


彼らは、普通の人間の大半がそうであったように、

知的困惑を好んでいなかったし、

「絶えざる自己不信と自己批判の姿勢」

を維持するうえでの努力を好んでいなかった。


彼らは、それ以前の20年間に身につけてきた

「一枚岩的共産主義の脅威」

という見方が依然として正しい見方である、

との前提に立ってものを考えていた。


そうした見方に

疑いを投げかける明白な証拠が山積していたにもかかわらず、

彼らはそれを無視したのである。


それを認めることは、

自分のものの見方を考え直さなければならないという、

苦しくも困難な立場に自らを追い込むことになるからである。


彼らは必要とされていた努力を怠っていた。

何事も変わっていないかのように、

盲目的な行動を続けるほうが楽だったからである。



ナルシシズムにとらわれている個人や国家には、

自分の考え方やモノの見方が間違っているかもしれない

と想像することすらできない。


われわれは、

表面的には、自分が絶対に正しいなどとは言わないようにしているが、

心の奥底では、特に自分が成功し、権力を持っていると思われるときには、

自分は常に正しいと考えてしまう。
【92】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月28日 08時43分)

1年半くらい前に、ステハンを乗っ取られたことあるよ。


タケルっちに、どうしたらそんなことができるのか教えてもらったことあるけど、僕にはよくわからんかった。



何でも、ステハンの収集マニアがいるとか。



まあ、でも、そこまで神経質にならなくてもいいんじゃないかな。
【91】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月27日 09時23分)

久しぶりかな? どうも、世界のヒラマサです

失礼な質問かも?だが、カンパチ君はステハンの所有権を

乗っ取ることが出来るのは理解してるのかな?


「カンパチ」というハンドルを大事にしてもらいたい!

放棄してしまったら、知名度に比例してそれなりの混乱

が起きるので注意してもらいたい!


ということを一応お伝えに来ました
【90】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月27日 08時50分)

今日も雨。



ここ数か月、晴れた日が、2日と持たないな〜。
【89】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月26日 20時37分)

≪ページ18≫



アメリカ軍の誇りは決定的に傷つけられていた。

軍にとって、悪に走る条件は十分に整っていたのである。


強度の自己愛(ナルシシズム)にとらわれた人間(=邪悪な人間)は、

自己の完全性イメージを脅かす相手に対しては、

誰れ彼れお構いなしに攻撃を仕掛ける。


それとまったく同じように、1967年後半には、

あらゆる集団が陥りがちな

強度のナルシシズムにとらわれていたアメリカの軍組織が、

本来ないはずの残忍性と欺瞞をもって、

自己の尊厳を踏みにじられていたベトナム国民に攻撃を仕掛けたのである。


ソンミ村虐殺事件はその規模において他に類を見ないものではあったが、

米軍による小規模な虐殺は

当時のベトナムの至るところで行われていたと疑うに足る根拠は十分にある。


ソンミ村事件は、単にバーカー任務部隊だけでなく、

アメリカのベトナム進出全体を通じて支配していた

残虐性と邪悪性の流れの中で起こったもの、と言って差し支えない。




アメリカ国民は、基本的には、

次の3つの考え方の結び付いたものを理由として

あの戦争を戦ったのである。


(1)共産主義は、人間の自由全般、
 
   特にアメリカの自由に敵対する一枚岩的悪の勢力である。


(2)共産主義に対抗する勢力の先頭に立つことが、
   
     世界最強の経済国アメリカの課せられた義務である。


(3)共産主義というものは、それがどこで発生しようと、

     必要とするいかなる手段を用いても排除すべきものである。



アメリカのベトナム介入は、

こういった、一枚岩的共産主義の脅威が現実的なものに思われていた

1954年から56年に始まったものである。


しかし、その10数年後には、

もはやこうした考え方は非現実的なものとなっていたが、

にもかかわらず、

まさにそれが非現実的なものとなったその時に、

つまり、アメリカがその戦略の見直しを行い、ベトナムから撤退すべき時に、

その旧弊化した考え方を守るために

アメリカはベトナム軍事加入を大きくエスカレートさせたのである。


なぜだろうか。

なぜ、1964年ごろに至って、

ベトナムでのアメリカの行動がますます現実から離れ、

妥当性を欠いたものとなったのだろうか。
【88】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月25日 17時26分)

慈母を560回まわしてしまいました。



単発でした。
【87】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 17時20分)

さっき、ニュースを見てて、思ったこと。


関東では、落雷があったそうで、

一般の人(70歳くらい)が、テレビ局の記者か誰かにインタビューを受けて、


「戦車が落ちてきたような音でした」

と言ってました。



この人は、「戦車が落ちてきたときの音」というのを聞いたことがあるのだろう。

すげーなー。



戦車が落ちるとしたら、どこからどこに落ちるんだろう。
【86】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 11時11分)

先日の北斗6。


ケンvsラオウリーチになったので、

当たるわけないし、

レイがラオウに突き刺されるシーンを見るのが嫌で、

画面を見ずに、下向いてたら、


なぜかトキの声。


「えっ、なんで」


と、画面を見たら、やっぱり、トキが。

トキとラオウのバトルが始まりましたが、

いつものトキvsラオウリーチとは様子が違いました。


演出を眺めてたら、

ラオウがトキの足を踏んずけて、自分の足とトキの足を剣で串刺し。


このシーン、原作を初めて読んだ時も、

結構、ショックでした。


当たりだったけど、後味の悪いシーンですわ。
【85】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 07時28分)

≪ページ17≫


今一つ考えるべきことは、

技術面での1960年代アメリカ軍の性格である。


当時は、技術全般、特にアメリカの技術に対する我々の信仰が

頂点に達していた時代である。


その意味では、

殺しをも含めてあらゆるものを容易かつ効率的に行うための

機械、装置、設備に対するアメリカ社会全体の心酔が、

軍に反映されていたということができる。


というより、当時は、ベトナムが新しい軍事技術の理想的実験場となっていた。


そのもたらした結果の一つが、

ブルドーザー、兵器、精密爆撃、枯葉剤

といったものを駆使した「技術騒ぎ」であり、

もう一つの結果が、

犠牲者の姿を目にすることすらないという、

犠牲者に対する情緒的距離感である。


つまり、ベトナム人の体に火を放つのはナパーム弾であって、

我々ではなかったのである。


殺しを行っていたのは、飛行機であり、戦車であり、爆弾であり、迫撃砲であって、

我々ではなかった。


ソンミ村では面と向かった殺しが行われたが、

しかし、技術戦が我々の感受性を鈍らせた結果が、

そうした残虐性となって現れたのである。


長年こうした技術を使用することによって、

良心の隔絶という効果がもたらされていたのではないか。


しかし、我々の技術や軍事専門知識、アメリカン・ノウハウの総力を結集してなお、

ベトナムでは戦果が上がらなかった。


アメリカは地球最強の国だったはずである。

アメリカの歴史を通じて、戦争に負けたことは一度もなかった。

ところが、信じがたいことが起こったのである。


1967年から68年にかけて、

それまで考えてもみなかった恐ろしい現実を我々は意識し始めていた。

アメリカが戦争に勝てないという現実である。


この信じがたい現実を最初に身を以って体験し始めていたのが、

現地にいた軍である。


このアメリカの屈辱という激しい痛みの一撃を一身に浴びたのが、

あの敗北を知らなかったアメリカ軍である。


ソンミ村事件当時、つまり1968年前半のアメリカ軍は、

あたかも自信に満ちた巨大な動物が

突如、どこから飛んでくるともしれない無数の矢に射られ傷つき始めた

という状態にあった。

怒りと混乱のうちにのたうち、唸り声をあげていたのである。


追い詰められ傷ついた動物が、

特に残忍かつ危険なものになるのは自明の理である。
【84】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月22日 21時25分)

≪ページ16≫


軍の中核となっているのは、

20年、30年の軍歴を積んできた古参職業軍人である。

軍という組織の性格を決定づけているのはこうした人たちである。


むろん、国防長官を長とする文民主導の管理に

何らかの形で従っていることも事実である。

しかし、国防長官は絶えず変わる。

また、徴募兵や4年勤務の志願兵も絶えず入れ替わる。


ところが、古参職業軍人はそのまま居続ける。

軍隊というものに連続性のみならず軍人魂なるものを付与しているのは、

まさしくそうした人たちである。


われわれ人間は、自分自身の社会的意義を意識するように作られている。

自分が望まれている存在、役に立つ存在であるという意識は、

何にもまして喜ばしいものである。


その反対に、自分が役に立たない、望まれていないという意識ほど、

人を絶望に陥れるものはない。


平和が続いている間は、

軍人は無視されるか、あるいは、せいぜい必要悪として国から扱われ、

国家に寄生する哀れむべき寄生動物という見方をされることも多い。


ところが戦時には、軍人が再び必要な人間となり、

有用というだけでなく

絶対不可欠のものと社会が見なしている役割を担うようになる。

ヒーローとなるのである。


だとすると、ごく普通の職業軍人が、

意識的であれ、無意識であれ、

戦争を望み、待ち焦がれるのは当然のことである。


自分の職業に伴う強力かつ必然的な心の偏向を克服し、

平和のために働き、平和を論ずることができるのは、

通常以上に高徳かつ精神的偉大さを備えた少数の軍人のみである。

こうしたまれにみる有徳の士、無名の英雄の出現はまず期待できない。


それどころか、

軍人というものは、常に戦争を支持し、戦争の側に立つものである、

ということを我々は十分に覚悟すべきである。


そんなはずはないなどと考えることは、

子供っぽい、非現実的な考え方である。


1968年当時のアメリカ合衆国軍は、

いやいやながらベトナムでの戦闘に加わっていたわけではない。


当時の職業軍人の間に広まっていたものの見方は、

疑念や慎重さ、あるいは抑制を伴ったものではなかった。

そこにあるのはただ熱狂のみである。


「よーし、やっつけよーぜ」

といったたぐいの熱狂的興奮が、

合衆国大統領にして、合衆国軍最高司令官ジョンソンによって、

是認されていたのである。
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